
午後3時頃運動会が終わって、村にやっと静けさが戻ってきた。
店に戻って「やれやれ」とパソコンを開いた途端、いきなり鼓膜を叩く大音量の音楽に飛び上がった。
何事かとシャッターの下から覗くと、毎週末の礼拝で活躍する教会ロックバンドの若い連中が練習を始めたようだ。
夜7時から、今度は「国王誕生日前夜祭」も兼ねた大パーティーが開かれるのだという。
腕がいいなら、まだいい。
しかし、なんで音痴としか呼べないようなこんな下手くそがリードボーカルなんてとっているんだ?
そして、なんでこんな狭い場所で必要以上に大きな音を出さなければならんのか?
この大音量は「タイの常識」とはいえ、5分もしないうちに頭が痛くなってきた。
*
晩飯を済ませて、用事を済ませに店に立ち寄ると、この下手くそバンドの演奏に乗って、数十人の子供たちがステージ前で踊り狂っている。
大音量の音楽が大好きな大人たちも、今日はさすがに苦笑しながら遠巻きにその様子を見守っている様子だ。
耳をふさぎ、そそくさと家に逃げ戻って映画を観たのであるが、この「騒音」は深夜まで村中に響き渡ったのだった。
*
その「騒音」の余韻が残る広場で、今朝は女の子たちが昔懐かしい“ゴム跳び”を楽しんでいる。
これ、私が子供時代を過ごした昭和30年代の熊本では、少女たちの間でもっともポピュラーな遊びだった。
白いカレン服を着た少女たちが張っているゴム紐を見せてもらうと、日本の昔と同様に輪ゴムをつなぎ合わせたものである。
そして、飛び方も、体を後ろ向きにひねって足の甲あたりでゴム紐をとらえるという同じような手順である。
うーむ。
このゴム跳び遊び、村の子供たちが自然に考え出したものなのだろうか。
それとも、戦後になって日本人の誰かがタイに伝えたのだろうか。
いや、待てよ。
そもそも、ゴム跳びは日本人が考案したオリジナルな遊びなのだろうか?
*
そんな文化人類学的(?)考察に耽っていると、またまた大音量に静寂を破られた。
昨日の下手くそバンドが、「諸人こぞりて」をがなりたて始めたのである。
日曜礼拝が、始まったらしい。
ゴスペルならともかく、なんで教会でロックバンドなんだろう?
そして、なんでここの司祭は、バンドと同じようにマイクを使って大音量の説教をがなり立てるのだろう?
これも考察に値するテーマかも知れないが、うるさくてそれどころではない。
ああ、頭が痛い。
☆今日も応援クリックを、よろしく。

いつも楽しく拝見させていただいております。
私の住んでいる所(センターンの近く)も深夜12時まで若者向けの飲み屋さんから溢れる音でとても賑やかです。
これも観光地に住む者の定めと思いあきらめております。
しかし、ちょっとだけ抵抗をしてみました。
窓を2重ガラスにしてみました。
しかし、結果は・・大音量に負けました。
一昨日のコメント、お返事に窮していたところさっそくフォローをいただき助かりました(笑)。それにしても、プロは目の付けどころが違いますねえ。
笑顔はともかく、うーん・・・。
*
飲んべえ親父さん
初めまして。ご愛読、ありがとうございます。
二重窓をしのぐ深夜の大音量。いずこも同じなんですね。私が深夜の鶏鳴で目覚めなくなったように、やはり慣れるものなんでしょうか?
戦時中は、チェンマイにも日本兵が居たと聞いた事があるからその方達が教えたのか、戦後日本人が教えたのか、又は、タイに昔から伝わる遊びなのか、う~ん 浪漫を感じます。
嫁のラーも、子供の頃にゴム跳びをやったような気がすると言っています。ただし、当時は輪ゴムも手に入りにくく、食糧調達も兼ねて野山で遊ぶ方が多かったとか。とりあえず、年寄りたちにも話を聞くよう頼んでおきました。