アイ!サラマッポ in バギオ

フィリピン人介護者のケアを受けながらの、フィリピンでのインディペンデント・リヴィング…、心の赴くまま、ここに記します。

インドネシア・フィリピン人の介護福祉士「候補者」

2009-01-29 18:31:16 | フィリピン人看護師・介護士(Caregiver)

 昨夜のNHK「ニュース7」で、インドネシア人介護福祉士候補生がいよいよ介護現場での研修に入ると報じられていました。昨年8月、北京オリンピック直前に、オリンピックムード一色の日本に、オリンピックとは無縁かのようなインドネシア人看護師と介護士2百名余りが入国、半年に及ぶ日本語研修を終えての次のステップに入ったわけです。その介護現場(特養老人ホーム)に向かうバスの中で、「(まだ日本語がうまく話せないから)シンパイ。」と言う男性と、「ダイジョウブ、ダイジョウブ…。」と笑顔で自分に言い聞かせているかのような女性の対照的な表情が印象に残りました。

 日本人でも合格率が約50%の介護福祉士の国家試験の受験条件の一つには、「3年間の介護現場での実習」があり、彼らはそれを経て、3年後に「一度だけ」「日本語で」受験するチャンスが与えられる、ということになります。彼らが与えられている猶予期間は4年間ですから…。「その一度の受験にパスできなければ、自国へ帰る」という条件のもとで日本にやってきた訳ですが、その高すぎるハードルをクリアできる人は、まずいないか、いてもごくわずかでしょう。
 
まるで、当初から、4年経過後にインドネシア人介護福祉士の誕生と、その後も日本にとどまって介護福祉士として働いてもらうことを期待していないかのような、厚生労働省の厳しすぎる条件提示です。

 しかし、私は、NHKのインタビューを受けているそのインドネシア人の表情を見ていて、少なくとも、受験までのこれから3年間は、お年寄りの介護現場に、何らかの良い足跡を残してくれるだろうことを期待させられたのです。実際の介護現場では、言葉の壁や習慣の違い等により、様々な問題が生じるでしょうが、それらも良い意味で、日本の介護現場に問題を提起することにもなるだろうと思います。

 その南国の純粋な若者たちには、日本のお年寄りに通じうる何かを秘めているように思えたのです。言葉は通じにくくても、心は必ず通い合うはずです。そして、なぜか気持ちがワクワクしました。


 さて、フィリピンでは、4月の「看護師2百名、ケアギヴァー(介護士)3百名」の受け入れに向けて、フィリピン国内での公募や選考のプロセスが進んでいくことでしょう。
「看護師」は、フィリピンでの看護資格を持ち、3年以上の実務経験があること。一方のケアギヴァー(介護士)は、看護大学か、4年制の大学卒業者で、フィリピンの政府機関「TESDA-テスダ」(Technical Education and Skills Development authority-技術教育技能開発庁)の「ケアギヴァー認定証」があれば、日本の介護福祉士候補生として、「3百名」の枠に入るべく応募資格が与えられます。

 現在、バギオでの私の生活に、専従介護者として関わってくれているのは、結局、メディカル課程は出ていないが、マニラにいた時からもう1年間以上ケアをしてくれているマリアさんと、以前は助っ人として一時的に関わってくれていたジェンさんが、年末年始をバギオよりもっと北部の実家で過ごした後、バギオに戻って来てくれ、その二人に落ち着いています。二人ともステイ・イン・ケアギヴァーという形で、住み込みなので、私も助かるし、生活経費がかからず、お給料をそっくり貯金できる彼女たちにとっても好都合な訳です。

 それはさておき、ジェンさんは3年前に看護課程を卒業しており、今年は再度看護師国家試験に挑む予定でいるようです。その彼女も、「TESDA」のケアギヴァー認定証さえあれば、日本への「ケアギヴァー」としての応募する資格が生じることになります。今日、バギオ市内の「TESDA」に問い合わせたところ、担当者が今マニラに出張中で、来週帰ってきたら連絡してほしいとのこと。これはひょっとしたら、今からでも間に合う話なのかも…と胸を躍らせながらも、当の本人にはあまり期待しないように伝えてあります。でも、ひょっとしたら…。(また、事態が転じたら報告します。)

 

<写真> マインズ・ビューでイゴロット民族衣装をまとってポーズ…のジェンさん。

 …その後、フィリピン人介護福祉士候補生に関してもう少し調べてみると、ほぼ1年前の2007年12月に、「社会福祉士及び介護福祉士法等の一部を改正する法律案」が可決され、その中で准介護福祉士の資格が新たに設けられたようです。フィリピン人ケアギヴァーにも日本人と同じ介護福祉士国家試験を課しながら、不合格となっても「准」介護福祉士として日本で介護の仕事に就く道を開くということのようです。そこでは4年後の2013年までの期限付きの暫定措置と修正されたようですが、それだとこれから4年後ですから意味のない措置となりそうです。

<付記> 昨日付の、友人からのメールの情報によると…
「フィリピン側の申請窓口のホームページが動かなくなってしまい、申請できない状態が続いているようです。」