長女、眞子さまの公務を引き継がれ、益々のご活躍を祈念申し上げます。(^_^)
いわゆる皇女の歴史として、特筆すべきは、やはり「斎王」の制度でしょう。(^-^)
以下、ネットからの引用です。
斎王は、天皇に代わって伊勢神宮の天照大神に仕えるために選ばれた、未婚の皇族女性のことである。
歴史に見られる斎王制度は、天武二年(674)、壬申の乱に勝利した天武天皇が、勝利を祈願した天照大神に感謝し、大来皇女を神に仕える御杖代として伊勢に遣わしたことに始まる。
以来、斎王制度は660年以上にわたって続き、60人以上の斎王が存在した。伝説は、伊勢に天照大神を祀った倭姫命など、さらに多くの斎王の物語を伝える。
制度が確立して以降の斎王は、卜定(ぼくじょう)という占いで選ばれ、斎王群行と呼ばれる五泊六日の旅を経て伊勢へと赴いた。
以来、斎王制度は660年以上にわたって続き、60人以上の斎王が存在した。伝説は、伊勢に天照大神を祀った倭姫命など、さらに多くの斎王の物語を伝える。
制度が確立して以降の斎王は、卜定(ぼくじょう)という占いで選ばれ、斎王群行と呼ばれる五泊六日の旅を経て伊勢へと赴いた。
その任が解かれるのは、主に天皇が代わったときのみ。年に三度、伊勢神宮に赴く以外は、一年のほとんどを斎宮で過ごし、神々を祀る日々を送っていた。
また、神に仕える身ゆえに恋をすることも許されず、伝説に語られる斎王の中には己の命を絶って身の潔白を証明した哀しい斎王や、恋ゆえに斎王を解任されたり、恋人と引き裂かれたりした斎王もいたのである。( ; _ ; )/~~~
京都洛中には、現在の「櫟谷七野神社」付近に「賀茂斎院跡」の碑があり、平安期の嵯峨天皇の皇女、有智子内親王に始まった斎王の歴史を今に伝えています。(^。^)
また、大聖寺や霊鑑寺、宝鏡寺など、皇女が出家して住職を務めた門跡尼寺院もあり、京都の地では、皇女の生きた痕跡が其処彼処に残っています。(^-^)
翻って、現在、皇女の在り方も変わって来ましたし、彼女たちに対する国民の感覚もまた変化して来ましたね。(^_^)
ちなみに、葵祭などで、かつての斎王の代わりに選ばれし一般女性が「斎王代」と呼ばれています。( ^_^)/~~~
「皇女らの生き様思ふ斎院の
哀しみもまた国救うかな」
by 祖谷馬関