数日前から、垣根の外に伸びたマカームの枝の下で、村の衆が竹の棒で何かを突っつくような仕草を見せるようになった。
何かと思えば、鈴なりになった実をちぎり取っているのである。
普通、市場などで見かけるのは茶色に熟れた甘い実だが、この実は緑色がかっており、いかにも瑞々しい。
巨大な空豆のような形のそれを割ってみると、薄緑色の果肉がいかにも酸っぱそうだ(マカームにも種類があって、わが家の実は茶色く熟れても酸っぱいままである)。
夕べも、大工のノイヌックがこれをかじりながら焼酎を飲み出したが、川魚も豚肉も生で喰ってしまうほどのゲテモノ好きが、その酸っぱさに「ウエーッ」と顔をしかめて一瞬ブルブルッと身体を震わせたのには驚いた。
この酸っぱさは、もちろんレモン代わりとしてカレン族の料理に欠かせない。
今朝は私のリクエストで、ラーがさっそくこの実を使って野菜と豚肉を煮込んだ酸味のあるスープを作った。
*
ところで、私たちがわが家の木の実に気づかなかったのは、この木があまりにもでかいからである。
木陰には竹組みの平台があり、ここで昼寝をしたり夕涼みをするのであるが、3メートルほどの高さに若葉が生い茂って実が隠されてしまっていたのだ。
実を見つけるには、隣家に垂れ下がって延びた枝の方が
容易で、このために通りがかりの村の衆に先を越されてしまったというわけだ。
ラーは以前、「毛虫が出るから」という理由でこの樹をしきりに切りたがっていたが、私は堂々たるこの樹が大いに気に入っている。
「樹を切ると、涼しい木陰がなくなってしまうぞ。それに、この樹はお前さんの亡くなった親父さんのような気がするんだ」
そう告げてからは、もう二度と切ろうとは言わなくなった。
ラーが幼いころ、敷地内には3本のマカームの大木があった。
だが、父親が亡くなって母親や長兄がアヘンに溺れるようになると、それにつけ込むように東西の隣家が徐々に境界線を侵食し始める。
町のタイ人の家に里子に出され、17歳になったラーが軍を除隊して実家に戻ってみると、ほぼ正方形だった敷地がやせ細った長方形に姿を変えていたという。
そこで、役所や警察の知人を頼って走り回り、なんとか登記を済ませたものの、2本の大樹は東西の隣家の敷地内に組み込まれることになる。
亡父の存命中には登記制度がなく、ラー不在中の既成事実が優先されてしまったのである。
「幼い頃、アヘンが吸えずにイライラした母にぶたれそうになると、あの樹の上に逃げ登って夜を明かしたんだよ」
指差す先の大樹の位置を見やると、確かに相当の“侵食”ぶりである。
「17歳の小娘が、よく頑張ったな。偉いぞ」
「だって、母や姉たちは男たちを怖がるばかりだから、あたしが闘うしかなかったんだよ。軍隊に入ったのも、強くて賢い女になりたかったからなんだ」
ちなみに、ラーと一緒に軍に入った村の友だちは、わずか3日の訓練で家に逃げ帰ったという。
そんな話を聞きながら朝食のスープをすすっていると、酸っぱさがひときわ胸に染みる。
私が20代だった1970年代に、少女だったラーが空腹を抱え、泣きながら大樹の枝の股で夜を明かしている。
その光景を思い浮かべながら遠くに目をやると、今は隣家のものとなったマカームの大樹が次第ににじんでくる。
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