「心の痛む」とき
心の内が穏やかではないのに,幸福でいられるでしょうか。
笑って陽気に騒げば,心の深くにある痛みも和らぐでしょうか。
憂うつな気持ちをアルコールで紛らし,薬物を乱用し,性的に乱れた生活をして憂さを晴らそうとするのは,明敏なことでしょうか。
いいえ,そうではありません。
「笑っていても,心の痛むことがある」と賢王ソロモンは述べています。
(箴言・格言 14:13前半)
心痛は笑うことで隠せるとしても,ぬぐい去ることはできません。
「何事にも定められた時がある。……泣くのに時があり,笑うのに時がある。泣き叫ぶのに時があり,跳び回るのに時がある」
と聖書は述べています。
(伝道の書・コヘレトの言葉3:1,4)
憂うつな気持ちがなかなか晴れないなら,それに打ち勝つための手段を講じ,必要であれば「巧みな指導」を求めなければなりません。
「あなたは巧みな指導によって戦いをするからである。助言者の多いところには救いがあるからである」。
(箴言・格言 24:6)
笑いや楽しみ事にも幾らか意義はありますが,その価値は大きくありません。
ソロモン王は,ふさわしくない楽しみ事や過度の娯楽について警告し,
「歓びは悲嘆をもって終わりとなる」と述べています。
(箴言・格言 14:13後半)
「喜びを抱く心はからだを養う」
「喜びに満ちた心は治療薬として良く効き、打ちひしがれた霊は骨を枯らす」
(箴言・格言 17:22)
「陽気な心は健康を良くし、陰気な心は骨を枯らす」
(箴言・格言 17:22)
「知恵があなたの心を訪れ、知識が魂の喜びとなり、慎重さがあなたを保ち、英知が守ってくれるので」
(箴言・格言 2:10,11)
「知恵があなたの心に入り、知識があなたの魂に快いものとなるとき、思考力があなたを守り、識別力があなたを保護するであろう」。
(箴言・格言 2:10,11)