俺は幸せだなと
思うときがある。
俺には、仲間がいる。
それも、
別に学校の友達や
職場で出逢った人たちじゃない。
部下でも上司でもない。
完全にイコールで
関われる存在がいる。
それも、かなり多方面の、
あらゆる業界にいる。
「大人になってから、
自分の意思でつながることを
明確に決めた人たちと一緒に、
闘うことができる」
そういう関係性や状況を、
冷静になって考えてみると、
案外ぼーっとしていたら
なかなかないことなのかも
しれないな、と思った。
だってそうだよね?
普通なら職場にいって、
偶然居合わせた人たちと
呼吸を合わせて
生きていくってのが
たぶん大方の人の
生き方なわけでしょ。
それか学生時代に
「ともだち」だった人たちと、
無自覚的に、
「なんとなくの付き合い」を
続けていくわけじゃん。
それもほぼ偶有性の
産物だったりすることが
ほとんどだ。
俺には友達がいないとか、
良く書いているけど、
実は結構たくさんいるんだよ。
でもね、自分の意思が
ないところで
出逢った人たちとは
結果的に、
99%離れている。
自分で
「この人と付き合うぜ!」と
決めた人以外とは、
どうも何も分かち合えない
ような気がしてね。
俺は「歩く社交性」みたいな
外向性満点に見える
アウトゴーイングな人に
見えるだろうし、
実際そうなんだけどさ、
興味がない人には
あまり上っ面で
関われないんだ。
学校で一緒だったとか、
職場で時間を共に
過ごしたとか、
そういう形式
・ 儀礼的な関係性は
あまり自分には意味を
持たなくてさ。
そういう意味では、
たぶん相当不器用なのかも
しんないとか思ってる。
だから、
かつての学友だとか
職場仲間だとかで、
今も連絡をとっている
ヤツは片手で数え
られるくらいしか
いない。
地元のヤツなんて
片手もいないし、
大学時代の仲間も
片手しかいないし、
一緒に「偶然働いたことが
ある人たち」で
今もつながっている
人も同じだ。
でもそういう
「今つながっている人たち」
とは、
自分の意思でつながって
いきたいと思って、
そうしている。
だから俺の周りは、
全て自分の意思で、
つながることを選んだ
人+相手もそう思って
くれた人たちだけだ。
そこに俺は自分の
生きる基準を持ち込んで、
割と忠実に、
誠実に守ってやって
いる気がするよ。
すなわち、誰といるか。
そして、そいつと何をするか。
ここだけは
徹底的に向き合って、
興味をもった人と
しかやってない
なって思う。
ビジネスの世界なんで、
利害関係が
優先することは
多いのかも
しれないけど、
俺は利害関係の
前に徹底的に
こいつが自分の身近な
世界に存在してほしいか
どうかという点だけで
選択して生きている。
だから、幸せだな俺って
自覚を持って
言い切れるんだと
思うんだ。
あなたは、どう・・・
そんな俺の仲間の
うちの一人、
カンタウロスとは
もうかれこれ7年とか
くらいかな?
音沙汰なしでやってきた。
出逢ったときは、
お互いただのアルバイト
みたいなもんだった。
ちんちくりん。
再会したとき
お互いの立場も
やっていることも
完全に変わっていた。
でも「やはりこいつは友と呼びたい」
と感じた。
だから彼とは、
かつて若い頃に
情熱を分かち合った
「コーヒー」をテーマに、
原点的なフィールドを
戦場にすることを選んだ。
かつて情熱を
共有した友は、
今度は戦友になった。
私の先生とは、
10年間、連絡を
とってこなかった。
俺は不祥の弟子だと
自覚していて、
先生には捨てられたと
思っていたんだ。
だから弟子の
自分からは先生には
声をかけられない
ということで、
でも、再会した日に
先生の力になりたい
と思って、武器を磨き、
力を整え、
いつ先生が俺の前に
再び現れても
いいように
生きてきた。
そして再会した
その日に、共闘を誓った。
お付き合いを拡大
致しております。
ご連絡戴ければ幸甚で
ございます。
其れでは亦・・・
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