【タイ山岳民族の村に暮らす】

チェンマイ南西200キロ。オムコイの地でカレン族の嫁と綴る“泣き笑い異文化体験記”

【夜の網揚げ】

2009年09月15日 | オムコイ便り
 昨夜の午後10時過ぎ。

 ラーの大好きな棒術アクションドラマ『コンフェッ』が終わり、私も本を読み終えた。

 「さて、そろそろ寝るか」

 そう呟いて椅子から立ち上がると、

「クンター、川に網を見に行きたいんだけど」

「もう遅いぞ。明日にしたらどうだ?」

「でも、誰かが網や魚を盗むといけないからチェックだけしておきたいんだ。川には入らないから」

 夕方、ラーと一緒に網を仕掛けにいった友人のウーポー
もわが家でテレビを見ていたので、自然と話がまとまったのだろう。

 まさか、こんな夜遅くに女ふたりで行かせるわけにはいかないから、やむなく付き合うことにした。

 「やったー!」

 ラーが子供のように喜び、ヘッドランプの準備を始める。

 村で流通しているこのヘッドランプは、箱形バッテリー直結式でかなりの光量がある。

 だが、2キロほどの重さがあり、これを肩にかけて山道を歩くのはかなり難儀だ。

 にも関わらず、ラーは嬉々としてこれを肩にかけ、腰には魚籠を結びつけて、まるで山賊のような出で立ちで家を飛び出していく。

 少し肌寒いので、私は長袖Tシャツの上にゴアテックスの雨具を羽織ったが、ラーは半袖に膝までのハーフパンツ。

 ウーポーは、巻きスカートのままで、膝下には紺色の脚半を巻いている。数日前の【続・村のファッション】には書き忘れたが、これも中年以上の女性が踏襲している伝統的スタイルである。

        *

 ヘッドランプの明かりに、茶色に濁った川の水が浮かび上がる。

 「川岸から見るだけ」と言ったくせに、ラーはいきなり川に入り込み、網のチェックを始めた。

「こらこら、何をやってるんだ!?」

「川が増水しているから、このままだと網が流されてしまうよ。ついでに、全部揚げてしまおう」

「・・・」

 ふたつめの網には、体長20センチくらいの鮎に似た魚が2尾からまっていた。

 あとの3つは向こう岸に仕掛けてあり、先の洪水で壊れたままの橋を渡らなければならない。

 孟宗竹4本をロープで縛っただけの仮橋は、かなり緩んでおり、歩くたびにぎしぎしと音を立ててずれるので、バランスが取りにくい。

 付いてきた2匹の犬も、恐々と渡っている。

 川沿いの棚田に入ると、今度は狭い狭い畦道だ。

 雨雲がかかっているので満天の星とはいかないが、久しぶりに溜め息が出そうな美しい星空を眺めた。

 稲の香りが鼻を満たし、虫の声と蛙の声が全身を包む。

 私のヘッドランプは、5年ほど前には“最小・最軽量”と謳われた登山用のPETZLだが、光が淡いために何度も田んぼの中に足を突っ込みそうになる。

 念のために長靴を履いてきたからよかったものの、前を行くふたりはゴム草履でよくスタスタと歩けるものだ。

 3つめには、小さな魚が1尾だけ。

 だが、すっかり網がもつれてしまっている。

 テレビの接続が少し悪いだけで癇癪を起こすラーが、もつれた網を文句も言わずに慎重にほぐしていく。

「ラー、お前さん、なんで魚捕りのときだけそんなに辛抱強いんだ?」

「だって、これは私の大切なビジネスだから」

「・・・」

      *

 残りのふたつは、竹やぶの中の川岸にある。

「クンター、竹の上に蛇がいるかも知れないから気をつけてね」

 おいおい。

 こんな暗闇と頭を覆う竹やぶの中で、どう気をつけろと言うんだ?

 慌てて雨具の風防をかぶって、襟首をふさいだ。

 慎重に腰をかかがめても、鋭い枯れ竹の先が顔をかすめそうになる。

 これじゃあ、ゴアテックスの雨具が穴だらけになっちまうぞ。

 まったく、なんて場所に連れてくるんだ・・・。

 口の中でぶつぶつ文句を言っている間にも、ふたりの女はまるで猪のように竹やぶの中を突進していく。

      *

 すべての網を揚げ終わって、やっとひと息ついた。

 煙草に火を着けていると、突然ラーが「ヒエーッ!」と情けない悲鳴をあげた。

「クンター!噛まれた!取って、取って、取って!」

 ぎょっとしてヘッドランプに照らされたラーの足元を見ると、親指の付け根に小さな蛭が2匹吸いついている。

 闇夜も蛇も恐れないじゃじゃ馬のくせに、蛭だけは大の苦手なのである。

 むしり取って、ライターの火であぶり殺した。

 ウーポーは、自分のふくらはぎから剥ぎ取った蛭をパイプについたヤニにこすりつけている。

 昼間ならば、煙草の葉を噛んで、その唾を蛭にかけて毒殺(?)するのが村人たちの流儀である。

      *

 再び壊れた橋を慎重に渡って、やっと村に至る川沿いの道にでた。

 すると、今度は前を歩いていたウーポーが「ウッ!」とうめいてたたらを踏んだ。

 あわててライトを当てると、土踏まずの脇のあたり2ヵ所から血が流れている。

 傷が穴状なので、てっきり蛇かと思ったら、ムカデだろうと言う。

 おいおい、勘弁してくれよ。

「医者に行ったほうがいいんじゃないか?」

「前にもいちど噛まれたことがあるから問題ないって。それに彼女は、薬草に詳しいから大丈夫だよ」

「・・・」

 詳しいどころか、それを吸引して留置場にお泊まりしたこともある彼女の「薬草」は、痛み止めにもなるのだった。

      *

 だが、寝入りばなになって、ウーポーが再びわが家にやってきた。

「ねえ、パーラ(セタモール・痛み止め)ある?」

 さすがに、少量の「薬草」だけでは効かなかったらしい。

 今朝になって彼女の足を確かめたら、足全体がぷっくりと腫れ上がっていた。

 だが心配する私を尻目に、女たちはなにやら冗談を交わして大声で笑い合っている。

 どうやら、また魚捕りの相談を始めたようだ。

 なんともはや、たくましいというか、懲りないというか。

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