【タイ山岳民族の村に暮らす】

チェンマイ南西200キロ。オムコイの地でカレン族の嫁と綴る“泣き笑い異文化体験記”

【水掛け、始まる】

2012年04月12日 | オムコイ便り

 わが村でも、子どもたちによる水掛けが始まった。

 共同貯水場の前で待ち受け、通りかかる人やバイクやクルマに向かって、柄杓で水をかけるのである。

 しかし、チェンマイなどとは違って、いきなり顔面にビシャッとやったりはしない。

 基本的には首から下だけで、水をかけられると困る場合カレン語で「ベーヤオ!(要らない)」と叫べば、遠慮してくれる。

     *

 しかし、今年は少しばかり様子が違ってきた。

 ついに、背負い式の水鉄砲が登場したのである。





 これを最初に手にしたのは、よそから赴任してきた教師の子どもらしい。

 村の控えめなしきたりを知らないから、いきなり顔面にかけたりする。

 軽く注意したが、やはりこの新兵器、子どもたちにとっては魅力的だ。

 今では、数人の子どもがこの新兵器を手にしているが、わが家の近所では、まだ昔ながらの柄杓が主流である。

 集落手前でこの「疫病」の波を阻止したいものだが、明日からのソンクラーン本番には、どうなっているものやら。

     *

 さて、今朝でようやく延べ3日間に及んだ甥っ子の結婚式が終わった。

 初日は、ピックアップ4台に60人近い村人が分乗して、花嫁の家に向かう。







 村の境界を出る直前では、クルマを停めて長老たちがお祓いの儀式を行い、道端の草の茎を短く折って、全員の人数を確認する。

 目的地は、ナーキアン郡の某村。

 山岳展望所のあるホイチノンよりも、さらに奥まったところである。

 距離は40キロくらいだが、そこに至る道が凄い。

 去年の大雨で赤土の道が深くえぐられており、その上に険しいアップダウンの連続。

 ギアはローとセカンドしか使えず、荷台には人がぎっしり座り込んでいるのだから、できるだけ衝撃は避けなければならない。

 両脇の断崖下には焼き畑の跡があちこち広がり、幹が黒く焦げ葉っぱが茶色に変色した樹木が道端に居並んでいる。

 着いたのは、約2時間後である。

      *

 
 どんな山奥の僻村かと思えば、新婦やラーの友人が嫁いでいる家は、わが村にもないような大豪邸である。





 新婦の家などは、すでにクルマを数台持ち、新郎新婦にもポイと新車をプレゼントしたくれた程の大金持ちだという。

 収入源は押して知るべしだろうが、わが哀れな境遇を思うと呆然とならざるを得ない。

 すぐに、新婦家族が信仰するカソリック式の結婚式が始まった。




 参列者の中には、ローマ法王の写真入りTシャツを着ている者もいる。

 明日は、同じようにこの村の家族、親戚、縁者などがわが村にやってきて、新郎家族が信仰する仏式の結婚式を行うのである。

 式の途中で「アンミー!(飯食え)」の大声がかかり、大半の参列者が中座して別棟に向かう。

 声をかけた男は、さっきから式場の脇でワイワイ言いながらビールや焼酎を飲んでおり、こちらは仏教徒ということになる。

 式後に供された料理は、豚のラープ(叩き)、豚とキャベツの煮込み、リブの唐揚げと豚づくしである。





 わが村からだけでも60人が来ているのだから、代わる代わる食事を摂る人の数は200人を超えるだろう。

 いや、もっとか。

 今朝方、一体何頭の豚がつぶされたものやら。

 その数と値段を想像して、またまた呆然となる。

       *

 昼食が終わると、式はこれにて終了。

 仏教徒のように、だらだらと宴会にならないからありがたい(むろん、呑んべえはどこかに散って飲んでいる)。

 1時半ごろに村の衆が集まり始め、4台のピックアップが再び村に向かって悪路を上り始める。

 上りは、さらに凄い。

 下りになって、そのうち2台が土埃をあげながら猛然と飛ばすと、荷台から悲鳴と怒鳴り声があがる。

 こちらには90歳に近い長老が乗っているので、慎重に衝撃を避けながらのろのろと走る。

 2時間半後に家に辿り着いたら、モノも言いたくないほどぐったりと疲れていた。

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