昼過ぎ、ネットをつなごうと店の裏庭に出ると、右手1メール先ほどの地面を長い影が走った。
あ、緑蛇!
足を止めると、先日写真を公開したのとまったく同じ渋い紋様入りの緑色、長さ1メートルほどの奴が、ゴミ捨て場の方に猛スピードで逃げて行く。
竹の棒を探す暇もなかった。
逃げ込んだ先は、昨日、隣家の分校教師が草刈りをしていた崖っぷちあたりだ。
目に入ったのは逃げて行く姿だけで、そいつがこっちに向かおうとして足音に驚き反転したのか、それとも店脇に潜んでいて崖っぷちに向かっていたのかは、定かではない。
いずれにしても、そいつがまた裏庭に出てきたり、マンゴーの木の上に登ることは覚悟しておかねばなるまい。
このところ少し警戒心が緩んでいたので、もう一度気を引き締めるしかないようだ。
*
さて、昨日は次男イエッの誕生日だった。
「あの子は長い間キリスト教系の寄宿舎に入っていたから、カレン族の伝統的な誕生祝いをしてあげたい」
ラーがそう言うので、2日続きで鶏をあがなって潰し、大鍋でぐらぐらとゆがいた。
本人に大きな丸盆に炊いた米をよそわせ、中央に丸ごとの鶏を入れた器、脇に焼酎を満たしたぐい呑みと水を入れたコップを置いた。
これらは、すべてモーピー(霊医・霊占師)である隣家のプーノイの指示である。
道具立てが揃ったところで、イエッに両手で丸盆の縁をつかませ、プーノイがボロボロになった祈祷帳を広げて祝詞を唱え始めた。
そして、ラー、私、従兄マンジョーの順番で、腿肉とご飯を握らせた両手首にサイシン(白い木綿糸)を巻いていく。
母親が最初の糸巻きをするところなど、さすがに女系家族のカレン族らしい。
巻く前に、糸の先を焼酎と水に交互に何回か浸すのはお浄めと霊力注入のためだという。
最後に、プーノイが祝詞の声を張り上げながら念入りな糸巻きを行い、最後に指で引きちぎった残りの糸をイエッの肩と頭に乗せた。
そして、握っていた手羽とご飯を一気に食べるように指示する。
「なに、これ?手がベトベトして、気持ち悪いよ」
それまで神妙な顔をしていたイエッが、ぶつぶつ文句を言い始めた。
聞けば、クリスチャンである彼にとっては初めての体験なのだという。
私はすでに結婚式や葬式で何度も体験済みなのだが、確かに手の平は脂でベトベト、米粒があちこちに貼り付いて、「一気に食べろ」と言われても困ってしまうのである。
「これがカレン族の伝統なんだよ。文句を言わずに、ありがたく頂きなさい」
ラーがそう言い聞かせ、最後に焼酎を指先に浸してイエッの前髪あたりを浄めるような仕草をして儀式が終わった。
*
固唾を飲んで見守っていた近所の子供たちが、ホッとしたように騒ぎ始めた。
菓子代を渡すと、数分後にジュースやスナック菓子が山積みになった。
イエッが友だちと一緒にジュースを飲もうとすると、プーノイがそれを押しとどめた。
「まずはグンターや叔父さん、まわりの大人たちにジュースを注いで手渡し、ワイ(合掌礼)をしながらお礼を言いなさい」
神妙な顔でそれを済ますと、やれやれという顔で菓子を食べようとする。
「待て待て。菓子もひと袋ずつクンターや大人たちに手渡して、お礼を言うんだ」
プーノイを初め、大人たちはすでに酔っぱらっている。
一生懸命に初めての儀式に付き合ったというのに、なんだか可哀想な気がしてきた。
しかし、これが伝統的な風習なのだから、下手な口出しはできない。
それも済ませて、ようやくジュースと菓子にありついた。
見ると、子供たちの姿が見えない。
なかなか甘い物にありつけないので、待ちくたびれて帰ってしまったらしい。
*
焼酎を交えた鶏鍋の晩餐が済むと、やっと大人たちが解散した。
途端に、イエッがラーに文句を言い始めた。
「クンターがせっかく子供たちにって菓子代をくれたのに、プーノイがあれこれ言うからみんな帰ってしまったじゃない。大人たちは、鶏をつぶすときから焼酎をずっと飲んでいるのに、なんで子供のジュースや菓子まで欲しがるの?」
確かに、一理ある。
私などは、甘い甘いジュースを無理矢理飲み干したのである。
「それはジュースやお菓子が欲しいんじゃなくて、あんたの誕生日に集まって鶏をさばいたり、お祝いの儀式をしてくれたことに対する感謝の心を示すようにという仏様やご先祖様の教えなんだよ」
ラーが言い聞かせるが、本人にはなかなか納得がいかない様子だ。
チェンマイの寄宿舎では、みんなで歌を歌ったり、遊戯をしたあとでプレゼントをもらい、ケーキやお菓子でパーティーを楽しんでいたというから、その気持ちも分からないではない。
第一、クリスチャンのスタッフや教師たちは、焼酎を飲んで騒いだりはしない。
だが、村に戻ってきた以上は、カレン族の風習や伝統にも馴染まなければならないのだ。
ラーは敬虔な仏教徒なのだから、この儀式はずっとついて回るのである。
かつては、日本人の私が受けてきたカレン族文化の洗礼を、今度は村を離れていた息子が受けながら、戸惑い、呆れている。
これもまた、一種の異文化の衝突であるには違いない。
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足を止めると、先日写真を公開したのとまったく同じ渋い紋様入りの緑色、長さ1メートルほどの奴が、ゴミ捨て場の方に猛スピードで逃げて行く。
竹の棒を探す暇もなかった。
逃げ込んだ先は、昨日、隣家の分校教師が草刈りをしていた崖っぷちあたりだ。
目に入ったのは逃げて行く姿だけで、そいつがこっちに向かおうとして足音に驚き反転したのか、それとも店脇に潜んでいて崖っぷちに向かっていたのかは、定かではない。
いずれにしても、そいつがまた裏庭に出てきたり、マンゴーの木の上に登ることは覚悟しておかねばなるまい。
このところ少し警戒心が緩んでいたので、もう一度気を引き締めるしかないようだ。
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さて、昨日は次男イエッの誕生日だった。
「あの子は長い間キリスト教系の寄宿舎に入っていたから、カレン族の伝統的な誕生祝いをしてあげたい」
ラーがそう言うので、2日続きで鶏をあがなって潰し、大鍋でぐらぐらとゆがいた。
本人に大きな丸盆に炊いた米をよそわせ、中央に丸ごとの鶏を入れた器、脇に焼酎を満たしたぐい呑みと水を入れたコップを置いた。
これらは、すべてモーピー(霊医・霊占師)である隣家のプーノイの指示である。
道具立てが揃ったところで、イエッに両手で丸盆の縁をつかませ、プーノイがボロボロになった祈祷帳を広げて祝詞を唱え始めた。
そして、ラー、私、従兄マンジョーの順番で、腿肉とご飯を握らせた両手首にサイシン(白い木綿糸)を巻いていく。
母親が最初の糸巻きをするところなど、さすがに女系家族のカレン族らしい。
巻く前に、糸の先を焼酎と水に交互に何回か浸すのはお浄めと霊力注入のためだという。
最後に、プーノイが祝詞の声を張り上げながら念入りな糸巻きを行い、最後に指で引きちぎった残りの糸をイエッの肩と頭に乗せた。
そして、握っていた手羽とご飯を一気に食べるように指示する。
「なに、これ?手がベトベトして、気持ち悪いよ」
それまで神妙な顔をしていたイエッが、ぶつぶつ文句を言い始めた。
聞けば、クリスチャンである彼にとっては初めての体験なのだという。
私はすでに結婚式や葬式で何度も体験済みなのだが、確かに手の平は脂でベトベト、米粒があちこちに貼り付いて、「一気に食べろ」と言われても困ってしまうのである。
「これがカレン族の伝統なんだよ。文句を言わずに、ありがたく頂きなさい」
ラーがそう言い聞かせ、最後に焼酎を指先に浸してイエッの前髪あたりを浄めるような仕草をして儀式が終わった。
*
固唾を飲んで見守っていた近所の子供たちが、ホッとしたように騒ぎ始めた。
菓子代を渡すと、数分後にジュースやスナック菓子が山積みになった。
イエッが友だちと一緒にジュースを飲もうとすると、プーノイがそれを押しとどめた。
「まずはグンターや叔父さん、まわりの大人たちにジュースを注いで手渡し、ワイ(合掌礼)をしながらお礼を言いなさい」
神妙な顔でそれを済ますと、やれやれという顔で菓子を食べようとする。
「待て待て。菓子もひと袋ずつクンターや大人たちに手渡して、お礼を言うんだ」
プーノイを初め、大人たちはすでに酔っぱらっている。
一生懸命に初めての儀式に付き合ったというのに、なんだか可哀想な気がしてきた。
しかし、これが伝統的な風習なのだから、下手な口出しはできない。
それも済ませて、ようやくジュースと菓子にありついた。
見ると、子供たちの姿が見えない。
なかなか甘い物にありつけないので、待ちくたびれて帰ってしまったらしい。
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焼酎を交えた鶏鍋の晩餐が済むと、やっと大人たちが解散した。
途端に、イエッがラーに文句を言い始めた。
「クンターがせっかく子供たちにって菓子代をくれたのに、プーノイがあれこれ言うからみんな帰ってしまったじゃない。大人たちは、鶏をつぶすときから焼酎をずっと飲んでいるのに、なんで子供のジュースや菓子まで欲しがるの?」
確かに、一理ある。
私などは、甘い甘いジュースを無理矢理飲み干したのである。
「それはジュースやお菓子が欲しいんじゃなくて、あんたの誕生日に集まって鶏をさばいたり、お祝いの儀式をしてくれたことに対する感謝の心を示すようにという仏様やご先祖様の教えなんだよ」
ラーが言い聞かせるが、本人にはなかなか納得がいかない様子だ。
チェンマイの寄宿舎では、みんなで歌を歌ったり、遊戯をしたあとでプレゼントをもらい、ケーキやお菓子でパーティーを楽しんでいたというから、その気持ちも分からないではない。
第一、クリスチャンのスタッフや教師たちは、焼酎を飲んで騒いだりはしない。
だが、村に戻ってきた以上は、カレン族の風習や伝統にも馴染まなければならないのだ。
ラーは敬虔な仏教徒なのだから、この儀式はずっとついて回るのである。
かつては、日本人の私が受けてきたカレン族文化の洗礼を、今度は村を離れていた息子が受けながら、戸惑い、呆れている。
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