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聖書の音信、日々のニュース関連を書いています。

すずらん(鈴蘭) ~有毒植物

2018年07月05日 | 日記

 

スズラン(鈴蘭)、君影草、谷間の姫百合の別名もある。


強心配糖体のコンバラトキシン、コンバラマリン、コンバロシドなどを含む有毒植物。
有毒物質は全草に持つが、特に花や根に多く含まれる。
摂取した場合、嘔吐、頭痛、眩暈、心不全、血圧低下、心臓麻痺などの症状を起こし、重症の場合は死に至る。

植え替えや植え付けなど長時間触るときは、ゴム手袋をつけて、直接触れないように。
また、小さな子供やペットが周りにいないときに作業をした方が安全
です。触れてしまった場合は、すぐに水で洗い流しましょう。



北海道などで山菜として珍重されるギョウジャニンニクと外見が似ていることもあり、
誤って摂取し中毒症状を起こす例が見られる。スズランを活けた水を飲んでも中毒を起こすことがあり、これらを誤飲して死亡した例もある。

               



コンバラトキシンは強心配糖体の一種。スズランやドイツスズランに含まれる。
スズランの全草に、コンバラマリンとともに含まれる。水1Lに対し500mgの水溶性があり、スズランの全草を浸した液はジギタリスの10ないし15倍の強心作用がある。
大量に摂取すると呼吸停止や心不全を引き起こし、スズランを挿した花瓶の水を飲んだ子どもが死亡した事例がある。
山菜のオオアマドコロやギョウジャニンニクと誤認されることがあり、おひたしおよび油炒めにした場合の調理品への残留量は、それぞれ74%と40%であった。
脂溶性であるため、一部は調理油に溶出した。250℃程度までは、加熱に対し安定している
~Wikipedia~


 


2017-07-05の再掲

 


贖い・・・聖書

2018年07月05日 | 日記

 

【贖い】

定義: 買い戻すために,あるいは何らかの義務もしくは好ましくない境遇からの解放を図るために支払われる代価。
最も重要な贖い代は,イエス・キリストの流された血という贖い代です。
わたしたちはすべて父祖アダムの罪ゆえに罪と死を受け継いでいますが,
イエスはその贖いの代価を天で支払うことにより,アダムの子孫を罪と死から救い出す道を開かれました。


わたしたちがとこしえの命を得られるようにするためとはいえ,
どうして贖いがそのような仕方で備えられなければならなかったのでしょうか
ローマ 5:12: 「一人の人アダムを通して罪が世に入り,罪を通して死が入り,こうして死が,
すべての人が罪をおかしたがゆえにすべての人に広がりました」。
(わたしたちは皆,どんなに廉直な生活をしようとも,生まれながらの罪人です。
「ご覧ください,わたしはとがと共に,産みの苦しみをもって産み出され,
わたしの母は罪のうちにわたしを宿しました」。
(詩編 51:5)
永久に生きる権利を獲得できる方法は一つもありません。)
ローマ 6:23: 「罪の報いは死です」。



詩編 49:6~9: 「自分の資産に依り頼んでいる者たち,自分の豊かな富を誇りとしている者たちは,だれひとりとして,兄弟をさえ決して請け戻すことはできない。
また,彼のための贖いを神にささげることもできない。
(彼らの魂を請け戻す代価は非常に貴重であるので,定めのない時まであり得ないものとなった。)
彼をなお永久に生き続けさせ,坑を見ることのないようにさせようとしても」。
(不完全な人間はだれ一人他の人を罪と死から救い出す手だてを設けることはできません。
お金でとこしえの命を買うこともできませんし,また死んで魂をなげうっても,
その死は罪ゆえにいずれは訪れる報いですから,その魂にはだれを救い出す価値もありません。)


アダムとエバ(イヴ)は反逆したために死ななければならなかったにしても,
二人の子孫で神に従おうとする者は皆,永久に生きることができるという布告を神はなぜ出さなかったのでしょうか
なぜなら,神は「義と公正を愛される方」だからです。
(詩編 33:5)


それで,神は事態の扱い方によってご自分の義を擁護し,絶対的公正の要求を満たしそれと同時に,
ご自分の愛と憐れみを大いなるものとされました。それはどうしてでしょうか。

(1)アダムとエバ(イヴ)は罪を犯す以前には子供をもうけていませんでしたから,完全な人間として
生まれた者は一人もいませんでした。アダムの子孫はすべて罪のうちに生み出され,罪は死をもたらすことになりました。
もし神がこの事をただ単に無視されたならば,ご自分の義の規準を否定したことになったでしょう。
神はそのようにして不義に荷担することはできませんでした。神は“絶対的公正”の要求を回避なさいませんでした。
ですから,理知のあるどんな被造物も,この点で正当な非難を浴びせることは決してできません。
「しかし今や,律法からは離れて神の義が明らかにされました。律法と預言者たちによって証しされているとおりです。
そうです,イエス・キリストに対する信仰による神の義であり,信仰を持つすべての者のためのものです。差別はないからです。
というのは,すべての者は罪をおかしたので神の栄光に達しないからであり,彼らがキリスト・イエスの払った贖いによる釈放を通し,
神の過分のご親切によって義と宣せられるのは,無償の賜物としてなのです。
神はこの方を,その血に対する信仰によるなだめのための捧げ物*として立てられました。これはご自身の義を示すためでした。
神は過去に,すなわちご自分が堪忍を働かせていた間に+なされた罪を許しておられたからです。
こうして今の時期にご自身の義を示し,イエスに信仰を持つ人を義と宣する際にもご自分が義にかなうようにされました」。
(ローマ 3:21~26)

(2)どうすれば,公正の要求を無視せずに,アダムの子孫で,神への愛に基づく従順を立証する人たちを救い出す
ための備えを設けることができるでしょうか。もし,“一人の完全な人間”が犠牲の死を遂げるなら,
公正の要求を曲げることなく,この備えを信仰によって受け入れる人たちの罪をその完全な命をもって覆うことができるでしょう。
一人の人アダムの罪のために人類がすべて罪人となったのですから,
もう一人の完全な人間(事実上,第二のアダム)の流された血は,同等の価値があるので,公正のはかりは釣り合います。
アダムは故意に罪を犯したので,益を受けられませんが,全人類が罪ゆえに受けることになった処罰を,
このようにしてだれかほかの人が受けるなら,アダムの子孫は救い出される可能性があります。
しかし,そのような完全な人間は一人もいませんでした。
人類は絶対的公正のこうした要求を満たすことは決してできませんでした。
それで,神ご自身が驚くべき愛を表わされ,大きな犠牲を払ってその備えを設けてくださいました。
『「最初の人アダムは命のある生き物となった」と書いてありますが,最後のアダムは命を与える霊となったのです』。
(コリント第一 15:45)

神の独り子であったみ子は,進んでご自分の役割を果たされました。
イエスはへりくだって天での栄光をあとにし,完全な人間となって人類のために死なれました。
「ご自分を無にして,仕える者の姿をとり,人間と同じようになられたのです。
キリストは人としての性質をもって現われ,自分を卑しくし,死にまで従い,実に十字架の死にまでも従われたのです」。
(ピリピ・フィリピ 2:7,8)


【例え】

ある家族の頭が犯罪者となって死刑の宣告を受けたとしましょう。その子供たちは窮乏するにまかされ,
借金でどうにもならない状態に陥ります。そこで,優しい祖父がその子供たちのために事態に介入し,
自分と一緒に暮らしている一人の息子を通してその借金を払い,子供たちが新しい生活を始める道を開いてやります。
もちろん,子供たちはその取り決めを受け入れなければ,恩恵は受けられません。
また,祖父は,子供たちが父親の行状を見倣わないよう,ある事柄を要求するかもしれませんが,それは当然なことでしょう。