おととい、昨日と、寒さがかなり緩んできたように感じた。
ブロック積みの書斎(単なる貸店舗だが)に籠っているときは、相変わらずの冬支度なのだが、野外同様の家に戻ると半袖のTシャツと薄手のズボンに着替えたくなる。
昨日の日中は気温が25℃を超え、嫁のラーはさっそく近所の川に魚掬いに出かけた。
晩飯は、その小魚を骨ごとゆがいて唐辛子と一緒に搗いたタレにゆで野菜をひたして食べるカレン料理だ。
ところが、今朝はまた少し冷え込みが戻り、7時の気温は14℃。
「今日は魚獲りに行けない」と、誰かさんがブツブツ文句を言っている。
*
さて、読者の皆様に気にかけていただいている“伝統保存食”については、まだその正体と味を確かめかねている。
カタカナに直すのは非常に難しいのだが、カレン語での呼び名は「ネェー」(発音は尻下がり)という。
コメントでご指摘いただいたように、自然薯の一種には間違いないようだが、わが村においては、食する前に一定の“鑑賞期間”を置かねばならないらしい。
というのも、このネェー、最近ではなかなか採れなくなっているので、まずは近所の親戚や年寄り連中にお披露目しなければならない。
次に、その形状が見方によっては“陽根”にも似ているため、そのご利益に十二分にあずかった上、笑いのタネにもしなければならない。
さらには、その調理には時間がかかり、すぐには取りかかれないのだという。
*
「だって、お湯で蒸かすだけなんだろう?」
「違うよ、豚肉や鶏肉と一緒に料理するんだよ」
「でも、貧しかった時代には豚肉や鶏肉は簡単に手に入らなかったんじゃないのか?」
「だからね、山で撃った野鳥や野ネズミと一緒に煮込んでいたの」
なるほど、そういうことか。
従って、一定の“鑑賞期間”を楽しんでいる間に、野鳥や野ネズミが手に入るかもしれない。
そうすれば、昔ながらの伝統料理を私にも味わってもらうことができる。
それが、ラーの主張なのであった。
野鳥はともかく、野ネズミはあまりありがたくないが、そういうことなら、ここはのんびりと構えて、ご陽根さまのご利益にでもおすがりすることとしよう。
*
「ところでラー、これ生で喰えないかなあ。日本じゃあ、これを大根おろしみたいに擂りおろしたり、細く切ってわさび醤油につけて酒の肴にしたりするんだ」
「村の人は、生で食べたりなんかしないよ。煮込んだって、体が痒くなったり、舌が腫れあがったりすることがあるからねえ。クンターの体はあたしたちと違うんだから、ひどい病気になるかもしれないよ」
「・・・」
そこで、改めてご陽根さまの相貌を拝み奉ると、なかなかの兇相である。
逆鱗に触れれば、私なんぞの舌は豚の肝臓ほどに腫れ上がるかもしれない。
*
そこで、今朝は安全策をとって、冒頭写真の愛らしい“プチ根芋”を蒸かして食することにした(長さは1センチほど)。
カレン語では、「ニュウ」(これも尻下がりに発音)という。
これなら、すでに元気に日本に戻ったという1歳の“牛飼い小僧”にもたっぷり毒味させてあるから、なんの問題もない。
ジャガ芋とさつま芋を掛け合わせたような、淡白で柔らかな味わいだ。
だが、その素性は、見かけとは違ってなかなか強面な芋なのである。
山奥に住むカレン族が、焼き畑に植えて陸稲と併食しているというのだが、芥子畑に一緒に植えると葉が生い茂って、ヘリによる上空からの摘発をさまたげる役目を果たすというのである。
なるほど、根芋が小さいから、芥子の繁殖もさまたげないのか。
村ではその繁茂の様を目にすることはできないのだが、かつて国境警備隊に属して芥子畑摘発に従事したことのあるラーの言うことだから、たぶん間違いないのだろう。
*
というわけで、わが村では単なる自然薯や根芋を喰うにも、さまざまなる伝承と紆余曲折を経ねばならないのである。
「ネェー」の鑑賞期間が過ぎたら、またその調理法や味わい、生体実験の結果などをご報告することにしたい。
☆今日も応援クリックを、よろしく。
加熱しても毒性は変わらないと思うので,加熱すれば食べられるとすれば,多分“生”でも食べられますよ.ただ,山芋のたぐいは,確かにかゆみを伴うことがありますよねぇ.是非ご賞味を…
牛飼い小僧は,すっかり退屈を囲っています.
「外は寒くて一日中は出ていられないし,ポーは仕事だし….メーも家事で忙しいし….オムコイに帰りたい」
退屈している牛飼い小僧くんに「ニュウ(プチ根芋)をたっぷりゆがいて待ってるから、ひとりで遊びにおいで」とお伝えください。