石野真琴のなんでもあり?

多趣味な石野真琴が、普段感じている事、将棋、祭り、甲冑等々、趣味の内容を描きます

衣食住(その8)

2005-12-30 00:09:53 | 趣味
 日本では戦国時代末期以前は、石高ではなく貫高であった。石高に変わったのはたぶん秀吉の検地以降であると思う。さて、この貫高であるが地方によって大きく違う為、簡単に千貫文の土地が何石と言えない。
 信州のある地方では700貫文で1500石と言う記述を見た事があるし、東北では1000貫文で1000石との記述を見た事もある。
 尺貫法が確定する以前の問題であるから、これはしょうがないのであるが、石高に統一されると非常に解りやすくなる。
 江戸時代だとだいたい1反(300坪)の田圃で約2石の米が取れたそうである。1石は約180リットル、100升で、2石は重量にして300キロ(1石は2俵半、1俵は約60キロ、150キロ)ぐらいである。
 これは玄米なので2分突きの白米に精白すると、1石は120キロとなる。1ヶ月に10キロづつ米を食べれば、ちょうど120キロとなる。
 1日に3合の玄米を食べれば、365日で1095合、109升となる。1石は大人一人が一年間に食べる米の量と換算できるのだ。
 1反の田圃を耕すだけではなんとか食える米が生産できるだけで、衣と住をまったく満足できないから、これだけでは成り立たない。親子4人として4反の田圃が必要であり、祖父と自分と子供が食うには1軒で最低で5反ぐらいは必要である。
 明治維新前の江戸時代、この列島国の生産量はおおよそ3000万石でその人口はおおよそ3000万人であった事が知られている。
 その仕組みはよく解らないが、農民が作り税として半分の米を収め、武士がその人数で必要な米を食べ、残った米はやはり庶民が食べる。そうとしか考えられないのである。
 現代日本の農業生産技術と品種改良された米ならば、1反の田圃から4石以上の米が取れる。生産力は江戸時代の倍以上である。
 江戸時代と同じレベルで考えるならば、この列島国の最適人口は現在の日本人口の半分、約6000万人ぐらいと考えるべきであろうか。
 石野真琴はこの列島国の最適人口は、その半分3000万人ぐらいではないかと考えている。    

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