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日本の絵巻物について

2018年11月26日 21時35分45秒 | 日本の古典

 日本古典文学を読んで見ると、そこには必ず絵巻物の衣装が彩を添えている。偶々古本屋に出掛ける機会が有ったので、奥の方を覗いてみると、其処には日本の絵巻物シリーズと云う全集が有った。どんな物かと手に取ると、それこそ膨大な数の絵巻物が在る事に傍と気が付いた。天台座主鳥羽僧正(覚猷)以来、戯画の伝統は日本の文化に深く根差している。視覚の文化が日本の文化的な背景になっているのだろうか。これはいったい何なのだろう、どんな原因や要因があるのだろうか?、視覚の情報は文章の百倍くらい多いのだろうか?調べた事は無いので確定した答えでは無い。言語情報と視覚情報が異なって居る点を挙げてみょう。

言語情報は、1つに、その基礎に成る学び修得した知的資産が反映されるために敷居が高い。語彙にしても、意味にしても、専門知識にしても、当然の事ながら、文章の質と意味の明晰が反映される。2つに、また、文章の創造には、個人の性格や感受性と謂う物が反映されて居るのだから、個人的性質が物を言う。本物の詩人という人種は言葉の内奥を空想し、言葉の出て来るまで意識の解体が進んでいるのだ。詩人は空想する性癖がある。どこか心が跳んでしまっているのだ。言葉と言うものは人間が創造した物である以上、自然に備わったものではない。

反面、「視覚情報」はどうだろう、視覚は改めて学ぶ必要も無く、等しく生まれながらに備わっている。中には視覚を失う人も居るが、視覚は、外界の情報の全てを一瞬のうちに把握する。色も文字も動きも空間も視覚が把握する。もちろん聴覚と言う大事な能力もあるのだが、それは置いておくとして、見るという力は大きなもので、然も個人的な教養や学習などは、文字情報ほどは影響を持たない。見る事は、つまり深く見る事は大いに知的ストックと関係はして居るが、言葉の文字情報ほどは、決定的ではないという事だ。

此処で少しテーマから逸れるが、幼少期にこの大切な視覚を失った偉人も居る。塙保己一という素晴らしい人である。彼は江戸時代の裕福な農家の長男にうまれ、何事も無ければ、豪農の家を継いだであろうが、五歳の時高熱を発する病気が原因で視力を失う事に成る。父も母も長男の行く末を案じた事であろう。当時は視力を失った盲人は保護されており、盲人組合の様なものが組織され、鍼灸の謂わば学院が有り、それに入学し師匠に付き、針や按摩などを習う。当然の事ながら、保己一もそのような学校に入り、師匠に付いて一生懸命に習ったが、どうも上手く行かない。何年か後に師匠は保己一に、お前はどうも筋が悪い、この鍼灸の道で生活を立てるのは、まず困難だろう。ならは、他の道で生きてゆく以外に、自らの一生を実りあるものにする事は出来なかろう。鍼灸は駄目だが、お前は物覚えが格段に良い。それにお前は学問が好きな事は、この数年のお前の生活を見ているとハッキリした。で、保己一よ、どうだろうか、学問の道に入り、その道を究めて見ないか? と、師匠は云った。たぶん、その道は保己一も望む所だったのだろう。国学の師匠に付き研鑽に務め、やがて彼は、日本国の始まって以来の著作文献の編集を始める。群書類従・続群書類従である。この本当に膨大な著作の山は、現在の日本文明を支える文献著作研究には無くてはならぬもだ。

江戸時代の盲人は幕府に依る保護が有った。先に書いた鍼灸の学院と徒弟制度を整備し、盲人には金貸しの優遇をした。盲人組合の中で最高位は検校であるが、何々検校と称する名称が記憶に残る。例えば幕末から明治にかけて有名な勝海舟の曽祖父は越後から出て来た盲人で、江戸で金貸しを始めて、巨万の富を築いた。その富の3万両で旗本(御家人)男谷家の株を買った。それの係累が勝家の始まりである。また神道や仏教的な背景から、牛馬の処理は一般の庶民には嫌われて居たので、エタという階層を指定してそれに任せた。武具には獣皮が不可欠であり、エタは金銭的には大金持ちで有ったと記録されている。様々の専門職種があったということであろう。現代では牛を食べたり、豚を食べたり、馬まで食べるが、江戸時代はこう云う事は一般的では無かった。牛や馬は農業を遂行する上での大切な仲間であり、病気になれば介抱し、死ねば丁重に葬った。間違っても、それを食おうなどとは考えなかった。だが、現代では何の抵抗も無く食べている。本来の日本人であれは食う事など、生命の冒涜に近い物であった。肉を食うという事は明治の安愚羅鍋以来の洋風を真似た習俗である。

さて大分話が逸れて仕舞ったが、日本の絵巻物という文化的背景には、視覚化という古代からの文化的基礎がある様だ。それは漢字と言う象形文字を使い続けて来た背景があるのかも知れない。江戸時代の絵画の隆盛は云うに及ばず、もっと古い時代にも、この伝統は芽生えている。という事は象形文字を使い始めてからの事なのだろうか? それにしても、絵巻物を見るのは楽しい。言葉で書かれるよりも、ズーッと視覚化されたイメージで直接に状況を掴む事ができます。漫画の元祖と目される鳥羽の僧正の「鳥獣戯画」は、本当に見ているだけで楽しい。また江戸時代は浮世絵の隆盛期であり、その技術は頂点にまで上り詰めた。葛飾北斎、歌川広重、鈴木春信、ほかある。また大和絵も土佐派を主体に、日本的な優美の極にまで到達した。

これは日本語の特徴とどう関係するのだろうか。たとえば俳句は、物を有るがままに捉え、そこに時空の中に在る普遍性を追及する言葉の技術である。俳句とはコトバの色を使って、状況の絵を描く技術だ。

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自然とは何かー情報と自然現象ー計算とは何か(チューリング機械と動作の意味)

2018年11月17日 12時25分48秒 | 電子計算機の未来

 形式論理学と同様に計算可能性は古くから探究された分野だが、B・パスカルや、チャールズ・バベッジの機械式解析機関の計算機から、電子を介在とした電子計算機が出現するに及んで、回路図の論理であるブール代数を使った計算性の全体像が探求された。万能計算機のアウトラインを描いている、チューリングマシーンの概念が創られたのは、そんなに昔のことでは無い。電子計算機は第二次大戦時の暗号の解明に役立てようと試作された初歩の計算機に由来する。

その当時の計算機は、現在の様にtransistorを使った物では無くて、電子を操作する真空管を使っている。その真空管もその数たるや一万本~五万本という本数で、その活動電気料はもの凄いもので、また当然の事ながら発熱量は膨大でそれを冷却する為の装置も大変な水量を要した。いかに大掛かりな装置であったかが想像つくだろう。計算機の基本的機能を最も単純にデザインしたのが万能計算機のアウトラインを描いたチューリング・マシーンである。この計算機の形態は、codeとHeadで構成され、機械的な指示に従って動く自動計算機の概念である。

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自然把握のための分岐の概念

2018年11月11日 14時47分53秒 | 分岐現象の原則

 分岐現象の把握に付いては、以前にこのブログでも記述したらしいと思うが忘れた。それで、もう一度、初めから書いてみたい。分岐現象が自然記述の根本駅な基礎概念であることは間違いない。分岐過程を確率的な概念で定義できないか?と思う。

分岐は最も普遍的な概念である。宇宙の始まりも素粒子の生成消滅も分岐現象のひとつである。分岐現象で我々の普段に目にするのは、植物の成長であり、ガラスのビーカーの中に落としたインクの拡散で有り、みそ汁の中に描かれる湧き出しと下降の模様で有り、化学現象ではベルーソフジャボチンスキーの模様である。古くは寺田寅彦の割れ目も洋に研究の同様である。大昔1956頃に、万能計算機の概念で有名なチューリングが、生物の形態形成に付いて化学物質の電位勾配が形態の形成を誘導するものではないかと書いた事が有る。確かに、まともな想像だが、この時には未だ遺伝の情報体の構造は確定されて居なかった。現代の分子遺伝学では、この構造的情報体と、具体的な形態形成の対応が出来なくて、壁に突き当っている。詰まり分り易く言えば、この情報の概念と実体としても化学物質の挙動の対応が出来ないので先に進めない。こう云った場合は、もう一度、初歩、出だしの戻って考えなければならない。

すると思い出すのは模様の研究である。縞馬の模様、豹の模様、ホルスタイン牛の模様、生物には特徴的な模様が多々存在材する。これらの一般的な模様の原因を確率的に提起したい。此れを進めるには厳密さと大胆さの両方が必要だ。宇宙の始まりも素粒子の生成も元素の出現も、すべては分岐という一般現象の範疇には入る。「分岐学」を進める為には、先ず手始めとして、数学的な定義が可能ならば試みて見たい。その場合どのような分野を用いるか、わたしは確率論的な手法を使えないかと思う。特に条件有で使われるベイズの定理を使って出来ないか?と思うが、それで駄目なら他の方法を使う。そして分岐だけには他ならず、集合関係についても、この分岐と対応関係にある集結の現象もおなじ土俵に在る。集合状態について言えば、簡単には多体問題に成る。多体問題は古典的な力の関係で、代表的な例としては三体問題が挙げられる。二体問題までなら手計算でも簡単とは言わないが解ける。だが三体以上の多体問題に関しては、人間の能力ではお手上げだ。

あれほどアンリ・ポアンカレが苦労して解こうとして解けなかった問題が、電子計算機の発明と発展に因ってそれを解いた。勿論一つの解では無い。解は揺らいでいる。1970年代にカオスが発見されて、ポアンカレの努力が結局数学的な一つの厳密な解には行き着かず、解はゆらぎのパターンを示していた。同時期にフラクタルも発見されて、自然は人間が考えるほど単純では無いことを認識させられた。分岐と集合の自然現象は、まだまだ未知の領域で、これからどんな驚く事が待ち受けているか分らない未開の世界である。集合関係では核物理に於ける元素の存在領域に関する新知見が出て居る。天体の元素合成と関連して、周期律表の外側に広がる未知の元素の全体像を明らかにしなければならない。電子計算機の発達は、人間の直観的な予想をコンピュートする計算で、今まで複雑で概要さえ不明な分野を、力技で進める可能性が出て来た事だ。

所謂、計算実験が出来るのである。この効果は大きい、計算物理学と云う分野が成立する。それと同時に理論を進めてゆくアイデアも今まで以上に最重要課題となる。大掛かりな実験設備はもちろん必要だが、それには莫大な資金が掛るのだ。例えば素粒子物理学の実験設備は、莫大な資金を必要とすると同時に、半径20キロメートルの加速リング状の設備で実験を行う。その様な土地と資金は確保に困難な事だが、電子計算機では、3次元の仮想空間上で莫大な粒子を使い、仮想の実験が出来る。この事が、数学も物理も進歩させた。より複雑な現象を再現するには、計算速度の速い計算機が要る。

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