【タイ山岳民族の村に暮らす】

チェンマイ南西200キロ。オムコイの地でカレン族の嫁と綴る“泣き笑い異文化体験記”

【村の豊穣祈願祭】

2011年01月29日 | オムコイ便り

 今日は、村の仏教徒が一同に会する“豊穣祈願祭”である。

 各戸が金を出し合って黒豚をあがない、これをつぶして仏様に捧げる。

 早朝から西隣りの長老の敷地内から哀れな豚の悲鳴が響き渡り、ワイワイガヤガヤと解体と火熾しが始まった。

     *

 朝の日だまりの中でその様子を眺めていると、村長、元村長、オボートー(地区行政事務所)職員など、村の顔役たちが続々と集まってくる。

 村の衆は、牛をつなぐロープを手に手にやってきて、マカーム(タマリンド)の大樹の根元にしつらえられた祭壇にそれをうやうやしく供えた。



 その間にも各自分担して、肋骨まわりのバーベキュー、内臓の煮込み、ラープづくりなどが進んでいく。





 調理がひと段落すると、分担金の徴収である。

 元村長の息子がノートを広げ、払った人の名前と金額を書き込んでいく。

 今日は一律250バーツという話だったのだが、ほとんどが100バーツか200バーツしか持ち合わせていないようだ。

 中には、20バーツしかないという人もいる。

 なけなしの300バーツをおそるおそる差し出すと、案の定「釣りの50バーツはタンブン(寄付)」ということにされてしまった。

     *

 お供物のバーベキューが焼き上がったところで、長老の先導でお祈りが始まった。

 騒ぎがぴたりと治まり、村の衆が祭壇のまわりにしゃがみ込んで両手を合わせる。



 いつもは、べろべろに酔っ払ったり、冗談ばっかり言っている面々が神妙な顔で祈りを捧げる様を見ていると、不信心なこちらも神妙な気持ちになり、今年の豊作と牛、豚のさらなる繁殖、さらには鶏疫病の終息を願った。

     *

 長老に続いて家の中に入ると、さっそく供物になった自家製どぶろくの献杯である。

「クンター、この焼酎は店で売っているのとは違って、一切の混じり物が入っていません。体にもいいから、安心してたっぷり飲んでください」

 仕切り役の従弟のターチィが、そう言いながら矢継ぎ早にぐい呑みを突き出す。

 薄く濁ったどぶろくは、確かに刺激のない柔らかい口当たりなのだが、甘くみるとあとで足腰が立たなくなる。

 それを、90歳に近い病み上がりの長老や80歳を過ぎたふたりの叔母が、勧められるままにぐいぐいと飲み干すのには驚いた。

 そうするうちに、小皿に盛った豚料理が次々に運び込まれてきた。

 だが、伝統的なカレン式住居には窓も明かり取りもないので、料理の正体がよく見えない。

 初めのうちは、ターチィが気をつかってゆがいた肝臓、しっかり焼けた肋肉などを手渡してくれていたのだが、お互いに酔ってくるとそういうわけにもいかない。

 手触りでそれと分かった生ラープだけは避け、闇鍋のごとき怪しき会食を楽しんだ。

 炊き具合のせいか、指先でつまむ米もこぼれず、実に気分がいい。

     *

 カレン族の会食で助かるのは、腹がくちくなったら「ベーヤオ(もう要らない)」と言いつつ遠慮なく席を立ったり、脇の炉端に場所を移して寝そべることができるという風習である。

 そうすることで、あとからやって来る人に席を譲るわけだが、日本式にいつまでも座り込んでいると、際限のない焼酎攻めに遭うので、本当に足腰が立たなくなる人もいる。

 唐辛子のせいで額から噴き出す汗を拭いながら、目のくらむような屋外に出ると、別棟でラープを炒めていたラーが声をかけてきた。

「クンター、これでご飯食べるでしょう?」

「もう、飯も食べたよ」

「えー、何食べたの?」

「肝臓とバラ肉と、あとは暗くてよく分からん」

「あーあ、またお腹壊しても知らないよ」

 しかし、私は最近、よそで飯を喰って腹を壊すということがほとんどなくなった。

 結婚式や葬式に呼ばれて、不潔だの、辛過ぎるだの、まずいだのと言って料理を選り好みしたり、腹を壊したりするのは、むしろラーの方である。

 日本食を食べる機会が増えてから、この傾向が強まったような気がする。

 そこで私は、言ってやるのである。

「この軟弱な日本人め!」

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