馬野周二が言う文明の分析と歴史工学はまことに興味深い。「日本人は楽園にうまれた邪心のない幼子である」。歴史時代に成って列島の外から侵略されたことは数えるほどしかない。記録にある実際の軍事的なもので大規模な物は、元寇というモンゴル人と朝鮮人に拠る侵略と大東亜戦争時のAmericaである、小さな紛争は有ったかも知れないが大規模な物はそれしか無い。もちろん天変地異の破壊的な災害は多々あったが日本人はそれを大自然の猛威と恵みとして解釈し古代神道の出現にもなった。しかし、日本以外では常に外部からの武力的攻撃を受け続けている。ユーラシア大陸ではそれらの経験は数え切れないほど多い。日本のこの天祐は「海と言う」絶対的な防護壁に在った。だが白人たちが大船を造り、世界中の海を荒らし回る時代に成って、この防御壁は段々に崩れて行った。ユーラシア大陸の東端であるシナ大陸では、民族の攻防が激しく、MongolとChinaの権威である岡田英弘に拠れば、純粋の漢人は三国時代に滅んだという。一口にChinaと言うが、各民族は殆ど判別が付かないほど混血してゐて、その建てた国を挙げれば、夏から始り殷、周、東周、秦、前漢、後漢、三国時代、西晋、五湖十六国、北魏、西周、隋、唐、宋、…延々と続く、Chinaの名前の基に成った秦はUyghur人の国家で始皇帝の武は緑色の眼をしていたという。秦は足った20年しか続かなかつた。三日天下のこれを国と言えるか、秦はUyghur人の苛烈な国家で、その威容は発掘で明らかに成った。
中原の土地を争って戦い、勝った各民族が国を建てるのがシナ大陸の様相である。民族が異なれば国柄も異なる。目まぐるしく動く戦乱の地域であり、Chinaに暮らす人間が、旧石器時代以来延々と続く日本人とは異なるのは寧ろ当たり前の事なのです。外国人にはシナ人と日本人の区別が付かないらしいが、日本人にはシナ人も朝鮮人も容易に区別がつく。日本のシナ大陸との貿易は古代から行われたが、それは武力的侵略という形には成らなかったが、やがて時代が大船と火器に拠る侵略と殺戮が始まると日本もそれに巻き込まれる事は必至だった。皮肉な事に歴史的には、丁度日本が鎖国を布いた時に西欧は科学革命の最中であり武器の発達は目覚ましい、所が徳川は長い戦国時代の経験から、日本を暫時武装解除に持って行った。ですから、徳川の250年間でその武器の発達は雲泥の差に成ってしまった。常に戦争をしている地域の方が武器の発達は当然のことですが大幅に進むことに成る。江戸時代当時の為政者は世界を知らなかった。家に戸を立てうちの中だけの政治を行ってゐた訳である。永遠にそうならばガラパゴス化したであろう。だが侵略者は海を越えてやって来る。それを跳ね返すにはそれなりの武力が要る。北米も南米も手をこまねいていて殺戮された。中米南米の文明は根絶された。その文明はもう復元が出来ない。