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徒然幸せ日記

作者が日常の生活で見たこと、感じたこと、感動したこと!を書いています。
特に、「幸せ」とは何かについて考えています。

ひまわりの約束 - 秦基博(ブログ作者から山下弘子さんへのレクイエムとして)

2018-03-26 14:29:54 | 音楽
ひまわりの約束 - 秦基博(フル)


さきほど、山下弘子さんについての記事を書きました。

それから、彼女のブログの最初の記事を読みました。(下記参照)

すると、そこには彼女の決意が力強く書かれていて驚きました。
それは、彼女が書かれた本「雨上がりに咲く向日葵にように」そのものに思えました。(私はまだ、この本は読んでいませんが)

「ひまわり」というと、youtubeで見ることができる非常に有名な曲があります。
この歌の歌詞のように生きてゆきたいと思っています。

ひまわりのような まっすぐなその優しさを温もりを全部これからは僕も届けていきたい。ここにある幸せに気づいたから

彼女へのレクイエムとして送りたいと思います。


生きる決意」と題された、2014年2月18日付けのものは、

そのまま引用させてもらうと、こうです。

初めてのブログなのに、なんて物騒なタイトルなのでしょうか(笑
今の体の状況はあまりよろしくなくて、私は超元気なんだけれども、体の表面上のデータがよくないの
肝臓に2.8センチのガンがあり、それを明日入院して、21日に手術しますが・・・
それだけじゃなく、肺に1センチ未満のガンがいっぱいあります。手術後から肺にあるガンにむけての抗がん剤治療を開始する予定ですが、この抗がん剤は現状維持を期待できる薬だそうです。
何人かの医者や知識の有る友人に聞いても、みんな深刻な状態だといいます。まあ、死ぬ確率のほう高いだろう。
一年以上前から、余命半年といわれながらもこうして今なお元気に生きています。しかも、間違いなく周りの誰よりも元気で、精神状態がいい自信があります!私に会う誰もが、こんな私を見てまったく病人に見えないというし、死にそうには絶対にないといいます。友人にはよく、私の泣いた涙かえせーーー!だなんて、冗談まで言われてしまうほど元気です。
今までの闘病生活中、死が身近にありながらも、私は一生懸命後悔のないように毎日を楽しく生きてました。

それでも十分だったのですが、心の奥深くには、本当にこのままでいいのか?という曖昧な疑問がずっと付きまとっていました。
生きるとは何なのだろうか・・・

こんな深い疑問を考えたりもしたりするわけです。
なんにも考えていないように見えながらもね(笑

先日、ある友人に会いました。
その友人との会話中に、今までもやもやしていたものがはっきりと形作られました。
私は今まで、自分がこんなにも困難な試練を与えられたことにきっと意味はあると思っていました。余命半年といわれながらも、奇跡的に助かっています。人の一生において、無駄な出来事は何一つないと思います。では、私の病気は何の意味があるのだろうか?と。
彼女にいきなり質問されました。
人生にタイトルをつけるとしたら?
タイトルは?って聞かれているのに、ふと思い浮かんだのが「ひまわり」でした。タイトルじゃなく、植物を思い浮かびました。ああ~タイトルは「ひまわり」だな!って・・・なんの根拠もなくw

「ひまわり」みんなはどんなイメージを思い浮かびますか?

明るくて、まっすぐ伸びていて、見てる人を元気に、笑顔にすることができる、そして最大の特徴がきっと太陽のほうに向いて咲いていることだろう。そして、すべてのひまわりが全部綺麗に咲けるわけじゃない、雨や風に負けてしおれるかもしれないし、枯れるのかもしれない。けれど、それらに勝ったら、どんなに綺麗に美しく咲くのかはみんなも目を閉じれば想像できるはずです。
いつも、太陽に向いて、上を向いて咲いている。これは私の想像だが、きっと笑顔で咲いているだろう。しかも、まばゆいほどの鮮やかな黄色は、太陽の光を受けて輝いているんだと思う。自分で光を発するわけでもなく、つきみたいに太陽の光を反射して地球の私たちを照らしてくれている。私の中での太陽は、周りで私を支えてくれる人々。みんなはいつも私に会うと、すごい元気になれるって言ってくれています。本当にありがたいことです。けれど、私のほうこそ、皆の支え愛情が有るからこそ、こんなにも元気にいられます、こんなにも笑顔でへらへらしていられます。最後に、ひまわりの個人的に好きな特徴のひとつに、ひまわりの種があります。わたしの大好物です。咲き終わったら、それで終わるのではなく、また種として、新たな命となるなり、私たちの食料として私たちに生きる糧をくれます。
こんなひまわりみたいな人生になれればな~って思っています。


じゃ、もし私がこのままいなくなってしまえば何が残るのだろうかと。
それが、今までの私の中の疑問でした。
私に与えられた使命、奇跡を起こして私を生かしてくれたことへの意味
10代にしてガンにかかりました。
類まれなポジティブで、誰にもわからない、自分もなぜかわからないほど明るい性格を持っている。
今なお闘病中で、リアルタイムで説得力も有る
今の私にしか、できないこと。
それをしなくちゃいけない。
せめて、私のリアルタイムを通じてガンの現状を知ってもらうことや、早期検診の大切さ、今を生きる大切さ、時間に限りが有ること、まわりの人々を大切にすること、後悔しないために。
なんだか、暗い内容になってしまいそうですが、
タイトルのとおり、私は「生きる」のです。
生きる決意。
大切な大切な人々のために、皆を悲しませないためにも、私は、絶対に生きます。
絶対に希望をなくしません。
ここに、頑固たる意思を。
大切な人々のために!


PS
時間があれば、彼女が2014年7月に横須賀学院で講演されたyoutubeの言葉をお聞きください。
人生に無駄なことは一つもない」や
乗り越える壁は高くても決してあきらめない」という
彼女のその強い崇高な意志に心が揺さぶられると思います。
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