米沢藩 第9代藩主 上杉鷹山公(うえすぎ ようざん こう 1751-1822)
アメリカのケネディ大統領からも尊敬されていたというこの人は、
当時 米沢藩にあった20万両(150億円)の借金を見事返済し、
「為せば成る 為さねば成らぬ何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり」という有名な言葉を残した偉大な人である。
では、どのようにして、それを成し遂げたのか??!!
米沢上杉藩は元々会津120万石→関ヶ原の戦いで敗れて30万石→3代藩主の不手際で15万石
しかし6000人の藩士を抱えている(他では900人くらいのはず)
そして、8代藩主の時にすごい借金にふくらんでいた。もう、領地返上か?と藩主も考えた。
しかし、9代目は親戚の日向高鍋藩から養子に入った鷹山(当時は治憲と名乗っていた)
1 改革は下から
大倹約 生活費を1/7に 一汁一菜
「共にこの藩を立て直そう 力を貸してくれ」
鷹山の意気込みは、農民から理解されていく。(自分で田畑を耕す)
やがて下級武士に伝わる 馬から下りて橋をわたる
新田開発が進む
現場を動かすことが大事
まず教育
できないのは、途中でやめてしまうから。できなければ、やり続ければいい。
2 人には金をかけろ
細井平州 (尾張藩出身の儒者)を100両かけて招聘(下級武士100人分に年収相当)
藩校 興譲館で実践的な学問(校長の年収250両。鷹山の年収は209両)
どう解決するか
武士以外の人の意識改革も必要
武士と町民の距離を埋めて、全体で改革 一丸となって改革
再建とか再生というと、いやなものと思われがちだが、「楽しいもの」「仁愛」が大事
やさしい政策
① 子ども手当
② 地域の老人の見守り
③ 婚活
④ 鯉を養殖して動物性蛋白で健康に(鯉は1.6kg~2kgがおいしい)
ともすると、改革が目的になってしまうが、そうはならなかった。
それは、自らが実践し、人々の心を動かしたからに他ならないのでは!。
(参考)知恵泉に小嶋光信氏が出演
氏は、和歌山県貴志川線の「三毛猫たまの駅長」も考案
知ってもらう 乗ってもらう 住んでもらう(地域交通が重要)
「人間が必要としている産業は 絶対に立ち直る」(不易)