現代の物理理論の歴史の中には、永い試行錯誤の歴史が埋まって居る。その当時の困難を乗り越えようとして、様々なアイデアが提出されました。その幾つかを取り挙げて具体的な式は書かず、少し内的事情や定性的な事柄を書いてみようと思います。或る意味では独善的なこじ付け的理解の仕方ですが適当に読み流して頂ければ幸いです。
*- 計量ゲージ論 ゲージ理論は現代物理学の標準理論を構成する方法論としては最も信頼されている主要な方法論である。「1905年に、Einsteinは特殊相対論、1915年に一般相対論を出した」当時の有力な数学者ダビット・ヒルベルトの弟子で、此れまた中々の数学者であるH・ワイルは、その相対論と従来の電磁気学とを統一的に理解する為に、時空に基準に成るゲージ(物差し)を導入したアイデアが、このゲージ論の源流となっている。ワイルの物理認識を現す論的構想である。現在も格子ゲージ論などの、それなりの展望を持っている基本的な方法論の一つで、ゲージ理論の改良に依っては、また別なアイデアと合流して、再び新境地を創り上げる可能性もある力強い考えである。ワイルは単なる数学者でも、また物理学者でもないと思う。参考に成るその一つに、彼の著書「数学と自然科学の哲学」がある。この本は出版年は古い本だが、内容はいつまでも輝きを持って居る著作だ。この本が示すように、彼の真骨頂は数学と物理を別な分野の物とはせずに、その統一的な認識を求めたことに在る。20世紀の数学は従来の素朴な形式の雑物を取り払い出来るだけ抽象化して、その概念を操作する事が流行であった。であるから、数学では20世紀の前半・後半を通じて抽象化、普遍化が目標であった。フランスのブルバキが進めた形式は将にそのものである。確かに抽象化は関係を明晰にし問題の根源を整理するには優れている。しかし、この様な純粋数学の概念同士の交配を続けていると、何時しか、それは生物の近親交配と同様に活力を失い、退化或いは衰退する。真の数学は自然現象から新しい血を入れねば、逞しい活力を保持できないものだ。ゲージ論のアイデアだが、1905年にベルンの特許局の技師アインシュタインに依って特殊相対論が発表され、1915年には更にEinsteinはNewton力学の重力論を拡張した一般相対論を創り上げた後、一般相対論と電磁気学を統一的(二つの基本式を一つの式で現そうとして)に理解仕様として、その後のすべての時間を使ったが、結局のところ上手くは行かなかった。ワイルの野心はEinsteinと同じように、電磁気学と一般相対論を融合させた理論を作ることに在った。なぜ上手く行かなかった原因は何だ?と言う議論は今も続いていて、詰る所量子力学と相対論の統一的認識が出来ていない事に在るのだろう。相対論は革新的だが、飽くまでも量子という確率的世界像を必要としない古典的物理学の範疇に入るものだが量子論はそうは行かないからだ。現在の新理論の中には「量子重力論」という分野が有り、これがEinsteinの夢を実現する近道か?とも予想する人が多い。
また驚く事には、現象学の創始者で哲学者エドムント・フッサールは、自分の後任にヘルマン・ワイルを望んでいたので、もしかするとワイルはフッサールの誘いの乗って現象学の講座を継いで開講していたかも知れない。元々、E・フッサールは、有名な数学者ワイエルシュトラウスの助手として解析数学を専攻していた数学者だったのだがイタリアの名門でウィーン大学の宗教哲学者フランツ・ブレンターノの心理学的哲学の講義を聴いて、突如代数解析学の研究から心理哲学に転向した人物である。こう謂う経過がある為に、現象学は常に数学的世界観をその基礎をおいて居る。彼の主要な研究である、「幾何学の起源」や「論理学研究」はこの様な数学的厳密さを曖昧な心理現象に適応させるという彼の考え方が哲学の底に見える。この時代の数理論理学研究はヤン・ルカシェービッチやレスニェフスキー、USAに移住したアルフレッド・タルスキーを始めとしたポーランド数理論理学派が有力であった。この当時に不思議と力ある数学者が輩出したポーランド学派の歴史は検討に値する。ワルシャワ学派、クラクフ学派、ルヴォフ学派、は、皆その大学名である。ワルシャワ学派はワルシャワ大学の数学グループであり、コペルニクスが在籍したポーランドの古都クラクフにあるクラクフ大學はヨーロッパの中でも古い伝統ある大學であった。バナッハ空間で有名なステファン・バナッハは、ルヴォフ学派の最初の指導的な巨匠であり、全ポーランド数学を率いる力ある数学者であった。彼らは論理学派を世界に先んじて形成し大きな影響を与えた。基礎論理学はドイツの当時の先鋭的な論理学者であるG・フレーゲの「概念文字」のアイデアを参考にして居る。また、ルードヴィッヒ・ウィトゲンシュタインの論理哲学論考もフレーゲの概念文字に何らかのヒントを得ている。論理学研究が主張しているのは思考の様式と論理構造の関連なのである。フッサールはフレーゲの研究と共にアメリカの鬼才であるC・S・パースの研究も何処かでヒントにして居るの違いない。フッサールという人物は現在でも人気のある哲学者と見なされて居り既に陳腐としか思えない物でも日本では大切に継承されている。ワイルに関しては、他にも「群と量子力学」や「リーマン面」「シンメトリー」という名著が有りそれは彼の深い見識を示すものだが、現代の最前線の物理学はそれよりも奇抜な方向へと進行軸を変えている。
*- S行列論 「量子物理論の創始者の一人で、行列力学の発案者、不確定性論の提唱者である、W・Heisenbergの提出した最後の大きな理論で、現在でも歴史的にそれなりの価値を持っていると思う。アイデアとしてはクラシカルで、優れた所を感じさせる。だがHeisenbergとPauliの追及した初期の場の理論は、今でも完成して居ない。場の理論は根本的な難題が在るのだ。それは電子の質量を計算すると無限大の出現がが計算の障害に成る。これが解決されれば量子力学は完成する。しかし、解決には未だ甚だ遠い道を思わせる。Heisenbergは、その後も現代物理に関する大きな影響を与えている。それは不確定性原理のもたらすもので、観測の問題の核心部であり、EPRの問題とも深く関係して来る。Einsteinの言い掛かりと見えたEPRのパラドクスは、思いもかけない問題を提起している。量子相関の問題で、これは量子コンピューターの根拠なのである。また不確定性原理については、Heisenbergの不確定性原理は2003年に日本人の数学者ー小沢正直に依って内容が新たに書き直された。classicalなHeisenbergの不確定性は、位置の確立偏差、質量の攪乱の変異などの項が無かった。ゆえに現象の把握に忠実な不等式では無かったのだ。量子論の認識に欠く事できない不確定性原理は、小沢の不等式で新たな現象の把握に役立っ事に成る。不確定性論は新たな次元に突入したと言えるのだ。ここでも量子現象の統計的解釈に関する、Einsteinの貴重な言掛りが面白い結果を生む。それは「量子テレポーテーション」である。最近、技術的な量子コンピュータの基礎が確立された。日本はその光学的テレポーテーションの分野で最先端を走っている。一つの量子の半分を宇宙の果てに置いたとしても、それは一方の状態に何かが有れば、瞬時にして片方に伝わる、(当然の事だがそれは高速を越える)という原理を基にしている。公式には(量子もつれ)、と言うような呼び方をしている。テレポーテーションを応用した量子コンピューターは、恐らく私の持って居る、この3万円のパソコンの千万倍も速い事だろう。
*- 素領域論 「現在の素粒子論の基となったアイデアは、中間子論を提案した湯川秀樹が1967年に提唱した極微世界に関する展望であり、何やら、芭蕉の「奥の細道」を引用した、味わい深い巨匠の哲学である。それによると、素粒子は通常の時間と云う流れを遡り、逆旅を遂行しているのだそう。湯川がこのアイデアを談話会で述べた時、弟子達は師匠の頭が少し変に成ったと誤解したらしいが、何せ現状の標準模型を信じ切っている弟子達であり、師匠の高遠なアイデアを理解できなかった模様である。この素領域理論は、世界は素領域と称する最小の単位があり、それによって構成されている。というアイデアであり、それはひも理論を導入する時の奇縁になった物である。物質の最小単位は紐であるという、その紐の挙動により世界のあらゆる物質は説明されるとする一種の万能理論である。それは、陽子、中性子、電子、中性微子、光子、などすべての素粒子の存在理由を合理的に説明するなど、現在の先端理論に導く考え方を持っている。さすがに物理理論家のなか随一の哲学者湯川である、その眼力は日本の英知と云える物だ。彼の基礎的教養には漢学が有り、祖父から仕込まれた東洋哲学が有りそうだ。彼のコトバ、(真理は必ず少数派から始まる)は、永遠の事実を言い表している。如何なる思想や哲学も同様だろう。
*- クライン・カルツアー論 「これもEinsteinの相対論に触発されたもので、三次元から、もう一つの次元を導入した、四次元を想定し、重力と電磁気力の統一的記述を目的としている。このアイデアは、最初にドイツ数学者テオドール・カルツアーによって考案され、スェーデンの物理学者オスカー・クラインが改良して発表した論です。この理論の魅力は、新たに次元を導入することで、異なった力や現象を統一的に考察する見方が出来る事ですが、辻褄を合わせる為に、余りにも高次元を導入しても、誰も信じないだろう。この考え方は、すごく好い自然像を解釈を齎してくれるので、今後も形を変えて生き残って行く基本的な考え方の一つだろうと思う。ある意味では、ヒモも理論は、この論の考え方を形を変えて生き返らせた物だ」。
* - 坂田模型・クオーク論 「日本では戦前の物理学は、独創的な人物の殆んどが京都帝国大学の卒業者で占められた。なぜ、その様に成ったかの原因と理由は、重要で有るにも拘らず、殆んど誰も話題にもしなかった。この理由は誰も知らないが、本来東京帝大は役人官僚養成の学校で、物事を研究する学校ではなかった。研究の大学は、京都と東北であり、その後の大阪と名古屋であった。明治の大学は、第一に政府機関の役人を養成するものであり、研究は二の次である。京都は幾分、官僚大学と云うよりは、研究大学に近い。その京都で、卒業生で3名の名が挙げられるのが恒例である。湯川秀樹と朝永振一郎と坂田昌一である。このうち二人はNobel賞が授与されたが、坂田はその複合模型への貢献で、当然、資格が有るにも拘らず受賞しなかった。1969年の賞は、USAのマレー・ゲルマンに授与されたが、ゲルマンのクオーク論やハ道説の元に成った物は、坂田の「複合模型論」で、あったことを思えば、その評価は客観的に不当な物であった。ノーベル賞委員会への坂田の推薦者であった湯川は、1969年度の受賞者を決定したNobel委員会に坂田を選ばなかった事への抗議の手紙を書いて居る。やはり、此処には今でも存在する人種偏見が在ったのだと云われても言い訳が出来ないだろう。それに、坂田は1969年の時点で胃ガンに罹っており、1970年に59歳で亡くなった。今で考えれば、1968~1972は、若い人は実感としては知らないだろうが、日本では70年安保反対という学生運動を、その虚構に上手く踊らされた学生の、破壊暴力運動が吹き荒れた時代であった。扇動者以外の、当の学生達は、中学時代からの永い負荷の加わった受験戦争の後の解放感として、いわば流行(モード)としてゲバ棒を振るって居たのであって、何ら歴史的な意味での認識も、又社会的現実も知っていた訳では無かった。
そこには、日本人としての何の矜持も深い哲学も無く、彼ら学生は典型的な歴史の事実に関しては、社会経験の丸で無い、無責任な単なる流行モードに反応した無知で愚かな集団であった。誠実な坂田は、この運動の混乱に、最も心を痛めた一人であったから、その心労から胃ガンが進行する危険があった。59歳の短命は、次の機会に受賞する事ができなかった。然し、坂田のNobel賞は弟子達に回った。この3人の中で、坂田は指導者として、最も多くの優秀な弟子を育てた。この点、他の2人は坂田には敵わないだろう。それは坂田の人的な魅力も去ること乍ら、ゼミでの活発で自由な討論を信条とする、その方法論も重要視されて然るべきだ。数多くの、歴史に名を残す弟子の中でも、大貫義郎を筆頭とするその最優秀の弟子達てある、坂田模型(最初のクオーク理論)に、世界で初めて群論を使いモデルを説明した大貫は、何度もノーベル賞の候補に選ばれており師匠の坂田昌一よりも先にノーベル賞を貰う立場に居た。名古屋大學の理論物理科には、大貫義郎の学生であった、小林・益川も居た。坂田の複合模型は、素粒子の生成構造を分析し、当時の世界をリードする最先端の結論を導いた。この時期、名古屋大学は世界の素粒子論の最高峰だったのだ。戦前の二中間子論も面白い。坂田があと十年長生きしたら、彼は恐らくNobelprizeを受賞しただろうし、もっと多くの真に優秀な弟子を育てた事だろう。尤も、物理学という学問は、Nobel賞を貰う為に遣っている訳では無い。自然の究極の物質の在り方を知りたいという好奇心の為に探究して居るのであって、それは、我々自身の存在の意味に関する、自然認識の根源の探究なのである。
また坂田の核子に内部構造があると云う前提で導入された、適切な言葉である「構成子」という名称は、アメリカのゲルマンに依って、ジョイスの言葉遊びの真似をして、ワタリガラスの鳴き声だと云う(クオーク)という鳴き声を命名されてしまい、全く物理的意味を持たぬ、意味のない言葉遊びの名前を付けられた。本来の内部構造を象徴する「構成子」という、適切な言葉に変換され無かった為に、核子の量子力学は、意味のない名称で、考え方に混乱を来たしたと思う。人は物事を理解知る為には、適切で深い概念が必要であるが、馬鹿げたアメリカナイズのコトバが氾濫して変な事に成って居るのが現状です。大体、アップもダウンもトップ(ハダカ)も、意味のない出鱈目な名称だ。こんな馬鹿げた名称は返上したい。坂田は、核子には、内部構造が有り、それを構成子と呼んだ。当時、核子には内部構造が無いと思われていた時代に、明らかに坂田は自分の哲学を元にして、核子の内部構造を予言している。彼の哲学では物質は、どこまで行っても究極の存在は無く、すべては入れ子の状態になるという。彼は自然の構造は広い意味で行き止まりの構造は無いと考えた。もしかすると構成子は物質では無いのかも知れない。それは力とは異なる新しい概念なのかも知れない。
*ー ブートストラップ論ー「素粒子の分類に頭を悩ませていた当時の
状況は、此れも面白い論を創った。HeisenbergのS行列論を下敷きに、J・チューという人が考えたのは、広い意味での一種のひも論である。」ジェフリー・チューの哲学は深く知らない。彼の素粒子分類のアイデアは非常に面白いと思う。
*ー超対称性重力論 「宇宙創成後の、力の出現とその分化を研究し、重力が再び分化して極微の力を形作った。と云うアイデアの下に形成されたが超重力の構想である。我々の次元である空間+時間の4次元よりも、多くの次元の導入を要請するために、その理論の検証は、あとで書く、弦理論、超弦論と同様に、一種の夢物語の感が、無きにしも非ずの論である。然し、超重力は一種の統一論としては、まさの正鵠を得ている。あらゆる力の源は重力であるとするなられば、その分化の現象の原理こそ、理論的に探求されるべきものだからである。極微の静止点よりこの宇宙が出現したとするなら、そこにはすべての存在の原型が宿っていたとして何の不思議が有ろうか。」
*- 標準論 「現在までの諸データからでた、妥当な見解である。そこには量子色力学、ワインバーグサラム論、ヒッグス機構、など、既に承認され確立された理論体系が並んでいる。だが、この標準理論が一部では破綻している。それはこの理論が予想する陽子崩壊が指定された時間内に起きて居ない事だ。カミオカンデの100万トンの純水槽で、感度の鋭い光電子管を使い、実験屋が日夜、不眠不休で調べているにも係わらず、陽子の崩壊は検出されていない。と云う事は、検出器がダメなのか?理論がダメなのか?、の何れかである。やるべきことは二つある。一つはカミオカンデの純水槽を、いまの千倍にする事だ、そして光電管の感度を高め、数をもっと増やすこと。もう一方の問題である理論の方は、現実に即していないのだから改良する事だ。改良と謂っても、そう簡単には出来ないだろう。やるとすれば、理論の出だしの、また出だしの基礎から始めな無ければ駄目だろうし、陽子崩壊は、有ると考えた方が合理的だが、その生成単位エネルギー設定が想像していたよりも、もっと大きいオーダーなのだろう。おそらく理論の前提の何処かに問題が有ったと想う。それを検証し直す事が大切に成る。もしも、陽子が崩壊しないのならば、これは宇宙論が変ってくるし、ガモフの言う単純なビックバン論の歴史が変更してくる。始まりと云う物の意味が変ってくるのだ。
それは、ビックバンで極微の無から、或る時この宇宙は創生された、それ以前の物質的存在は無い、元素創生の過程は、何もない所から有が創生されたと言う宇宙開闢論が破綻してくるからだ。だが、存在の基本的な対象である陽子が、自ら崩壊しない上に寿命が無いのならば、サイクリック宇宙が、是までに何回かの回帰性を持つとすると、つまりすでに開始の無の時点で陽子は残っていなければ成らない。これは一つの矛盾ではなかろうか。ビックバン宇宙論には、どうも何らかの根本的な疑念がある。ガモフのビックバン論(宇宙開闢の大爆発理論)には、どこか疑念がある。宇宙はそんなに単純なのだろうか?
*ー 弦理論・超弦理論ー あらゆる謎を解明し、あらゆる問いに答え得る、唯一の理論だ!という触れ込みである。確かに力の起源、質量の起源、現実の質量の決定は、魅力的である。だが、此処には森羅万象を余りにも単純化する弊害に陥ってはいないか?。宇宙・自然界は、一神教のような教義で括ることは本来できないとわたしは思うのだ。然も、実験的な基礎、背景を一切持たないのだから(超弦の理論想定energyレベルが高すぎて実験できないという言い訳だが)、此れって、一神教の皮をかぶった神学ではないか?と勘ぐってしまう。此処には有り体に言えば一神教の匂いがぷんぷんしている。この、「ひもの理論には、奇妙だが面白い歴史がある。このひものアイデアには、元々セルンで提唱された。セルンの実験から得たデータを統一的に考察する段階で、それこそ何十とある共鳴状態のデータを理論的に説明する為に導入されたものだ。共鳴状態の粒子を並べてみると、この並びが不思議なことに、大昔につまり18世紀の中頃ことスイス生まれの数学者であるレオンハルト・オイラーが研究した論文に記載されたβ関数の数式を適用すると、その実験結果が上手く説明できる事を、当時のセルンの所員であったベネチアーノや鈴木真彦たちが発見したことに因る。その式が表している事は、一次元のひもが振動していると解釈すると、雑多な共鳴状態の存在分布が上手く説明される。この様なアイデアは、南部陽一郎や木庭二郎のデンマークでの弟子であるハンス・ホルガー・ニールセンなどの複数人物に依って提唱された。木庭は日本を出て色々と外国を回り、デンマークのコペンハーゲンのボーア研究所に落ち着いた。ニールセンは、そこでの弟子である。木庭は大東亜戦争中に朝永振一郎の「繰込み理論」の完成に、計算上の貢献をして居るが、驚いた事にコペンハーゲンで今時珍しい疾患であるコレラで亡くなっている。また木庭二郎は、有名な文芸評論家である中村光夫(木庭一郎)の弟である。木庭家は文学にも理学にも秀でた家系らしい。
南部陽一郎と後藤鉄男らは、このハドロンの生成を説明しょうとしてヒモの存在条件を研究して式を作った。然し、結果的に、このヒモの理論はハドロンの段階では、残念ながら極めて高次元に成って仕舞い、結果的に上手く行かなかった。それで、紐のアイデアは捨てられたかに見えた。だが、素敵なアイデアは、カルツアー・クライン理論のように、必ず復活する可能性を持つものである。根気強く紐の理論の可能性を模索していた、USAのJ・シュワルツとイギリスのM・グリーンは、この紐の考えを導入すると、従来の量子力学の無限大の困難を乗り越える事が出来ることを1985年に発見した。これが機運となってヒモの理論は再び復活した。ハドロンのもう一つ下の段階で、この論は、その有効性の息を吹き返す事になった。古いハドロンの弦理論は、更に高次元を導入する事で超対称性弦理論になり、再び可能性を持ちだしたが、この先端の考え方は何かと数学的に難しく、現状の数学の段階では、この考えを有効に展開するのは困難かも知れない。更にもっと数学の方法論の深化と、拡大が必要であり、現象を導くための更なる数学が必要なのだろう。超弦のアイデア的には、他にない興味深いものがあるにも係わらず、数学的な困難が理論をうまく展開できない事にある。
しかも具体的な物理的事実を何ら導き出せないのであるから、超弦理論は「高級な玩具に過ぎない」という批判を被る事が多い。口の悪い連中は西欧中世の宗教論争が盛んであった時代の、空想的神学論の空虚なモデルであると酷評さえする。一つのヒモの振動状態から、幾つもの素粒子が出現するというアイデアは大変魅力的なもので、うまく育てると、この先の宇宙理解に根本的な貢献を果たす可能性もあるが、今のところは実験でも理論でも、少し行き詰まりの感がある。まあ、究極の理論と言う大風呂敷の割には、何も具体的事実を予言できな理論は少し肩身が狭いのでは無かろうか?。この様な高エネルギーレベルでの実験は、最早地上のエネルギーレベルでは不可能なほどであり、地球上で再現するのは無理なのでは?というのが現状だ。銀河系宇宙の衝突などの宇宙物理の中でなら、この様な高エネルギーレベルは見出せるかも知れない。ゆえに宇宙の巨大現象に求めるのも一つの手立てかも知れないし、それ以外に無いだろう。数学理論的には整合性のとれた美しい思想であるが、この先超弦理論はもう一度進化する必要がありそうだ。
*- サイクリック宇宙論 サイクリック宇宙論には、不思議な共感が有る、古代日本人の世界観では、大自然は円環的だからであり、地球表面に生息している生物も円環のサイクルに従っているからだ。我々は死んで、その肉体と骨は、地上に残され、地l表の生物の餌に成るし、食べ残した物は、微生物が食べて、つぎの生物の食べ物となる。その食物の円環構造が自然という物の正体である。宇宙の円環構造を、我々の意識は、これを確認するほど長くは保てない。もしも、あと100億年の後に、或る自覚的意識体が、宇宙の円環構造を理解、確認したとき、これと同じ事の正否を、百億年の昔、別な生命体の意識が、同じことを考えて居たという事を、果たして想像してくれるだろうか?。 古代の神道にも太陽の帰還「古代インドの輪廻思想が現在に復活したような印象を与える。多くの古代思想は、自然についての円環構造を想像している。 これは宇宙論であるが、密接に極微の世界、つまりプランクの長さの世界と深く関連している。弦の存在で宇宙の初めが理解されると、宇宙の終わりも、その結論である理論から理解される。宇宙はまるでプラーマのように息をして居るのだ。ある0点から突然始まった膨張宇宙は、そして膨らんだ後に、宇宙はいつか収縮に転じる。この期間は、どの位の時間なのか??、命は、その中では光の如き素早い一瞬の間だ。古代の人類も、宇宙の行く末と過去に思いめぐらしたが、その答えをこのサイクリック宇宙論が答えてくれるのか??、大いなる夢と深淵を考察する、好い機会であろう。太陽に下に新しきものは無いのかも知れない。我々は消滅するが、この宇宙に同化すると思えば、それも良いのではなかろうか。この宇宙は拡大だけでは無く、物質の凝集的な力で収縮に転じる。何度の拡大収縮がなされたのだろう?。すべての物事は初めに帰ると云う円環の思想である。然しただ帰ったのでは、何ら創造性は無い。人間の理知では、もう解き得ない問題だ。我々は、自然の創り出した子供である事を、再び確認する確かな機会であろう。」
* ダークマター論 「この論は宇宙の観測から得られた事実の基づき提唱された論で、観測によると宇宙が始まって以来、急激な膨張を経て、現在の宇宙はその膨張速度を減少させていると目されてきたが、観測による結果は、むしろ膨張速度は増大しているらしい。その理由は見かけにも係らず、計算された物質質量が、いま見えている量よりもはるかに多い事実を指示しているからだ。ではその見えない質量はどこに有るのだろう??これがダークマター論の根拠である。勿論のことだが人間の眼は400~700ヘルツの電磁波しか見ることは出来ない。人間の眼や耳は、謂わば限定された機能なのである。我々は見えると云う事だけで物事の答えを知ったと思う事は傲慢であり、無知であるにすぎない。いずれダークマターは問い詰められ解明されるに違いない。人間の世界認識は、まだまだ赤子の段階に過ぎない。我々は、自分の人生でさえ、好く分ってはいないのだから。生態系には深い謎がひしめいて居る。人間の感覚器官である眼と耳に付いてさえ、好く分らない事が多い。例えば眼であり、眼は太陽の光に反応して形成された感覚器官であることは、おそらく確実な原因だろうが、人間(霊長類の)の眼は、太陽光の最も強い一般的な波長部分に対応して形成されたと云う想像が出来るが、では、太陽の下で生きて居る他の生物はどうなのか?活動時間を夜に置いて居る動物は眼の受光能力は異なる筈だが、これは生物の生息領域に適応した結果なのだろう。
感覚器官の発生は生物の環境適応に極めて重大な事件で有った。これは相当の古代にまで起源を求めなかればならない。魚の段階ではもう感覚器が有る。ミミズの段階でも聴覚と視覚に関する原初的な能力を持って居る。存在した生物の中で動物と植物に分かれる以前にすでに能力は持って居たものと思われる。視覚と聴覚の何れが先か?という議論もあるが、それは物事の本質を洞察して居ない議論だ。感覚系は一度の作られた。生命体を囲む外界のデータを取り込むためであり、代表的な五感を超える物も有った。個体の交信には空気の波動を使った言葉の様なものだけでは無かった可能性もある。テレパシーの様な云わば際物の様な物だが、それは既に一般人間には無くした感覚である。ダークマターとは空間の裏に隠れたマイナスの質量か?未だに問題は曖昧模糊としている。
*-量子力学に於ける観測の問題。ー 心という空間と実在宇宙空間、及び、幽霊波と意識
中世の一神教や神道が盛んな時代には、霊はこの空間に満ち満ちていたと信じられていた。だが20世紀の自然科学は、それらを意とも簡単に否定したかに見えたが、中世の云わば迷信は、或る意味で姿を変えて、未だに問題を起している様に見える。然し、其れはそれで此の分野は、EPR相関や不確定性原理、また隠れた変数の存在に関する、ベルの不等式にも関係する分野でもある。21世紀に入って、俄然現実味を帯びた「量子コンピュター」の実現の根拠となった基本原理なのである。特殊相対論は、光の速さを越える速度を否定する。それが現代物理学の基礎土台となっている。もう一つは、エネルギー保存の法則である。もしも是が破れてしまうと、其処に立つ建物の基盤が崩壊し、当然の事乍ら、現代物理理論の根拠が消えてしまう事に成る。Einsteinは、物事の根底に認識の決定論を信奉していた為に、量子力学が何らかの欠陥の為に確率的解釈を余儀なくされていると信じていた。どうしても確率的な未決の現象を自分の物理の中に導入できなかった。一つの電子が、宇宙の端と端に分けられていたとするならば、量子相関は、この電子の片割れに何かが起きたとすれば、直ちに一瞬を置かず宇宙の果ての、もう一方のの電子に、その事態は伝わる。と言う現象に付いて考えた。それが謂わば簡単に云えば、EPRパラドクスである。この問題は、初めは空虚な言い掛かりの如く、多くに人には感じられたが、約百年後、この言い掛かりは不気味なほどの現実味を持って、我々の前に立ちはだかって居る。では光速でも数兆年が掛る果てに、一瞬でその情報は届くのか?、この仕掛けが、量子コンピュターの根拠であり、それは「量子コンピュター」の基本アルゴリズムが決定された時点で、時間は掛かるが、それは現実味を帯び出した。その速度は従来の電子交換のコンピュターの速度を遥かに凌駕する、謂わば異次元の速度となるだろう。
この20年ほど、物理の理論は少し行き詰まりを感じている。現在の主要な物の一つである弦理論は数学的に行き詰まりを見せているのは、現在ある数学的な方法論に限界があるからだが、もっと新しい分野が開発されてその方法論を適応できれば問題の進展を見るだろう。新分野を開発するには最初は素朴で好いから最初のアイデアの一歩が肝心なのである。例えば確率論の分野を位相幾何学と融合させて拡張するなど。数学もそうだが、特に物理学は空間的なイメージが理論の進展を推進する力となる。イメージが涌かなければ理解もそうだが理論の進展はあまり期待できないからだ。
むしろ、是から可能性のある分野は、元に帰っての天文学である。天文学は人間が文明化の道で見出した最古の学問のひとつで、人間の文明と共に進展してきた自然認識の基礎である。謂わば人間の法則性への覚醒は天文学に始まるのである。ところが蒸気機関を持った産業革命を経て、熱力学、エントロピーから統計物理学がうまれ、光の速度の計測から相対論がうまれた。溶鉱炉をイメージする黒体輻射の検討から量子論が生まれた。すべては天空よりは手元に在る素材から現代物理学の本体が構成されている。現在の流行りである素粒子論は、クオークから紐の力学に移って、其れなりの歳月が過ぎた。現在では究極の粒子というよりは、あらゆる粒子的現象は、最小の一次元の紐か、進化した二次元の膜で現されるとされている。抽象化とはかくの如き物か?。その様に極微の世界の基本的構成を追求した為に、現在は超弦理論が主流を占めている。工学的物理学が勃興し天空の事象は蔑ろに成り忘れられていた。
Isaac・Newtonの力の物理学が天文学の現象を基礎としている事は中学生でも知って居るのであるが、元々は我々も我々を取り巻く世界も、宇宙という世界体の一部であり、それを統括するのは天文学である。天文学は星を眺め、星座を定め、昔の人は天が回る想像し考えた。天文家は宇宙に浮かぶ星雲を別な世界と考えたが、我々の存在する銀河系宇宙も同様の形をしていると想像したが、それは正しかった。最近は天文学が復活し、盛んに観測装置と観測機が宇宙に置かれて、驚異的な事実を人間に齎している。現在の時点では観測が一番の仕事である。物事を知る為には、観測的事実は何よりも重要な判断材料であるからで、宇宙の始まりとか、物質の始まりとか、そういう根源的な問題は、未だ手の届かないところに在る。ハッブルの宇宙膨張説を基に、膨張の過去としてジョージ・ガモフが単純化して想像したある、無限の小領域からの宇宙の始まりである「ビックバン論」は訂正の余地が多くある。宇宙は必ずしもそのような一点から出発したとも思えない。
物理と数学の法則の違いはどこに在るか?
これはこの違いを根本的な問題としてとらえる人は多い。物理学の法則は宇宙の創成以来の諸現象を説明するための法則であり、それは飽く迄も自然の諸関係から形成された現象に関する認識の極致としての法則である。で、在るからして物理学の法則は全く異なった環境に関しては、法則は法則では無くなる可能性がある。物理は名の通り物の理である、むかしは窮理といった。窮理学とは現代の物理学をいう。理を窮める学問でそれは外部世界を窮めることです。外部世界という物は人体も脳神経系も含まれるし星雲も宇宙もふくまれる、それは思念の外部に存在しているのに対して、数学は内的世界、つまり精神世界に対応する。等値という概念についてためしてみる。
およそ理解の本質というものは、対象間の認識を等値というもの導くことにある。それは勿論外的世界の認識に応用される事もあるが、本質的には思念の内の問題である。数学の指導理念の本質はこのような思念内の論理性に在った。ギリシャ以来より定理には必ず正しい証明が成されなければ、その言明は幾ら正しそうに見えても定理とは呼べない。物理学は現象を説明できればそれは法則として成り立つが、数学では外的現象というものが得にくい為に、まあエジプトに始まる平面幾何学ではそうとも言えないが主には思念の内での等値を導くための論理が用いられる。特に異なるのは物理では根本的なものである実験というものが数学では必要ないという事であるが、最近の電子計算機の発達で定理の検証を行えるという事態にまで発展しているので、これから先はどういう展開になるかわからない。