浜辺の歌
秋田の奥、阿仁川のほとりに生れた成田為三は、秋田師範で尋常小学の訓導になったが、小学校にあったオルガンに魅せられバイオリンに魅せられた。やがて音楽の道への憧れでゐたたまれず父母に許しを得て東京音楽学校へ進みました。成田の師は有名な作曲家でもあった山田耕作でした。この「浜辺」と題する曲は、成田為三が音楽学校に進んだ三年生の時の作曲だと謂います。さすらいの悲しみを抒情ゆたかに歌い上げて、日本の類まれな唱歌のひとつです。成田はその後西洋音楽の勉強の為に留学しますが、その才は、「荒城の月」や墨田川をうたう「花」の作曲で記憶に残る滝廉太郎と共に際立ってゐたのだとおもいます。