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私のイメージめも

対人コミュニケーションアドバイザーの聖子です。日頃、感じた事をめもしています。よろしくお願いします(^_-)-☆

試練、ふたたび

2018年10月23日 | 日記
嫌いな人に対する感情は、ズバリ”嫌い!”の一言に尽きる。

その感情は、一方的で自分勝手なものだ。
何故かと言えば、自分の事しか考えずに相手の気持ちを無視しているから。

(まー、嫌いだから仕方ないけど・・)


その人は、言った。

「自分が嫌いだから、相手が自分を嫌いでも構わない。だって、私の方が嫌いなんだから」

その人は、誰かを嫌う時に優劣をルールに設けている。
先に嫌いになった方が優で嫌われた方か劣。

(なんと単純な基準なのだろう)

でも、だとすると嫌いなその相手も同じように優劣をルールにしている可能性も無くはない。そう思った。

(人の考える事は、たかが知れている)
(そんなたいした違いは、ない)
(だから、自分が思っている事は、当然相手も思っているものだよ)


風は、他人事の様に静かに呟いた。

人は、自分の勝手な都合で好き嫌いを判断しあたかも、「私の方が先!」と思う事で優越感に浸りジャッジする事で折り合いをつけるのだろうか?。
少なくともその人は、そうなのだと思う。

いつの間にか嫌いな相手との距離が自然と離れ、関りも途切れたりする事がある。
そんな状況を一時的にやり過ごしながら、再びその距離が縮まって関りを持つ様な環境をこれ見よがしに用意されたら、どうなるのか?。

そんな場面に遭遇したら、今度は、しっかりと向き合わなければいけない。
それでも、

「そんな相手との関係をまた、復活させるなんて冗談じゃない!」
「嫌な思いをするのは、もう懲り懲り」


そう思うのは、ごく自然で普通の事の様に思う反面、

(それでいいの?)
(何か違うんじゃない?)
(乗り越える必要があるのかもよ?)


という葛藤が始まる。
そうなった時、いったいどちらを選択するのだろう。

突然、目の前に用意された復活の環境は、究極の選択をその人に求めている様に思えた。

(今まで離れていた間にどれだけ、変わった?)
(あれから、どんな事を学びそして、それをどう活かす?)
(親切心で一時的に離したなんて思っているなら、大間違いだな)


重々しい響きに打ち砕かれそうになった時、必死に踏ん張りながらチラッと聞いていた。

(変われるかな?)
(変わった方がいいんだよね?)
(変われるなら、変わりたいよ)


すると風がぶわぁ~っと強く吹き、辺りの様子を一変させた。

(これが新しい環境だ)
(最低限のものだけを用意した)
(あとは、好きに創ればいい)


そんな事を言われてもその人は、自分が変われる自信がこれっぽっちも無かったし、何を好きにすればいいのかさえ分からずにいた。

暫くして、その人がボソボソと何かを言っている。

「どうして自分は、いつもこうなんだろう」
「どうして、何も出来ないのだろう」
「もう少し・・・、あと少しで良いから変われたらいいのに」


その人が再び、真剣に考え始めた。

自分がどうすれば変われるのかについてを。

そして、その人は、まだ、気づいていない。

既に少しだけ、変わっている自分に・・・・。
何か新しい事をしようと思っている自分がいる事に。


その人にとって、再び、訪れた試練となる環境は、その人が変わるために必要な人・物・空間が完璧に用意されたものだった。
だが、その事にいつ気が付くのかは、わからないし用意されたものの意味を知り、どう関わっていくのかは、その人次第となる。

三年前の自分と今の自分は、同じではない。
物理的な変化は、別にして大切なのは、内面的な変化の向上であり、その向上の度合いがこれからの生き様に価値を見出すのだ。
人生に価値をつけるなんて”らしくない”気もするが感情に優劣をつけるならば、価値と言う言葉が相応しい気がした。

その人は、ようやく今、本来の自分と向き合い始めようとしている。
そんなその人の事がちょっぴり、気になる私は、ナナカマドの上から、暫く見守る事にした。

ナナカマドは、遥か遠くまでを見渡す事ができるから、その人が躓いたり、道に迷ったりした時は、さり気なくヒントを送るのにちょうどよい。



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