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意識と情報は突き詰めるとどこかでつながるのか?

2021年06月07日 07時39分09秒 | 電子計算機の未来

 ところで、我々の意識は一種の情報処理の結果であると見做す事も出来る。「この意識と情報は、どの程度の深さの次元でつながることが有るのか?」という問いを立てることが出来る。言語はそれを使う生物の生存環境下での情報形態の、特殊な場合とみる事も出来る。おお昔から人は、自分の自我意識を、こころと呼んで、自分という意識に、不思議さを感じてきた。日本文化は永くこの部分の意識をこころと呼んで、あらゆる生き物にはこころが在ると信じてきた。特に日本人はその言語と文化の特殊性から、無生物にもこころが在るとして世界を見てきたのである。世界の大多数から見ればこれは陳腐なものと勘違いされて、彼らは決してその本質を知ることが無い。

さて今まで言葉の背景をさぐり数学の方法を使いその本質を掴もうとしてきたが、数学にその方法が無ければ新たに創り上げれば好いと思ってきた。遺伝情報(DNA)というものはあきらかに指令の書いてある情報、乃至生物の歴史が書いてある歴史書でもある。物語的な歴史認識が始まって以来、天には神が存在するとおおくの文化が語ってきた。これはある程度の諸文化に共通する認識である。二十世紀に計算機と言う物が発明され特に1980年代には多くの人々が、かなり高価な物にも拘わらず電子計算機を手に入れた。そしてその機構的原理的は分からない迄も、多くの人が使いこなす社会が実現した。現在(2021年)の時点で電子計算機がなくなれば社会は機能しなくなるであろう。ここからは二十世紀に到達した量子論の帰結である量子力学の世界像から見た、現象や不確定性原理や重ね合わせEPR現象を使った量子計算機についてあやふやながら考えてみたいのだが、この量子計算機の歴史には多くの面白い事柄が目白押しだ。宇宙が計算機だとは面白い発想であるが、EPR仮説、不確定性原理、重ね合わせ、二重性、観測と意識、など諸々の焦点を加味すると、宇宙は一種の計算機だという発想は、十分信じるに値する。要はそれをどうして証明するかだ。この様な量子コンピューターの起源に成る発想は、既にいまから40年以上前に提案された事柄である。いずれにしても量子計算機という名称がこの世に現れたのはドイッチュの論文が一番先の様である。量子現象が計算に使えるなどという発想は1970年代初期にほかの分野である、波動と粒子の重ね合わせ、不確定性、EPR仮説、などの問題からの派生物である。素朴な実在論が永く我々の世界観であったが、物事の本質はおそらく世界の量子状態にある。例えば本当に宇宙が謂わば量子縺れを伴う計算機成らば、宇宙は離れ離れではなく外側は存在しない内的な宇宙になる。そのとき重力はどの様な意味を持つのだろう。

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