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老舗ワタクシ本舗

大好きなドラマの事、日常の出来事など。

『火垂るの墓』 終戦60年SPドラマ

2005-11-02 18:53:39 | 『ドラマ本舗 スペシャルドラマ』
ー火葬場ー

明治、大正、昭和、平成、4つの時代を生き抜かれた故人(久子・松嶋菜々子)

が今、安らかに旅立たれました。

お骨を拾う娘なつ76(岸恵子)と曾孫恵子16(井上真央)自宅に戻り、

遺品を整理するなつの目に20年前の新聞紙に包まれたあのドロップの缶が・・・

あの夏、昭和20年の私達は沢山のものを失いました。
戦争は町も、人も、そして私達の心も燃やしました。
これは私達家族の悲しく、むごい、戦争の記録です。


ー 昭和18年 夏 ー

海軍大佐・横川清(沢村一樹)は出征に際し、長男清太15(石田法嗣)に

大黒柱となり、心臓の悪い母京子(夏川結衣)と幼い妹節子5(佐々木麻緒)を

守り抜く様、言い聞かせられる。

一方、久子(松嶋菜々子)も又同じ日、夫澤野源造(伊原剛志)を戦地へと

送り出さねばならぬ、苦悩を抱えていた。

赤飯が食べれると、無邪気に喜ぶ、妹はな12(福田麻由子)ゆき10(飯原成美)

貞造7(堀江晶太)を尻目に長女なつ16(井上真央・二役)だけは、久子同様、

落胆の色を隠せない。必ず帰って、と泣きながら訴える久子に、昔から

逃げ足だけは、早いんだ。と帰途を約束し出征する源造。

その帰り道、久子は偶然従姉妹の京子と会ったのです。
私達が、清太くんと、節ちゃんに始めて会ったのは、
父源造が出征した日の事でした。
私の母と、清太くんのお母さんは従姉妹同士にあたりましたが、
それまではあまり親しく付き合った事がありませんでした。
けれど、同じ日に夫を戦地に見送った事で、
目に見えない絆が生まれたそうです。
私達一家はアメリカ軍の東京奇襲で家を失い、
神戸に近い満池谷に疎開をしてちょうど半年が経っていたのでした。


妻同士、困った時は助け合い、子供達を守って行こうと、約束する、
二人だったのです。
男達が戦争に行った事を除けば、まだまだのどかな夏でした。

ー 昭和20年 3月 ー

けれど、昭和20年になると、3月10日の東京大空襲で、
10万人もの犠牲者が出たのに続き、大阪、名古屋等の地方都市も、
相次いで空襲に見舞われました。
神戸も例外ではなく3月17日、5月11日と2度に渡る空襲で
神戸の西半分が全滅、死者4000人被災者20万人にものぼる
壊滅的な大打撃を受けました。
この頃になると配給のお米も底をつき、
一般の人にも戦争の本当の姿が見え始めていたのです。

そしてあの日、6月5日がやってきました。


空襲警報に食糧を床下に隠す清太ですが、心臓の悪い母京子に、

先に防空壕に行く様促します。節子は自分が連れて行くと。

家を出た清太を待っていたのは、空を覆い尽くす黒い塊、B29の戦闘軍団

だったのです。逃げ惑う清太、節子を背負い父との約束を果たす為、

必死に走る清太。橋桁の下で黒い雨を避けながら、身を寄せる二人。

川原の土手を上ると、見る影も無い焼け野原が広がっていたのです。

清太にしがみつく節子。その時「被災者の皆さん御影国民学校に避難して下さい」の声、

母を捜す為向う二人を待っていたのは、叔母の久子と、瀕死の母京子でした。

母は、病院に行ったと嘘をつく清太、片方落とした下駄を拾いに行きたいと

ごねる節子に、久子も自宅に来るよう優しく諭します。

優しく抱きしめ、家に招き入れる久子。翌日母の遺骨を持って久子の家に、

父が帰るまでと、置いてもらう事にした清太は早速手紙をしたためます。

拝啓 父上様 
本日は悲しい知らせをお伝えしなければなりません。
母上が6月5日の空襲で亡くなられました。
僕と節子は無事で西宮の久子叔母様の家にお世話になっております。
久子叔母様は大変親切にして下さいますが、
この先如何すればよいのか父上のご指示を仰ぎたく存じます。
一刻も早いご返事をお願い申し上げます。


自分の食事を削ってまで、面倒をみる久子ですが、清太が焼け跡から持って来た食糧を

見て、軍人と庶民の違いを見せ付けられるのでした。苦しい家計を案じて、義弟の

善衛(要潤)が通帳を出しますが、源造に叱られると、断ります。

質素な食事に不満を漏らす子供達に、何処も同じだとたしなめるなつ、貞造が清太と

節子のせいだと言い出し、久子に叱られます。夜泣きする節子、みんなを起こしては

いけないと外に連れ出しますが、身体の弱い貞造も熱を出し、食糧の乏しさを実感する久子。

着物を売ってお米に変えようとしますが、思った量がもらえず、食い下がりますが、

清太が勤労動員にも、隣組の防火活動にも来ていない事を咎められ、立つ瀬が無い。

雨の中、戻る久子に夫の戦死の知らせが。立派な最期だと言われた久子ですが、死ぬ事は

立派ではないと、涙。帝国陸軍の一員として、喜ばしい事だと言う、清太を睨み、

かたきなんてとってくれなくていい!と、部屋を出て号泣。

夜中に具合の悪くなった貞造ですが、医者は来ない、相変わらずの節子の夜泣きに

業を煮やして、二人の部屋へ、雨漏りの音がうるさいと言う清太、お腹も空いている

自分が持って来た、かつぶしか、炒り大豆は無いかと聞かれ、もうとっくに無い!と

止めるなつに貞造まで死なせるわけにはいかないと、雨の中をもう一度医者を

呼びに出て行く久子。
この日を最後に母は2度と涙を見せませんでした。
父の戦死の知らせは母にある覚悟を促したのです。
私は今もこの翌日の出来事を忘れる事が出来ません。


おじやを見つめ、決心する久子。清太と節子に上澄みだけをよそおう久子。その夜も。

久子に話しますが、配給も減ったし、言いたい事があるならはっきり言えと

突き放します。ぶらぶらしてご飯だけ食べたいとは、虫が良すぎる、形見の指輪を

米に変えたらどうかと提案。その日は白米を食べるみんなですが、又質素な食事に

喉を通らない節子。見かねて、久子に白米を要求しますが、働きもしない、今まで

二人が食べていたのはだれのご飯なの?と言われ、食事を別にする事に。
7月に入ると、いよいよ配給は途切れがちになりました。
東京から疎開してきた私達には、残り少ない食糧を分けてくれる
親戚も知り合いもいませんでした。


とうとう家を出て、古い防空壕の横穴に住む事にした清太と、節子。

義弟の善衛も久子の変貌ぶりに家を出る覚悟をする。

なつは久子が許せず、「鬼」と言います。

夜泣きする節子に蛍を捕まえて、横穴に放す清太翌日蛍はみんな死んでいます。

節子は蛍の墓を作りながら、母が亡くなった事を知っていると、清太に告げます。

農家で野菜を盗もうとして、捕まった清太を見かけ、戸惑うなつ。
それ以来、私は清太くんと節ちゃんの事を口にしなくなりました。
誰もが生きる為に必死でした。誰もが自分を見失っていました。
誰もが大切なものをわすれていました。
明日空襲で焼け死ぬかもしれないと、
明日食べる物が無くなって、飢えるかも知れない。
その恐怖と不安に勝るものなど、何処にもありませんでした。


衰弱してきた節子を病院に連れて行きますが、滋養のある物を食べさせる事だと

医者に言われ、よろずやに盗みに入り、ボコボコにされ、駐在に連れて行かれる。

謝ってもう一度面倒を見てもらえと言う、駐在(生瀬勝久)引き取りに来た久子に節子の

容態を話そうとしますが、帰っても食糧もないし困る。といわれ、

「僕は海軍大佐、横川清の長男だぁー」と叫び、節子の待つ横穴へと戻ります。

いよいよ危ない節子ですが、清太の腫れ上がった顔を見て、清太の頭を撫でます。

翌朝、おはじきを口に入れてドロップ食べたら元気になった!と言ったきり、倒れた節子。

食糧を買いに行った、町で終戦の事を知り、ボー然とよろずやへ、ドロボーに売るものは

ないという、夫婦に土下座をして、節子が死にそうだと、米と卵を売って貰います。

戻って、米を研ぐ清太ですが、動かぬ節子に気付き慌てて傍に駆け寄ります。

屋根を直す久子に戦争が終わったんだから、清太たちを探して来ると家を出たなつ。

節子の亡き骸を背負い、母と歩いた海岸を歩き、海の見える丘にやって来た清太。

小さな節子に片方だけになった下駄を履かせ、「節子、ごめんな。もう片っぽ

探してやれんで・・きっとな、おかあちゃんが持ってはるで。」小さな棺に火を放つ清太。

久子と、なつは横穴や、林を二人を探し回ります。

清太くんは節ちゃんの小さな遺骨をドロップの缶に入れると、
そのまま横穴へは戻りませんでした。
清太くんが三宮駅で亡くなり、他の浮浪児の遺体と共に、
荼毘に付されたのは、戦争が終わってからおよそ一ヵ月後、
戦災孤児の法が法律で定められた翌日のことでした。


清太の寄りかかる駅の柱に一匹の蛍・・・ゆっくり目を閉じ頭を垂れる、清太。

駅前の焼け野原にドロップの缶を見つける久子。二匹の蛍が焼け野原を飛んでいきます。

もう生きていたくないと、泣くなつに、ビンタ、「戦争は終わってない、本当の戦争は

これからなんだ」と久子。「死んだらおしまいなんだ」と自分に言い聞かせるように

なつを抱きしめます。
母はこの後、私達を連れて、東京に戻り、どんな苦労にも涙ひとつ、
愚痴ひとつこぼさず、私達4人を育て上げました。
そして95歳で亡くなるまで、一度も戦争の事は口にしませんでした。


恵子と、満池谷に来た、なつ。ここが疎開先だと話すなつに、初めて聞いたと、恵子。

「思い出したくなかったの、戦争の事もここで起こった事も、清太くんや節ちゃんが

亡くなった事も。でもおかあさんはちゃんと覚えていたのね、それでこれを見る度に、

生きてしまった重さをかみ締めていたのかも知れない。」「戦争って昔話じゃないんだね」

と恵子「この川何処まで流れているんだろうね?」

ドロップの缶から、小さく細かい骨を掌に乗せ、川に流すなつ、その骨の粉が蛍に変わり、

空へと飛んで行きます。


夏になると、何度となく放映されてきた、「火垂るの墓」。
幼い二人を思うと、泣かずにはいられない話。
今回は叔母の視点からで違う意味で切なかった。
自分と置き換えた時の事を考えると、久子に共感してしまうのです。
あれが例えば京子だったら、軍人の妻だったら、
配給にも差が出たのではないかとか、考えさせられました。
戦争は久子から、夫も、優しい心も、人間としての情けさえ、奪って行ったのです。
そして戦争はいつも、一番弱く、時に無抵抗な人をも傷つけて行きます。
番組の最後に、この作品はフィクションですが、世界にはまだ、
清太や節子のような子供達が沢山いる。とありました。
戦争を知らず、飽食の時代に生まれ育った私には想像も出来ない世界。
でも、どうか平和を愛する人が一人でも増えていきますように。





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