千紫万紅

☆DIARY☆

雪の遺書

2015-07-06 19:39:40 | 感動した話・ココロ揺さぶられる話
昨日の道新に
雪の遺書の朗読会が行われた
という記事がありました。

私が生まれる前のことですが
父の研究室の教え子二人が
山でなくなったことを聞いていました。

父はいつもネクタイのかわりに
いつも学友がヒマヤラ登山?だったかな?にいった時の
お土産の石がついたループタイを
身に着けていました。

父の故郷は利尻で
利尻富士の絵をとてもとても大切にしていましたし
自分は登らないまでも
山に対して畏敬の念が強かったように思っていましたが
そういえば山で大事な教え子を失くしていたことも
関係してるのかもしれません。

その遺書を当時のワープロでつづったもの
が家にしまってあることを知っていましたので
掘り出して読んでみました。

改めて毎日を大切に生きる事について
考えるキッカケをくれたように思います。

ネットにも記載されていましたので
コピペします。

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十勝管内中札内村中札内川上流の十の沢で昭和40年3月14日未明、 日高山脈縦走中の北大山岳部の登山隊6名が雪崩に巻き込まれ、 全員が死亡した。初期捜索は困難をきわめ、 雪解けをまって再開始された捜索によって、 全員の遺体が発見され、澤田君の胸ポケットの中からは、 ポリエチレンの袋に収められ、地図の裏に書かれた遺書が見つかった。 奇跡的に即死をまぬがれた澤田君が雪崩の雪の下で記したものだ。 絶望の淵で必死に書かれた遺書は強い責任感と家族愛に満ちて 読む人の胸を打つ。

 彼等は必ずしも危険な所で雪洞をつくって露営していたわけではない。 その後の調査によるとこの雪崩は、走行約3km、デブリの長さ1Km、 幅30-100m、量約40万トンの日本国内の雪崩としては最大級に属するものと推定された。
 
 この遭難に関しては、遺稿集『雪の遺書』や、現地の救助隊の吉田勇治氏 の『鎮魂歌 ああ、十の沢』(平成11年)などの書物が出版されているが、 ここでは、北大山岳部々報第10号の遭難報告をもとにした。

 この悲しい事故の鎮魂歌『ああ十の沢』、 『日高哀歌』、 『お母さんごめんなさい』ができています。


 登山計画
   リーダー        澤田義一(農4)
   アシスタント・リーダー 中川昭三(文3)
   メンバー        橋本甲午(農4)、 田中康子(教養2)、
                松井作頼(教養1)、坂井丈寛(教養1)

   日 時 昭和40年3月11日―3月24日最終下山日(行動9日、停滞5日)
   コース 札内川―カムイエクウチカウシ山―カムイ岳―幌尻岳―トッタベツ川

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 遺 書    澤田義一(リーダー)


 三月十四日(?)の深夜ニ時頃、(後で時計を見て逆算した) 突然ナダレが雪洞をおそい、 皆寝ているままにして埋めてしまった。最初、雪洞の斜面がなだれたのかと思ったが、 後ですき間を少しずつ広げてみた結果、入り口よりデブリがなだれこんできたものだった。
 皆は最初の一しゅんで死んだようだったが、私は、幸いにして口のまわりに 間隔があったのを次第に広げて、ついにナタで横穴をニメートル近く掘って 脱出しようとしたが、 外はデブリで埋まっているためか、一向に明るくならずついに死を覚悟する。 ただ今十四日十三時十分、しかし何とか外に出たいものだが、根気負けしてしまった。 一休みしてから考えよう。
 お母さん、お父さんごめんなさい。一足先に行かしてもらうだけです。きっと、何かに 生まれ変わってくるはずです。その時お母さんお父さんを見守っているはずです。
 土田のおばさんすいません。心配が本当になってしまいました。でもゆるしてくださいね。田中さん、坂井君、松井君、中川君、橋本君ごめんなさい。とりかえしのつかぬ失敗 をしてしまって。
 皆さんのお母さんごめんなさい。ついにやってきたのです。きっと天から皆さんを見守っているつもりです。せめてできることはその位です。早く、安らかに眠りたいものです。 どうせ死ぬなら、僕ひとりだけです。
 十四日十三時二十分。尾崎さん別にいいんです。
 内藤さんアマゾンはどうでした。佐藤君、牧野内君、友達として心のふれあう君達だった。 佐藤君には五千円借金しています。
 海内さんだって、波多江さんだって小泉君だって死んでいるじゃないか。 ちっともさみしくないはずだ。
 杉山さんご指導ありがとうございました。
 ルームの皆さんさようなら。松田君、庵谷君すいませんが、後始末をお願いします。
 広瀬先生すいません。上山さんお先に行きます。 鈴木、清水、裏、山下、田中、井上、林頑張れ。
 何がなくなっても命だけあれば沢山だ。死を目の前にしてそう感ずる。 親より早く死ぬのは最大の情けない気持ちだ。 松井君は一人子、橋本君は男一人、僕も男一人で、 親のなげき悲しむ様子が手にとるようにわかる。
 三月十四・十五・十六・十七と寝たり掘ったりする。 日付は時計の針でのみ計算する。ナタが手に入った。 懐中電灯が二ヶ、スペアの電池が一ヶ、非常食が二人分。 掘っても掘っても明るさが出てこないので、がっくりしている。
 生は10%ぐらいだろう。十七日朝八時。
 お母さん本当にごめんなさい。今まで育ててくれたつぐないをなさずに、 先に行ってしまうなんて。
 今は比較的落ち着いています。仲間が皆そばで眠っているせいでしょう。 後一週間くらいならこのまま寝て待っていられるのだが、 二十五日ごろ騒ぎだして、捜索隊がここにつくのは早くて二十九日。 そしてここが見つかるかどうかも疑問だ。 十三日にここであった山スキー部のパーティが、 一緒に来てくれれば分かり易いのだが、 あの時あいさつしておけばよかった。 向こうのパーティも知らん振りしていってしまった。
     (注:このとき会った山スキー部パーティの 正確な情報、捜索協力は捜索活動の決定的役割を果した。)
 佳江、珠代へ。先に死んでしまってごめんよ。 お母さん、お父さんはこれからお年寄りになっていくんだから 二人仲よくして、お兄ちゃんの分もよく面倒みてあげて下さい。
 昌子姉へ、お母さんお父さんのことよろしく。
 お母さん今死んでしまうなんて残念だ。切角背広も作ったのにもうだめだ。

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3 コメント

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Unknown (A)
2015-07-07 01:28:34
胸がきゅうっとなりました。
と、言うのもこの事故のお話しはガイドの教本にも載せられているので良く知っているからです。

当時、北大山岳部の話しを上手く伝えてこそプロと言う周り先輩たちの言葉に残酷さを感じました。
この話しをしないと一人前じゃない風潮に憤りを感じました。

私は、この話しでお客さんを泣かせる事が出来るってドヤ顔で言ってたベテランガイドを嫌悪しました。

中々、客観視する事が出来ませんでしたが
プロだからやらないといけない思いで
一度だけ朗読した事があります。
心と行動がバラバラのまま…

車窓から見える日高の山々が連なる森林地帯は、より話しにリアリティを与えます。

お客様の殆どが涙を流して聞いています。
中には、事故でご家族を亡くされた方もいて胸が潰れそうでした。

幼さ故に、行き場の無いお客様の悲しみをフォロー出来なかった事を思い出しました。

澤田儀一君がみちこさんのお父さんの教え子だった事と、今こうして再びその時涙を流す人を目の前に凍りついてしまってた自分を思い出す事が出来きた事に、言い表せない巡り合わせのようなものを感じました。

改めて澤田儀一君達の御冥福を祈ると共に、あのとき味わえなかった感情と日々生きていく事の意味を連れて、凍りついた自分を迎えに行こうと思いました。

そして、今なら生きる意味に向き合う事の大切さを澤田君の遺書を通して案内する事を選ぶと思います。澤田君達が生きた証を伝えていくことに誇りをもって。

勝手ながらシェアを通して教えて頂きました。本当にありがとうございました。
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こちらこそ (iris813)
2015-07-07 19:34:47
Aさん

こちらこそ、辛い体験・辛い感情をシェアしてくださってありがとうございました。

プロのガイドさんでいらっしゃるのでしょうか。
心と行動がバラバラのまま朗読されたとのこと。さぞかしおつらかったことでしょう。ショックで凍り付いた自分と邂逅することができたなら、それは遺書を残した澤田君と遺書を真剣な思いで語り継いでこられた方々のおかげですね。

Aさんが当時真剣に受け止め、凍り付いた経験があるからこそできるガイドをしていってください。

私もAさんと場は違うでしょうけれど、伝えて行く勇気を得ることができました。

本当にありがとうございました。
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Unknown (Unknown)
2020-04-10 17:29:53
昭和42年ごろ、私が中一の頃に親が家を建てたのですが、その住宅会社より記念品として小さなレコードプレーヤーと数枚のレコードを頂きました。

そのレコードの中に、名前は忘れましたが、ある男性歌手の歌で、次の歌詞が入っていたのが、なぜか強く記憶に残りました。

『日高山系縦走を目指す北大、山男』
『ビバーク襲う雪なだれ』

悲しい曲調と、山での遭難のうたかな? と子供心に思いながら、実際におきた事故だとは、知りませんでした。

最近、ネットで検索してみて初めて、十の沢での雪の遺書の事を歌っていたのだとわかりました。

しかし、私の知っているレコードの歌は、どんなに検索しても見つかりませんでした。
どなたか、ご存じないでしょうか?
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