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井頭山人のgooブログ

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我々は大抵、井の中の蛙である

2025年02月25日 17時36分38秒 | 日本の歴史的遺産と真実

 馬野周二が言う文明の分析と歴史工学はまことに興味深い。「日本人は楽園にうまれた邪心のない幼子である」。歴史時代に成って列島の外から侵略されたことは数えるほどしかない。記録にある実際の軍事的なもので大規模な物は、元寇というモンゴル人と朝鮮人に拠る侵略と大東亜戦争時のAmericaである、小さな紛争は有ったかも知れないが大規模な物はそれしか無い。もちろん天変地異の破壊的な災害は多々あったが日本人はそれを大自然の猛威と恵みとして解釈し古代神道の出現にもなった。しかし、日本以外では常に外部からの武力的攻撃を受け続けている。ユーラシア大陸ではそれらの経験は数え切れないほど多い。日本のこの天祐は「海と言う」絶対的な防護壁に在った。だが白人たちが大船を造り、世界中の海を荒らし回る時代に成って、この防御壁は段々に崩れて行った。ユーラシア大陸の東端であるシナ大陸では、民族の攻防が激しく、MongolとChinaの権威である岡田英弘に拠れば、純粋の漢人は三国時代に滅んだという。一口にChinaと言うが、各民族は殆ど判別が付かないほど混血してゐて、その建てた国を挙げれば、夏から始り殷、周、東周、秦、前漢、後漢、三国時代、西晋、五湖十六国、北魏、西周、隋、唐、宋、…延々と続く、Chinaの名前の基に成った秦はUyghur人の国家で始皇帝の武は緑色の眼をしていたという。秦は足った20年しか続かなかつた。三日天下のこれを国と言えるか、秦はUyghur人の苛烈な国家で、その威容は発掘で明らかに成った。

中原の土地を争って戦い、勝った各民族が国を建てるのがシナ大陸の様相である。民族が異なれば国柄も異なる。目まぐるしく動く戦乱の地域であり、Chinaに暮らす人間が、旧石器時代以来延々と続く日本人とは異なるのは寧ろ当たり前の事なのです。外国人にはシナ人と日本人の区別が付かないらしいが、日本人にはシナ人も朝鮮人も容易に区別がつく。日本のシナ大陸との貿易は古代から行われたが、それは武力的侵略という形には成らなかったが、やがて時代が大船と火器に拠る侵略と殺戮が始まると日本もそれに巻き込まれる事は必至だった。皮肉な事に歴史的には、丁度日本が鎖国を布いた時に西欧は科学革命の最中であり武器の発達は目覚ましい、所が徳川は長い戦国時代の経験から、日本を暫時武装解除に持って行った。ですから、徳川の250年間でその武器の発達は雲泥の差に成ってしまった。常に戦争をしている地域の方が武器の発達は当然のことですが大幅に進むことに成る。江戸時代当時の為政者は世界を知らなかった。家に戸を立てうちの中だけの政治を行ってゐた訳である。永遠にそうならばガラパゴス化したであろう。だが侵略者は海を越えてやって来る。それを跳ね返すにはそれなりの武力が要る。北米も南米も手をこまねいていて殺戮された。中米南米の文明は根絶された。その文明はもう復元が出来ない。

 

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幕末の歴史を探る

2025年02月24日 05時56分58秒 | 日本の歴史的遺産と真実

*海軍伝習所の日々(カッテンデーケ)ー東洋文庫、*長崎海軍伝習所(藤井哲博)ー中公新書、*咸臨丸航海長ー小野友五郎の生涯(藤井哲博)中公新書、軍艦奉行木村摂津守(土井良三)中公新書、幕末軍艦咸臨丸上・下(文倉平次郎)中公文庫、怒涛坂巻も「幕末の数学者小野友五郎」上下(鳴海風)新人物往来社、赤松則良(海軍中将赤松大三郎)半生談ー(赤松範一編)東洋文庫、

上記の本を参考に幕末の歴史的過程を考えてみたい。事が動き出したのは勿論Perry以降である。当時の状況は「泰平の眠りを覚ます上喜撰たった四杯で夜も眠れす」とは、太田南畝の川柳が象徴する。幕府は江戸城を砲撃すると脅されて、開港せざるを得ず、横浜と根室を開港した。そして「日米和親条約」を結び鎖国は終わった。だが褌一丁で黒船と戦う訳にも行かず、急遽各藩の英才を集めて蒸気船の運転技術と惹いては工業技術の習得に努めざる得なかった。いち早くAmericaと対抗することは出来ない。各藩の秀才を選抜して、出島の近くに「長崎海軍伝習所」を造り、Hollandに理論と技術の双方の教えを請うた。

この海軍伝習所こそ近代日本の始まりである。その伝習生集めて一期生を監督したのは幕府目付の永井玄葉守(この人の何代か後に三島由紀夫がいる)である。二期生、三期制を監督したのは、後に日本人で初めて咸臨丸で太平洋を横断航海した咸臨丸司令官の木村摂津守喜毅であった。まず幕府が初めに行ったのは、とにかく海軍を創設することであった。其の為には軍艦を操り修理補完する技術を持たなくては成らない。そこで最初の一歩として「長崎海軍伝習所」が開設された。此処には以後、日本海軍の幹部と成る多くの人物が居た。この一期生の中でも特に傑出して居たのは、将軍の家来の家来である陪臣の和算家小野友五郎である。数学に傑出していた小野は、簡単にカッテンデーケの微積分の講義をマスターして仕舞ったという。

そして計算に於いてはオランダ人の筆算と小野のソロバンの競争が行われ、何十桁の50行100行の加減乗除の計算をアッという間に解いてしまう速度にオランダ人は舌を巻いている。算盤の達人ならば意とも簡単のことだ。本当の達人に成ると、頭の中にソロバンが在り、それを眼で見て頭の中でソロバンを弾く事は意とも簡単である。オランダ人が敵う訳がない。小野の伝記は何冊かあり、笠間藩から江戸詰めになり、長谷川寛の算学道場に入門する。長谷川寛は、関流五代日下誠の弟子で、師と長谷川の間で何が在ったかは知らないが破門された。日下は町人に出身で和算の能力は素晴らしかったが、何事も事に於いて厳正であった。長谷川が勝手に算学の教科書を出版した為に師の不興をかった事は十分に考えられる。

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代数幾何学から数論幾何学へさらに確率幾何学へ

2025年02月22日 16時54分03秒 | 数学と哲学

 数学の変遷はその流行とは無縁でなく、研究し易い分野に多くの者が参入するのは流れとして必然であろう。人間の創って来た数学の歴史を振り返ると、ごく身近な物理学の問題解決から始まった。大抵の数学史は古代ギリシャ時代から始まるのが常であるが、古代の数学が体系化されたのがギリシャ時代であったにしても、始原はギリシャ時代を大きく遡るものだ。特にプトレマイオス朝に於ける植民都市Alexandriaの貢献が大きい。有名なAlexandria図書館と̥ムセイオン(Alexandria学院)の館長をしていたエラトステネスや、それ以前の自然哲学者アリスタルコスの業績が数学の発展に大きく影響を与えている。エラトステネスは地球を球体であると考え地球の円周を計算した。さらにそれ以前にアリスタルコスは、地球と月の大きさの比を出している。それはすべて三角法を駆使した業績なのだが、驚くべきことにはアリスタルコスは地球から太陽までの距離を計算している。これも三角法の応用だ。土地の計測から三角法が始まったと云う事が謂われる。

そして、やがて時代は進み代数方程式が表す解の連続としても曲線の対応から代数幾何学が始まった。複雑な多項式がどんな形を現わしているのだろうという好奇心である。平行線の公準が考慮され、もっと世界は平行ではなく、空間を伸ばせば必ず交わる幾何学と平行線は互いの遠ざかり発散して仕舞う幾何学とが現れた。古代の幾何学であるEuclid幾何学は、もっと多様な非Euclid幾何学の特殊例である。その様に拡張された幾何学が現代の幾何学であり、更には位相幾何学と言う固定された形ではない幾何学が現れて、その幾何学が求めているのは形とは何かでは無くて、内側と外側の違いは何か、とか、形では無くて空間とは何かを求めている。そんな幾何学が出現している。明らかに定量的な幾何学とは異なる視点で幾何学を論じる。そして確率論に於いても幾何学化が進む。確率論を幾何学化しょうとする。

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【追悼】母猫のぬくもりを知らず、必死に生きようとした小さな命...ずっとずっと忘れないよ

2025年02月21日 19時50分32秒 | 分子進化と集団遺伝学

【追悼】母猫のぬくもりを知らず、必死に生きようとした小さな命...ずっとずっと忘れないよ

この様に生まれて来た使命とは何なのだろうね。動物も人間もみな兄弟だ。

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修験道について

2025年02月21日 06時45分01秒 | 日本文明

 神道と修験は深く関係してゐる。元々修験は神道に発したものだが、仏教が入って後には仏教とも融合して現在の修験の形式が確立した。但し、仏教との習合は修験に於ける神道の根幹を消し去った訳ではない。寧ろ、仏教は本来の姿を神道に依って変えられたと謂った方が正確であろう。修験は神道の血を引いており、根幹に祖先崇拝と大自然、恐らくは樹木信仰であろうが、その崇拝がある。仏教の哲理に於いて、やっと出て来た平安仏教の二大宗派、最澄の天台宗と空海の真言宗があるが、修験のとの関連は、空海の「真言宗」の心性と深く関係してゐるのではないだろうか。何に於いても真言宗のドグマは、「大自然と言葉」なのである」。空海は讃岐の値の三男として生れ、母の弟は阿刀大足という当代きっての学者であった。その関連で真魚(空海の幼名)は、13歳位で奈良の都に出て、18歳位で官僚を養成する大學寮に入学するが、折角入学したにも係わらず、幾らもしないで退学して仕舞う。故郷の両親も叔父の大足も大學寮を辞める事には反対であった。だが一年位で辞めてしまい、青年空海は何を想い、どこで何をして居たのだろう。大學寮を卒業すれば食うには困らぬ地位が約束されたであろうが、この学寮がどこか馬鹿々しくなって中退したのだろう。辞めた後の行動は解っていない。だが、神道に基づいた修験をしていたらしい事は、室戸岬で星を飲み込んだとか?様々な逸話が伝えられている。遠い昔に日本にはインド由来の奈良仏教が支那朝鮮を経て入った。だが移植されたその原型の仏教は、日本の神道とは馴染まなかった。元来、日本に入った仏教は印度で発展した最終期の仏教であり、その哲学や世界観は誠に立派な物であるが、日本の文化の原型との差異が大きく、且つ溝は深かったのである。私は、この印度と日本の本質的な差は、自然環境がもたらした世界解釈の於ける価値観の差であったろうと思うのだ。

日本の自然は噴火や地震など恐ろしくもあるが、総じて人間を包み込む優しい母なのであり、日本人はその自然に強い愛着を懐いて来た。そこに印度との根本的な差異がある。印度は灼熱に地帯であり、自然は概ね乾いて居り人間を易しく包み込むものではない。人間の世界観や価値観には、生活の基盤である自然環境が深く左右するのは、すでに大正時代のむかしに和辻哲郎が著作「風土」で詳述していることであり、食料を得る為の方法はヒトの考え方や文化に強い影響を与える。彼はその気候を幾つかに分類した、ツンドラ、ステップ、モンスーン、砂漠、熱帯、などを気候分類として挙げている。太陽系第三惑星としての地球は、その緯度によって太陽の放射エネルギーの数量が異なるからだ。さらには地球自体の自転と、地表の凹凸による空気の流れ、海では熱せられた海水のよる循環の経路などが、気候に与える要因として挙げられる。

日本の属するモンスーンとしての気候が、日本の四季を彩る根幹だ。日本ほど四季が明確な所はない。春夏秋冬があり、更には二十四節気と称する季節の微妙な移り変わりが多くの歌に詠まれている。夏は多湿高温で密閉された家屋では途てもでは無いけれど住めない、それで伝統的な日本の家屋が、風通しの好い南向きの茅葺であることが理解されるであろう。冬は日本海側は多湿低温度で、日本海を吹き抜けて来る季節風は多量の水分を含んでおり、それが山に当たると多量の雪を齎し、それは水となり、春の農耕に多くの恵みをくださる。冬と夏の間に展開する、春と秋は殊更に美しい色どりの多い世界で、日本文明の美的感受性はこの四季の美しさから励起された物であろう。日本人は旧石器時代から類推すると、最も古い時代の石器を物を思えば、この列島に定着して原日本人は十数万年を生きて来たのであろう。日本的美学はこの春夏秋冬の世界と無関係ではない。そして、我々の遠い祖先は磨製石器を使いながら、先鋭なガラス質のナイフも使う。「相澤忠洋記念館」には、相澤さんが火山灰層の中から発見し、考古学に常識を覆した美しい黒曜石ガラスのナイフが飾られている。この黒曜石は長野県和田峠で作られた物なのだろうか。成分分析をすれはその場所は特定できよう。

修験の元である自然神道は、恐らくは縄文時代をこえて石器時代に始まるのではなかろうか。修験のイメージは日本三大修験の一つ羽黒山で見た通り、白青の一松模様の法衣を着て白い股引を付け草鞋掛け、数珠を首から垂らし、頭には兜巾を付けて深い山中を歩き回る。という印象だが、この形式はいつ頃に確立された物だろうか。まあ形式はどうでも好い、本質は峻険な山岳を歩き回り、大自然の息吹に触れる事だから、神道には経典は無い、しかし修験には仏教から借りた信奉している経典はある。修験はそれ以来江戸時代まで村々では確実に頼りにされていた。修験は江戸時代を越えて明治大正期まで、田舎では普通に民衆の教化を行ってゐたのである。

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思考機械と理論物理

2025年02月03日 23時44分34秒 | 数学と哲学

 最近機械に思考を代用させようと云う試みが流行の様です、それは基本的に量子コンピューターを想起します。人工頭脳の問題は、それは最近ではなく、大昔のギリシャ時代からありました。日本にもそれに類したものが有ります。まず理論物理の目的というのは、多様な現象を構成している原理・原則を知る事です。そこから色々な法則が発見できますから、その中で最も基本的な原理を抽出して、それから現象を再構成すること、その一連の思索が理論物理と言ってゐる分野です。機械学習と言っているのは、思考の進行を数学的な概念で記述したものです。ブール代数などはそれに類します。AIとは思考のその一部の機能を機械に代理させるという分野です。機械は疲労もせず黙々と作業を進めますから、また速度が速いので、ルーチン化された部分は機械に作業させた方が良い。機械の使い方は思考の本質に係わる重要な分野です。機械にも自己展開、自己発展という思考のループをさせることが重要です。その過程の中で判別構造を挿入する。

人工知能の核心部は、それが、「意識」を、持つかどうかという問題であり、「判断力」を持つかどうかに尽きる。判断力とは何か?、「分析力」である。それは目的性を持つ意識が有るかどうか?という事でもある。簡単に謂えば、真の分析力とは何か、それは情報の質を判別・類別して、その関係性を抽出することだ。生きてゐない機械というシステムが、以上のような機能を持つならば、人工知能は少年の知能を持つと言ってよい。

只、機械的システムは外部からのエネルギーで動いている、例えば電気である。動力源は無限ではない。電気が絶たれればシステムは死ぬ、原子力電池の様なものならば比較的継続する。電源の将来はそうなるだろう。問題の本質はプログラムを遂行する機会に、その得た情報に付け加える想像力を持たせる事だ。それが可能なら人工知能は、普通の人に代えることが出来る。生命の分子構造であるDNA生体情報は、マダマダ詳細にはまだ何も分かって居ない。思考の何たるかも解ってはいない。

分子構造が「如何なる意図で」動いているのか?は、未知の分野です。生物の脳神経系自体は、自然がその必要性から創り出したものです。我々が意図的に作った物では決してない。ここで重要なのは大自然の方向性と構成機能です。この力は日本の古代人も感じて居ました。それが自然信仰と成るのです。まあこれは人工知能の哲学的な問題ですが、もっと実際の機械的なものを製作するという面では量子コンピューターのアイデアと同様に面白い問題です。知的な計算機を作るということは人間に取って究めて重要な道具を創ることに他成りません。

ここで「数秘学」に附いて、一言いわせて貰いましょう。「数秘学」とは字の如く、ある数に、自然の神秘が隠されているという哲学です。なにか、この数字が宇宙の真理を体現しているという閃きであり、啓示でありさらに言えば信仰です。物理屋で、直ぐ思い浮かぶのは、W・PauとかP・Diracです。149だが146だ、宇宙の基本的関係が比例数に基づくのだとか、宇宙の膨張と共に重力定数は変化するとか、当然、光速度も変化して行く。彼はそれらの数に自然の仕組みを感じ、それの意味を追求しました。元々、数は自然を現わす為のひとつの手段に過ぎない、と謂うのは言い過ぎでしょうか?、それは人間の脳神経系の特質を現わしている現象です。「数とは何んなのでしょうか?」と言う問いは、大昔から哲学者や詩人、数学者、神経生理学者たちに依って考えられてきました。数というのは、物理で謂えば一つの電子、生理学で謂えば神経網を流れる一つのパルスに相当する物です。それ以上の物でも、それ以下の物でもない。数とは謂わば思考を進める概念、道具、と言えます。方程式の利用は未知のXを入れる事で大いに進歩しました。数は概念の道具です。想像的思考を進める際には、ソロバンの玉のように、その数を弾く必要が有ります。数には今も深淵な意味が在ります。この点をもっと追及して見たいのです、

さて、ここで自然の隠れた構造についてもっとも大切な事項を考えて見ましょう。例えは一般相対論の解に附いての問題です。この方程式の解に附いて色々な物が有りますが、ごく初期の解にシュワルツシルトの解が有ります、球対称で極ノーマルな条件での単純解です。それから色々な解が出て来ました。とくに有名なのがカー解です。これは回転とかその他の事項を含んだ基本的な解です。最後に出てきた解の一つがTーS解と呼ばれるものです。

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