地方振興は結局人次第。
それをどう仕組か。
東北のある町で、中山間地活性化のためにビジネスプランを募集した。
まだアイディアの域を抜けないが、中山間町村の活性化シーズとしてはとてもいいものがでてきた。
この中から1等2等賞を選び、推進し、波及効果をねらおうというもの。
ところが審査会で驚いた。
「振興協議会」という団体に所属する各団体の長さん達が審査する。
そ内容たるや次のようなもの。
他の事業と競合するので好ましくない、
彼は自分で勝手にコメを売っていて、作況や過剰米処理のことを一切考えてない人だからダメ、
生産調整に参加してないからダメ、
空き家を使うのはダメ、
ダッシュ村の様な交流型の施設建設を考えれば、それは結局ダッシュ村を超えられないからダメ、事業の必要性、必然性がわからないからダメ、
市場性がないからダメ、
町のイメージと合わないからダメ、
挙げ句の果て、やっても成功しないからダメ、
全てダメなのだ。
ここがいいという話は外部からいった委員以外からは出てこない。
自分たちの感覚で社会やビジネスの可能性を判断するのはしょうがないとして、
前向きなものが全部つぶされる。プランを出している人を嫌いなだけかもしれないとつい思わせてしまう。
こんな審査では意味がない。
やりたいという人にはやってもらえばいいと思うのだが。それが通らない世界だった。
「振興協議会」の長達は、自分の地域にとって何が振興のために大事と思っているのか次回は聞いていたいと思った。
こうしたことが人材の育成を妨げ、日本の山村の停滞を生んでいるのではないか。
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