今日、これから実家へ帰ります。鎌倉経由の予定です。
戻ってくるのは1月2日の予定で、それまでインターネット環境が整わないので、日記は一旦休止です。
1月2日から再会予定ですので、ご期待下さい。
今年、このブログを訪れて頂いた方々、本年は大変お世話になりました。
来年も宜しくお願いします。 . . . 本文を読む
江戸時代、日本人は1年間に太陽から注がれるエネルギーを最大限に利用し、この列島国と言う、ほぼ閉鎖された環境下で、約3000万人の人口を養ってきた。それが実に250年間に渡り続いたのである。
我々も祖先である江戸時代の人々の智慧に習うべきであろう。
太陽がこの列島国に降り注ぐエネルギー、山岳部、大洋に注ぐ分まで利用し利用し尽くして、足りない分だけ埋蔵エネルギーで賄う。そんな理想的な社会の実現を . . . 本文を読む
この列島国「日本」には幾つかの問題があるが「食」は最大の問題である。特に自給率の低さはもはや、問題を通り越しているように思う。
日本の人口が3000万人程度まで減少すれば、米の生産も現在の4分の一で充分であろう、他に主食となるであろう小麦等の生産力を上げ、食肉の生産も増やす必要がある。野菜類の生産力も4分の一程度で足りるはずなので、土地は充分を越えるだけの余裕がうまれるはずだ。
しかも人口減 . . . 本文を読む
日本では戦国時代末期以前は、石高ではなく貫高であった。石高に変わったのはたぶん秀吉の検地以降であると思う。さて、この貫高であるが地方によって大きく違う為、簡単に千貫文の土地が何石と言えない。
信州のある地方では700貫文で1500石と言う記述を見た事があるし、東北では1000貫文で1000石との記述を見た事もある。
尺貫法が確定する以前の問題であるから、これはしょうがないのであるが、石高に統 . . . 本文を読む
今日から正月休みとなり、午後3時過ぎから銭湯へ行って来ました。湯船に浸かっている時間が1時間半あまり、家に戻って来たのは5時近くでした。
全身から汗を垂らしながら、衣食住の内、住環境の一つである風呂について考えていました。
日本人は古来より、清潔好きで風呂好きとされて来ました。もっともこれは幕末の時代のヨーロッパ人が、それほど入浴を好まなかった、あるいは毎日の入浴を習慣としていなかっただけで . . . 本文を読む
衣食住(その7)
衣食住の中で、もっとも重要なのは実は残った「食」である。飽食の時代と呼ばれて久しいが、「食」が足りなければ暴動、革命が起こる。暴動、例えば農民一揆などは、農民が重課税に耐えきれず、自分たちが食えなくなるとおこす暴動である。
施政者は「食」だけには充分に気を付けねばならない。アメリカの狂牛病、アジア各地で感染が確認された鳥インフルエンザ、いずれも自然が人間に対して鋭い牙を剥 . . . 本文を読む
綺麗な着物を着、美味い物を食べ、広い場所に住む、これが人々の願いであろう。他にも様々な願いがあるが、人々が高い年収を得ようするのは、この根本的な願いを叶える為であると言える。他にも子孫を多く育てたいとか、子孫に充分な教育を受けさせたいとか、自分の地位を向上させたいとか、社会的な貢献したいとか・・他にも社会的な思惑があるだろうと思うが、基本はこの根本的な3つの願いであると思う。
その中で、今もっ . . . 本文を読む
いよいよと言うか、もうと言うか、明日は仕事納めとなりました。明後日から正月休みです。
前回も書きましたが、今では正月を迎えると言っても、これと言った事もありません。ほとんど長い休暇、五月の連休とか夏休みを迎える時とそれほど変わらないように思います。
石野真琴は実家へ帰るのでだいぶ違いますが・・・。
石野真琴の実家では、正月にはお雑煮を食べます。酒を飲まないのでお屠蘇は頂きません、しかし、本 . . . 本文を読む
江戸時代、「火事と喧嘩は江戸の花」と言い、それほど火事が多かったと言う江戸の町は、何度焼かれてもそのたびに復旧させて来た。地震で崩壊した事も何度かある。
これも木材と紙で作られた家だから出来た事で、煉瓦やブロックなどで作った家は火事には強くとも地震には弱く、完全に家が崩れてしまってからでは、簡単に復旧させる事は難しいのである。
樹木は40年から50年で立派な大木となる、人も家をその周期に合わ . . . 本文を読む
今日は12月26日、本年最後となる12月31日、大晦日までわずかに5日、そう考えれば一年が終るまで、ほんのわずかとなったのである。
年越しの儀式として、2年参りと言う風習がある。
2年参りとは12月31日の12時前に家を出て、1月1日の早朝と言うか夜中である0時ちょうど頃に神社仏閣にお参りして、帰ってくると言うものだ。
石野真琴の場合は近くの天神宮にお参りする。この天神宮に関しても、色々あ . . . 本文を読む