【特選ログファイル】森元総理、五輪組織委辞任 ~武田邦彦の「ホントの話。」第80回配信より~
私は,エホバの証人ではありませんが,時々,
エホバの証人より配布いただいてる,「目ざめよ」誌・「ものみの塔」誌,パンフレット等より引用の記事もあります。
(どこの宗教,宗派にも属していません)
*いろんな宗教にも交わりました(立正佼成会,創価学会,キリスト教のカトリック,プロテスタント等)
その中で,聖書に忠実に教えてるのは,エホバの証人と思います。
中世の優れた医学者たち 「目ざめよ!」 2012年9月
現代医学は必ずしも現代に始まったわけではありません。今日では一般的になっている医療処置は,ある地域で何世紀も前から用いられていました。
では,中世の中東における医学の歴史を考えてみましょう。
西暦805年,カリフのハールーン・アッラシードは,自分の帝国の首都バグダッドに病院を設立しました。
9世紀から13世紀にかけて,他の支配者たちも,スペインからインドに広がるイスラム帝国各地に病院を建て,運営しました。
これらの病院は,貧富や宗教にかかわらず患者を受け入れました。専門の医師たちは,患者の治療に加えて研究を行ない,新しい医師たちの育成にも当たりました。
病院内は病気の種類ごとに区分されていました。内科,眼科,整形外科,外科,伝染病,精神疾患などです。医師たちは学生たちを伴って,患者を毎朝診察し,食事や薬を処方しました。
また,院内の薬剤師が薬を調合しました。事務管理者は,記録を付け,出費を見守り,食事の準備を監督するなど,種々の業務を行ないました。現代の病院と実によく似ています。
歴史家たちは,これらの病院を「中世のイスラム社会における偉業の一つ」と考えています。
イスラム帝国の各地で,「病院という制度が革命的な仕方で構築され,現代に至るまで保健科学や医療に影響を及ぼしてきた」と,著述家また歴史家であるハワード・R・ターナーは述べています。
ラージー(ラーゼス)は9世紀半ばに,現在のテヘランに近い古代の都市レイで生まれた人で,「イスラム世界において,さらには中世史を通じて,最も偉大な医学者また臨床医」と評されています。この考え深い科学者は,自分の行なった実験の方法,条件,器具,結果などを他の医師たちが活用できるよう記録に残しました。また,医学に関する最新の情報に通じているよう医師すべてに勧めました。
ラージーは数々の業績を残しました。例えば,彼の医学論文をまとめた全23巻のアル・ハーウィ(「包含の書」)は,優れた医学書の一つとされ,産婦人科と眼科手術について初めて記した本と言われています。
ラージーの56の医学文献には,天然痘とはしかについての信頼できる最古の記述が含まれています。ラージーは,発熱が体の防御機能の一つであることも発見しました。
また,レイとバグダッドで病院を運営しました。そこで精神疾患の治療に当たり,心理学と精神療法の父と呼ばれるようになりました。医学だけでなく,化学,天文学,数学,哲学,神学などの本も著わしました。
イブン・シーナー(アビセンナ)も医学における指導的な存在です。現在のウズベキスタンに位置するブハラの出身で,11世紀の偉大な医学者,哲学者,天文学者,数学者の一人です。
イブン・シーナーは,医学全般に関する情報を載せた「医学典範」という本を書きました。
その「医学典範」の中で,結核が伝染すること,病気が水と土壌を介して広がること,感情が体に影響を与えること,神経は痛みや,筋肉の収縮を引き起こす 信号を伝達することなどを述べました。
さらに,約760種の調合薬の特性,作用,効能を述べ,新薬の試験に関する指針も示しています。この本はラテン語に翻訳され,ヨーロッパの医学校で何百年も用いられました。
アブー・アルカーシム(アルブカシス)も医学史において際立った人物です。この10世紀の人は,現在のスペインに位置するアンダルシアの出身で,創意工夫に富んでいました。
手術に関する300ページの論文を含む,全30巻の概説書を著わしました。その論文の中で,腸線を使った体内の縫合,尿路に挿入した器具による膀胱結石の除去,甲状腺切除,白内障手術など,先進的な医療処置について記述しています。
また,「比較的現代的な臨床技術」を用いて,難産に対処し,肩の脱臼を治しました。外科処置に綿を使用し,骨の固定にギプスを使った最初の人でもあります。
抜けた歯の再移植,入れ歯の製作,歯列矯正,歯石除去などの技術についても述べています。
手術に関する彼の論文は,絵入りで手術器具を説明した最古のものです。およそ200種の手術器具の絵が載せられ,いつ,どのように使うかも記さ れています。
そのような手術器具の中には,1,000年たった現在でもデザインがほとんど変わっていないものもあります。
知識は西洋世界に広まる
11世紀から12世紀に,おもにスペインのトレドや,イタリアのモンテ・カッシノやサレルノで,学者たちはアラビア語の医学文献をラテン語に翻訳し始めました。
その翻訳文献は,ラテン語が用いられていたヨーロッパの各地の大学で,医学者たちの研究資料になりました。
こうして中東の医学知識は,「その後幾世紀にもわたって,おそらく他のイスラム科学にもましてヨーロッパに深く浸透した」と科学関係の著述家エサン・マスードは述べています。
ラージー,イブン・シーナー,アブー・アルカーシムなど中世の優れた医学者たちによる発見や発明は,確かに現代医学の基礎になっている,と言えるのです。