バンマスの独り言 (igakun-bass)

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音楽通(つう)と言われたい人への短期集中講座3

2008年09月10日 | 音楽講座および楽器の話
はい、みなさん3回目は「メジャーとマイナー」のお話。

「メジャーとマイナー」(major & minor)

大昔のヨーロッパ音楽・・・中世から16世紀にかけて・・・には「教会旋法」と呼ばれる音のシステムが存在した。
これはグレゴリオ聖歌の集大成とともにシステム化されたもので、そもそもが単一のメロディのためのシステムであったため、それ自体は単にスケールの集合体にすぎない。

そのスケールとは、イオニアン、ドリアン、フリギアン、リディアン、ミクソリディアン、エオリアン、ロクリアンの七つだ。(この呼び名は出典によって異なる)
その後、多声部音楽(ポリフォニー)の発展に伴い、変化音(トリルなど)の使用や音域の超過(教会旋法の音域は元来1オクターヴだった)ともあいまってこの「教会旋法」システムは次第に崩壊していった。
その中でなぜか生き残ったのがイオニアンとエオリアン、すなわち長調と短調だった。
(この辺りの話は以前に書いた)
しかしもともと七つあった「教会旋法」からなぜイオニアンとエオリアンの二つだけが永続することになったかはよくわかっていない。

その上、なぜ長調は明るく感じ、短調は暗く感じるのか、などという質問に対しては「まぁ、そうなのだからしかたがない」とお茶をにごさざるを得ない。
だが、そんな人間の受け取る感じこそが、この二つのスケールを生き残らせたのかもしれない。


「スケール」(scale)

音というものは本来連続的なものである。
ドレミに限らず、いかなる周波数の音でも物理的には存在が可能である。
それではなぜスケールなるものが存在するのだろうか、いや、なぜスケールが存在しなければならないのだろうか。

スケールの存在は音楽の最も本質的な部分にかかわる問題だ。
なぜならスケールは世界中、ありとあらゆる音楽において必要不可欠の要素となっているからだ。
言い換えればスケールを必要としない民族、人種はこの地球上には存在しない。
だからこそ、なぜスケールが存在するのか、という問いに答えるのは困難だ。

ある人は美学的に時間的に継続する事象は分割しなければ享受できないという原則?があり、メロディを感じ取るためには必ず小さい部分に離散化されなければならないと言っている。音の高さのみを問題とする時にスケールというものの根本的な概念が生まれるのだそうだ。うーむ、ちょっとむずかしい?

(参考)
スケール=音階。 音階とは文字通りに音を階段状に高さの順に並べたものであるが、特にひとつの楽曲のある部分で使われる主要な音を1オクターヴ内に階段状に並べたものをいう。音階は世界中に多種類あり、それぞれの音階に基づいてできた音楽の印象はきわめて異なる。

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