閑雲孤鶴の日々  - Fire生活者の呟き -

Fire生活経験談のほか、世相世情 💹📆、知的生産技術💻📱、書評📒について、書き綴ります。⏳

加賀乙彦は、実名で登場させた小説の登場人物の死因を捏造して書いた小説家である。

2014年02月21日 | 悪書
福井雄三の「日米開戦の悲劇」という本に、小説の登場人物の死因を捏造して書いたとされる指摘がある。

概要は、以下。

今後、加賀乙彦の小説を読まれる際は、注意を要する。

加賀乙彦は精神科医だそうだが、医者としてのモラルも欠けているかもしれない。

小説家として数々の賞を得ているにしては、情けない人だと思う。


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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E8%B3%80%E4%B9%99%E5%BD%A6

1982年発表の『錨のない船』は太平洋戦争中の外交官来栖三郎とその一家をモチーフにした小説だが、作中でその息子が帝国陸軍の戦闘機操縦者となり、戦闘中被弾し脱出降下したところ、日米ハーフだったためにアメリカ兵と誤認され、民衆に竹槍で惨殺されたこととなっている。

実際にも来栖三郎の子息来栖良陸軍航技大尉(死後少佐に昇進)は日米ハーフであり、テストパイロットとして多摩飛行場に所在の陸軍航空審査部に所属していたが、死亡の状況は小説とは異なり、空襲迎撃の為に出撃準備中にプロペラに巻き込まれる事故によって即死している(戦死扱い)。

来栖夫妻は、息子が小説に描かれたような「アメリカ人と誤認され殺される」といった死に方をすることを何より恐れていたとされる。当初は小説の登場人物は名前が変えてあったが(来栖三郎→来島平三郎、来栖良→来島健)、再版時に実名に変更された為、実際に来栖大尉が誤認惨殺されたとの誤った認識が流布されることとなった。

来栖大尉の戦死時の状況については航空史家渡辺洋二が詳細な聞き取り調査を行い、実際には事故死であることは確定している。死因の捏造とも言える加賀の記述と実名への変更については、当時の戦友などが抗議を行い、渡辺も加賀に質問状を送付しているが、加賀からの回答は無く、現在も同書は実名記述のまま書店に並んでいる。

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