弁護士美和のブログ つづりまとめ

 弁護士 美 和 勇 夫

ミャンマーの悲劇は いつまで つづくか?

2021-04-27 22:08:55 | Weblog

     

竪琴は

   いずこや ビルマの

            遠き 春

                (朝日俳壇)

 映画・ ビルマの竪琴    

https://www.youtube.com/watch?v=Nc8jHAlLBhA

 

 第二次世界大戦時の1945年、現在のミャンマーであるビルマに、音楽学校出身の隊長が率いる日本軍の部隊がいました。彼らは歌を歌うことで隊の士気を高め、労わりあい、団結していました。

特に水島上等兵が奏でる竪琴は素晴らしく、隊員たちは彼の演奏を聞きながら、いつ戦闘が始まるかもしれない状況の自らを鼓舞していました。

 

 ある日、彼らは敵の英軍を油断させようと、イギリスで生まれた民謡「♪埴生の宿」を歌いながら戦いの準備を整えていました。すると、敵方も英語で「埴生の宿」を歌い始めました。

 

両者は相まみえることなく、日本軍はその時自国が戦争に負けたことを知りました。

 

 しかし別の地では、降伏をよしとしない者たちが戦い続けていました。説得をするために、水島が現場に赴くことになりますが、その後何日経っても、彼は戻ってきません。

 そんなある日、隊長は水島によく似た見た目をした僧侶を見かけます。肩に青いインコを乗せていて、話しかけても返事をせず去りました。

 

 帰国の日が決まります。隊員たちはこの地で歌うのも最後と、合唱をくり返しました。すると日本に帰る前日、僧侶が彼らのいる場所に現れました。

 

 隊員が「埴生の宿」を歌うと、歌声にあわせて竪琴を弾きました。僧侶が水島だと確信した彼らは “みずしま 一緒に日本へ帰ろう!”” と呼びかけますが、その僧侶は黙って「♪仰げば尊し」を弾き、去っていったのです。

 

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 幾万の戦友がビルマのジャングルの中、飢えと戦闘の中で死んでいった。

僧侶になった水島は、亡き戦友達の魂を弔うため ビルマに残る。