【タイ山岳民族の村に暮らす】

チェンマイ南西200キロ。オムコイの地でカレン族の嫁と綴る“泣き笑い異文化体験記”

【手鼻と腰曲がり】

2009年09月13日 | オムコイ便り
 手鼻をかむのが、ずいぶんとうまくなった。

 風邪気味のとき山道を歩く場合、この技術がないと息が詰まって往生してしまう。

 村ではハンカチやティッシュなど持ち歩くわけもなく、使えるのは手だけである。

 むしろ、ハンカチやタオルを使えば洗濯の手間が増えるだけだし、ティッシュを使えばゴミが増える。

 技術が向上すれば手を汚すこともなく、たとえ失敗してもそこいらにある田んぼの水で洗えば済むことである。

 こんなことを書くと、特に清潔好きな若い人たちは顔をしかめるかもしれないが、なに、我々の子ども時代には田舎では手鼻をかむのが当たり前だったし、立ち小便をする老婆も珍しくなかった。

 かつては、日本人も通ってきた道なのである。

 ちなみに、わが村では立ち小便をする老婆はいないが、庭の隅にしゃがんで花摘みをする姿はよく見かける。

 花摘みとは、山屋の隠語である。

       *

 とはいうものの、村で暮らすようになった当初、嫁のラーが手鼻をかんだときには、さすがにびっくりした。

 およそ40数年ぶりに見かけたそのシーンは、ある意味で衝撃的であり「とんでもないヤツと結婚したもんだなあ」と内心穏やかではなかったものだ。

 しかし、すぐに頭に浮かんできたのは、子どもの頃によく遊びに行った母親の叔母の家で、そのお婆さんが見事に手鼻をかんだシーンだった。

 そのお婆さんは、田植えや稲刈り、畑の草取りなど長年の過酷な農作業のせいで両手が地面に着くほど腰がまがっていた。

 歩くときには、両手を腰の後ろで組んで腰を伸ばすような仕草をし、そのまま少し勢いをつけてひょこひょこと歩き出す。

 そして、こんな風に腰が曲がった老人の姿は農村では決して珍しくなかったのである。

      *

 わが村の現在の姿が、昭和30年代の日本の農村の姿に似ていることは、すでに何度も書いてきた。

 棚田での田植えは手植えだし、稲刈りも鎌を使う。

 畑に生える雑草の勢いは、日本以上である。

 だが、わが村では腰の曲がった老人はまったく見かけない。

 たいていの老人は腰がしゃんと伸びて、かくしゃくたるものだ。

 この違いは、どこにあるのだろう。

 かつての日本の農村の貧しい食事にはカルシウムが不足して、骨が弱かったという説を聞いたことがある。

 だが、さらに貧しいこの村の老人たちの食生活も似たようなものだったはずだ。

 ひとつ考えられるのは、わが村人たちが日本人のように四六時中田んぼや畑に張り付いて黙々と働いたりせず、暑くなれば作業小屋で長い昼寝をしたり、さらに長い長いおしゃべりを楽しんだり、いわば“適当に”農作業と付き合ってきたからではあるまいか。

 卑近な例をあげれば、わが家の草取りをするとき、日本人の私はついつい黙々と長時間地べたに張り付いてしまう。

 だが、嫁のラーは友人や通りがかりの人を誘い込み、焼酎をふるまいながら、にぎやかなおしゃべりを絶やさない。

 疲れればすぐにマッカームの木陰に置いた竹の平台に横になり、「残りは、また明日。マイペンラーイ(気にしない)」である。

 律義に“本日の達成目標”を定めている私にとっては、許しがたい怠慢行為である。

 そこで、嫁がくつろぐ様子を横目に、再び黙々と地面に張り付くのであるが、大量に流れ出る汗が体力を奪い、あげくに腰痛で腰も伸ばせなくなるありさまだ。

 暑い暑いタイでこんな働き方をしたら、腰が曲がるばかりか、早死にすること請け合いである。

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