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我が心の俳句とか徒然 〜祖谷馬関〜

橋弁慶山と奥州藤原祭

朝刊に「祇園祭、幻の前懸を復元新調、150年ぶりに披露へ…山鉾・橋弁慶山」とありました。(^-^)

そうか、もう祇園祭の話題が聞こえてくる季節になったんだなぁ、と感じ入りました。(^。^)

以下、ネットニュースより引用。

祇園祭の 山鉾やまほこの一つ、橋弁慶山の前面を飾る「前懸」(まえかけ、縦1.87m、横1.48m)が復元新調された。この図柄の前懸での山鉾巡行は約150年ぶりで、 後祭の7月24日に披露される。
元になった前懸は中国・清の官服(18世紀前半頃)を継ぎ合わせ、江戸時代に仕立てられたと伝わり、明治期まで使われたが劣化が進み、その後は他の図柄の前懸が使われてきた。
京都市の老舗織物会社「川島織物セルコン」の職人らが2019年から約5年かけて復元。約60色の糸を使い、5頭の龍と中国で吉祥の動物とされるコウモリを鮮やかに表現した。事業費は約6500万円で、国などから補助を受けた。

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橋弁慶山といえば、古来より「くじ取らず」で、後祭の先頭を巡行していましたが、明治初期に北観音山が復興されたため、編成上の理由で次の二番目に巡行しています。(^。^)

舁山では唯一のくじ取らずの山で、巡行時のくじ改めの時、奉行の前で山をまわさず特別扱いになっています。(^-^)

また、橋弁慶山は、牛若丸と弁慶が五条大橋の上で戦う姿をあらわしており、数ある義経の物語の中で謡曲「橋弁慶」を題材としています。(^_^)

弁慶は鎧姿に大長刀を斜めにかまえ、牛若丸は橋の欄干の擬宝珠の上に足駄で立ち片足を曲げ右手に太刀を持っています。m(._.)m

狂言「鬮罪人(くじざいにん)で、室町期の町の人々がその年の祇園祭の趣向を相談する話で橋弁慶山と鯉山が登場することから、当時すでに両山が存在していたことがうかがえるそうです。( ^_^)/~~~

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室町時代から続く「橋弁慶山」、、、江戸時代に製作された前懸が現代の名工の手で修復されたとのこと。(^_^)

古都に流れる悠久の時間を実感する話題ですね。(^。^)

みちのくは岩手県にある名刹「中尊寺」と「毛越寺」では、毎年五月、奥州藤原氏の栄華を偲び、その御魂を供養する「奥州藤原祭」が開催されます。m(._.)m

都から奥州みちのくへ、、、義経と弁慶ゆかりの土地ですよね。( ^_^)/~~~

「みちのくの春や藤原祭かな」 祖谷馬関

(注)岩手県平泉町中尊寺と毛越寺で五月一日から五日にかけて行われる供養祭。期間中「弁慶の力餅つき」や能、狂言が奉納されるが、 メーンは五月三日の「源義経公東下り絵巻」で、総勢九十名余の華やかな武者行列が、毛越寺を出発して中尊寺まで練り歩く。
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