今日は何の日?春分の日!私にとって忘れられない日!平成元年3月20日朝、父は亡くなった。
78歳明治44年1月4日生まれ。妹家族が病院にお見舞いに行っていた。
妹の話!「こんな病院ダメだ。日赤に転院する」と息まいていたという朝。それから暫くして息を引き取ったという。
胃がんで入院していたのだ。医者からは、「胃がんで末期がんで手術は出来ません。もって一年半の命です。」と家族に告げられていた。
本人には内緒。胃潰瘍のようですとかなんとか告げられていたようです。本人は、生きる気満々だった。
見舞いに来た校長仲間、親類の人達からは「不思議だね。がんは普通痛いと聞いていたが、痛がらないね。」と言われていた。
父の人生振り返ると子として素晴らしい!人生だったと感心する。
男4人女2人の子供を授かった幸わせ者。いつも家で子供達に囲まれ、母と一緒に楽しみ、勤め先の学校の生徒達に慕われ教育に熱心に取り組み
元気一杯健康に過ごしてきた。あばら家で貧乏ではあったが、明るく元気で楽しい生活。隣近所の人達との付き合いも上々。その人柄のせいか、若い頃勤めた小学校の生徒のクラスの同級会に招かれ70台半ばまで出席。自分の大学付属小学校同級会には、毎年出席。父のお葬式にはメインの出席者になられた。
78歳明治44年1月4日生まれ。妹家族が病院にお見舞いに行っていた。
妹の話!「こんな病院ダメだ。日赤に転院する」と息まいていたという朝。それから暫くして息を引き取ったという。
胃がんで入院していたのだ。医者からは、「胃がんで末期がんで手術は出来ません。もって一年半の命です。」と家族に告げられていた。
本人には内緒。胃潰瘍のようですとかなんとか告げられていたようです。本人は、生きる気満々だった。
見舞いに来た校長仲間、親類の人達からは「不思議だね。がんは普通痛いと聞いていたが、痛がらないね。」と言われていた。
父の人生振り返ると子として素晴らしい!人生だったと感心する。
男4人女2人の子供を授かった幸わせ者。いつも家で子供達に囲まれ、母と一緒に楽しみ、勤め先の学校の生徒達に慕われ教育に熱心に取り組み
元気一杯健康に過ごしてきた。あばら家で貧乏ではあったが、明るく元気で楽しい生活。隣近所の人達との付き合いも上々。その人柄のせいか、若い頃勤めた小学校の生徒のクラスの同級会に招かれ70台半ばまで出席。自分の大学付属小学校同級会には、毎年出席。父のお葬式にはメインの出席者になられた。
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