【タイ山岳民族の村に暮らす】

チェンマイ南西200キロ。オムコイの地でカレン族の嫁と綴る“泣き笑い異文化体験記”

【命と喜びの共有】

2010年09月22日 | オムコイ便り
 
  昨日、また牛の赤ん坊が生まれた。

 しかも、同時に2頭である。

 そして、どちらも雌。

 女系家族の勢いは、とどまることを知らない。

 いまも、あと3頭が出産を控えており、ここ当分忙しいことになりそうだ。

    *

 生まれた赤ん坊の体毛はいずれも白色基調で、今度もハーレムキング改め“しんちゃん”が父親らしい。

 一頭は全身が白く、もう一頭は頭部が母親と同様に赤っぽい。

 一夜明けて山に様子を見に行くと、2頭はすでにしっかりとした足取りで草むらを跳ね回っている。

 大したもんだ。

 これに較べると、人間なんて、とんでもなく手のかかる下等動物に思えてくる。

 人間の赤ん坊も、生まれた直後からこれくらいしっかりしてくれれば、俺だって“しんちゃん”に負けないくらい頑張るのになあ。

     *

 生まれてからまだ24時間も経っていないというのに、それぞれの性格もはっきりしている。

 “白毛ちゃん”は、ちょっとおすましな感じで、近づくとすぐに逃げ出して母親の腹の下に隠れてしまう。

 一方の“赤毛ちゃん”は、父親の“しんちゃん”と同様におっとりしており、向こうからわれわれに近づいてきて、そばに座り込んでしまった。



 鼻面や背中を撫でても一向に警戒せず、長いまつげに覆われたつぶらな瞳で、こちらの顔をじっと眺めている。

 愛らしいったら、ありゃあしない。

 産後の母牛たちも元気そのもので、背負い駕篭いっぱいの茅をむしゃむしゃと平らげた。

     *

 家に戻ると、薬草入りの胎盤の煮込みができあがっていた。

 おそるおそる口にすると、前回のような臭みもなく、味の濃いモツ煮といった感じでなかなかうまい。

 ラーに訊けば、私を意識して前回よりも丁寧に処理したといい、これならなんの問題もない。

「これは、朝から大変なごちそうだ!」

 牛の出産祝いを言いに立ち寄った近隣の衆も、相伴しながら大喜びである。

 村の衆にとって牛の出産とは、新しい命を得た喜びだけではなく、その命をはぐんできた胎盤をも自らの命の糧としていただく喜びを共有することなのだと、改めて気がついたひとときだった。

 ごちそうさま!

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2 コメント

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Unknown (ishi)
2010-09-23 12:40:17
こんにちは.東京は大雨です.
胎盤おいしくいただけてよかったですね.子袋(子宮)も食べるのですから,胎盤を食べるのだって普通のことか,と思いました.牛も全身食べることができますねぇ.ありがたいことです.
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占い道具 (クンター)
2010-09-24 16:57:03
ishiさん

 確かに、無駄にするところはひとつもありません。鶏にしても、頭も蹴爪も丸ごと鍋に放り込んで食べられるところは食べてしまうし、喉の軟骨は吉凶を占う道具にもなるのであります。
返信する

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