『アテンションプリーズ』は、70年のTBSドラマで、紀比呂子さん主演の大人気ドラマでした。
英語の苦手な主人公が、鬼教官の厳しい訓練に耐え、国際線のスチュワーデスになるというサクセスストーリーです。
そこに流れる精神は、『巨人の星』にも共通するもので、この年代の価値観ともいえる、根性、向上心、優しさなど、人間(日本人)の『美しい心』だと思います。
また、スチュワーデスという職業が、非常に魅力的に描かれており、女の子の憧れになったのは、間違いないところです。
70年は淳子さん少6の時です。この番組をみて、目を輝かせながら、夢みる気持ちで秋田西中に進学したことでしょう。
淳子さんは、入学後、すぐに卓球部に入りましたが、 将来の夢として、スチュワーデスになりたかったそうです。まさに『アテンションプリーズ』と同じ道です。
卓球部を辞めた理由は、私的には、遠近感がとりにくい視力のせいかな、と理解した方が残念ながらすんなりします。ご本人は否定するでしょうが。
というわけで、行動力のある淳子さんは、友達と演劇部を作ってしまいます。これが運命の分かれ道だったのかな。
淳子さんは、運命に導かれたというより、運命を切り開いて、芸能界に飛び込みました。
中2で単身上京した可憐な夢見る乙女の精神は、逆境にもまけない強いものであったと思います。
阿久悠さんが淳子さんの心を読み、淳子さんが、表現した歌は、紛れもなく、70年代の精神そのものでした。
75年、淳子さんが、『17の夏』で大衆賞をとった時のTBSアナウンサーの紹介のナレーションを聞いて確信しました。こう結んでいます『彼女の歌には、青春のすべてがあざやかに感じられます。』私だけではなかった。やはり、70年代の青春の象徴だったんだ。
なぜその時代『感じる』ことができたのか、それは淳子さんの精神の強さと無関係ではないと思う。
『17の夏』を歌い上げる終盤でのアイドル離れした鬼気せまる真剣な眼差しが好きでたまらなかった。
しかし、70年後半には、『わざとらしい』と言われ始めたのは、時代感覚の変わり目を迎えようとしたからでしょうか。
80年代は、10年という歳月をかけて、70年代が作り上げた、根性、まじめなどの価値観をパロディ化し、色あせたものとしてしまったようです。梶原一騎的、阿久悠的な感覚は、ずれてきたのかもしれません。
そう言えば、『スチュワーデス』という女性を表すことばが敬遠されたのも、80年代です。
90年代に入り、『がんばりやの天使』は、どんな質問でも、一つ一つき真面目に答えようとする気質が、最後に悲劇を産んでしまったことが残念で仕方がありません。
そして、70年代スポ根漫画の最終章は、根性、努力での過酷な訓練、愚直なまでの真面目さが、体を蝕むなど、周りからみて必ずしも幸せな結末ではないことが多いのが思い出されます。
せめて、『アテンションプリーズ』のようにハッピーエンドの方が、淳子さん的には、幸せだったのかな。
それでも、ご本人の心の安らぎが得られたのなら、何もいうことはありまん。
最後に、あの事件から20年、淳子さんのメッセージ性の強い個性が今受け入れられるかは、甚だ疑問ですが、選挙の雲行きがある現状、淳子さんの名が再び統一教会のくくりの中で利用され汚されないことが私の希望です。
イワタヤイセタン
英語の苦手な主人公が、鬼教官の厳しい訓練に耐え、国際線のスチュワーデスになるというサクセスストーリーです。
そこに流れる精神は、『巨人の星』にも共通するもので、この年代の価値観ともいえる、根性、向上心、優しさなど、人間(日本人)の『美しい心』だと思います。
また、スチュワーデスという職業が、非常に魅力的に描かれており、女の子の憧れになったのは、間違いないところです。
70年は淳子さん少6の時です。この番組をみて、目を輝かせながら、夢みる気持ちで秋田西中に進学したことでしょう。
淳子さんは、入学後、すぐに卓球部に入りましたが、 将来の夢として、スチュワーデスになりたかったそうです。まさに『アテンションプリーズ』と同じ道です。
卓球部を辞めた理由は、私的には、遠近感がとりにくい視力のせいかな、と理解した方が残念ながらすんなりします。ご本人は否定するでしょうが。
というわけで、行動力のある淳子さんは、友達と演劇部を作ってしまいます。これが運命の分かれ道だったのかな。
淳子さんは、運命に導かれたというより、運命を切り開いて、芸能界に飛び込みました。
中2で単身上京した可憐な夢見る乙女の精神は、逆境にもまけない強いものであったと思います。
阿久悠さんが淳子さんの心を読み、淳子さんが、表現した歌は、紛れもなく、70年代の精神そのものでした。
75年、淳子さんが、『17の夏』で大衆賞をとった時のTBSアナウンサーの紹介のナレーションを聞いて確信しました。こう結んでいます『彼女の歌には、青春のすべてがあざやかに感じられます。』私だけではなかった。やはり、70年代の青春の象徴だったんだ。
なぜその時代『感じる』ことができたのか、それは淳子さんの精神の強さと無関係ではないと思う。
『17の夏』を歌い上げる終盤でのアイドル離れした鬼気せまる真剣な眼差しが好きでたまらなかった。
しかし、70年後半には、『わざとらしい』と言われ始めたのは、時代感覚の変わり目を迎えようとしたからでしょうか。
80年代は、10年という歳月をかけて、70年代が作り上げた、根性、まじめなどの価値観をパロディ化し、色あせたものとしてしまったようです。梶原一騎的、阿久悠的な感覚は、ずれてきたのかもしれません。
そう言えば、『スチュワーデス』という女性を表すことばが敬遠されたのも、80年代です。
90年代に入り、『がんばりやの天使』は、どんな質問でも、一つ一つき真面目に答えようとする気質が、最後に悲劇を産んでしまったことが残念で仕方がありません。
そして、70年代スポ根漫画の最終章は、根性、努力での過酷な訓練、愚直なまでの真面目さが、体を蝕むなど、周りからみて必ずしも幸せな結末ではないことが多いのが思い出されます。
せめて、『アテンションプリーズ』のようにハッピーエンドの方が、淳子さん的には、幸せだったのかな。
それでも、ご本人の心の安らぎが得られたのなら、何もいうことはありまん。
最後に、あの事件から20年、淳子さんのメッセージ性の強い個性が今受け入れられるかは、甚だ疑問ですが、選挙の雲行きがある現状、淳子さんの名が再び統一教会のくくりの中で利用され汚されないことが私の希望です。
イワタヤイセタン
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