石野真琴のなんでもあり?

多趣味な石野真琴が、普段感じている事、将棋、祭り、甲冑等々、趣味の内容を描きます

銭湯を見直そう

2005-12-29 19:54:23 | 趣味
 今日から正月休みとなり、午後3時過ぎから銭湯へ行って来ました。湯船に浸かっている時間が1時間半あまり、家に戻って来たのは5時近くでした。
 全身から汗を垂らしながら、衣食住の内、住環境の一つである風呂について考えていました。
 日本人は古来より、清潔好きで風呂好きとされて来ました。もっともこれは幕末の時代のヨーロッパ人が、それほど入浴を好まなかった、あるいは毎日の入浴を習慣としていなかっただけであろうと思われます。
 日本人は大変入浴を好む民族である事は間違いなく、江戸時代の江戸の町人でさえ、ほぼ毎日入浴していたとされます。
 さて、江戸の町には銭湯と言う湯屋がありました。この銭湯の存在が江戸時代の江戸庶民を風呂好きにした原因かも知れません。
 江戸時代、一般に蕎麦、夜泣き蕎麦の料金は16文でした。それに対して銭湯の料金がわずかに8文であったとされます。
 江戸時代の貨幣価値を現代の貨幣価値に換算するのは非常に難しいので、単純には比較できません。また江戸時代の貨幣単位も難しく、金貨は「両」、「分」、「朱」。銀貨にも「分」と「朱」があった見たいですが、銀は普通「匁」、そして銭は「文」、「両」と「文」の換算は毎日「市」が立って、換算も変わったとされます。
 ちなみに江戸時代初期は1両=6000文。江戸も後期となると1両=4000文となります。これには1両小判の金含有量の減少などが、大きく影響されたと思われます。
 よく言われる1両=8万円前後説(米の値段換算)で、江戸時代の初期ぐらいとすれば、1文13円ぐらいとなるで、蕎麦一杯が220円、銭湯の料金は1回あたり110円ぐらいとなります。
 石野真琴は1両=20万円~25万円(大工の収入が年間約20両で500万円相当換算)と言う説を採用しているので、幕末の諸式物価高騰の時代で、かけ蕎麦1杯がなんと960円と計算され、銭湯1回あたりの料金が480円となります。
 現在の銭湯が400円だから、それより高い計算です。

 さて、現代では大概のアパートやマンションに内風呂があります。しかし、江戸時代は最低でも下男や下女を雇えるだけの金持ちで、しかも家屋敷を作り直せる財産が無いと内風呂を作るのは難しかったと思います。
 長くなりすぎたので続きは次回とします。 

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