この月曜日に放送されたNHKプロフェッショナル。
そこには、あの小籔さんが主人公で出演していた。
小籔さんについては、前から顔は知っていたが、吉本の座長までしているとは思っていなかった。
そして、放送を見て、小籔さんの「凄さ」を発見!
放送によると、小籔さんは元々ビリジアンという名前で漫才をしていたらしい。
そして、1997年には、上方漫才コンテストで優秀賞、2006年には上方お笑い大賞で話題賞などを受賞し、かなりの売れっ子になっていたらしい。
しかし、その時、相方から「放送作家になりたいので、コンビは解消したい」と言われたとのこと。自分のネタがこれから通用しないと言われたということで、心は「ポキポキ」になったらしい。
しかし、捨てる神あれば拾う神あり。
吉本新喜劇からのオファーで「ちょい役」に出演させてもらった。
ところが、報酬はわずか。アルバイトしなければ食べていけないレベル。
自分より若い(吉本では先輩)者に、見向きもされなかった時期もあるらしい。
それでも、小籔さんはあきらめなかった。
与えられた役をこなしていく中で、自分の個性にあった役、セリフを考案し、台本を書くまでになった。
その台本が認められ、5年という短期間に座長に出世。
今や、「飛ぶ鳥を落とす勢いで」東京にも殴り込みをかけ、吉本の定着に尽力されている。
それは、自分が不遇だった時に拾ってもらった吉本への恩義あってこそ。
最近の吉本を見ることがあるが、
昔のワンパターンではない、面白さがある。
回転の速さがある。
若さがある。
全員で盛り上げている。
台本ができるのは、本番直前。
稽古の時間はわずか。
それでもこなしていく芸人魂。
この間の大阪北部地震では出演予定者がかなり来れなかったが、止めるのではなく
あえて代役でこなす。
その心意気に感動した。
そこには、あの小籔さんが主人公で出演していた。
小籔さんについては、前から顔は知っていたが、吉本の座長までしているとは思っていなかった。
そして、放送を見て、小籔さんの「凄さ」を発見!
放送によると、小籔さんは元々ビリジアンという名前で漫才をしていたらしい。
そして、1997年には、上方漫才コンテストで優秀賞、2006年には上方お笑い大賞で話題賞などを受賞し、かなりの売れっ子になっていたらしい。
しかし、その時、相方から「放送作家になりたいので、コンビは解消したい」と言われたとのこと。自分のネタがこれから通用しないと言われたということで、心は「ポキポキ」になったらしい。
しかし、捨てる神あれば拾う神あり。
吉本新喜劇からのオファーで「ちょい役」に出演させてもらった。
ところが、報酬はわずか。アルバイトしなければ食べていけないレベル。
自分より若い(吉本では先輩)者に、見向きもされなかった時期もあるらしい。
それでも、小籔さんはあきらめなかった。
与えられた役をこなしていく中で、自分の個性にあった役、セリフを考案し、台本を書くまでになった。
その台本が認められ、5年という短期間に座長に出世。
今や、「飛ぶ鳥を落とす勢いで」東京にも殴り込みをかけ、吉本の定着に尽力されている。
それは、自分が不遇だった時に拾ってもらった吉本への恩義あってこそ。
最近の吉本を見ることがあるが、
昔のワンパターンではない、面白さがある。
回転の速さがある。
若さがある。
全員で盛り上げている。
台本ができるのは、本番直前。
稽古の時間はわずか。
それでもこなしていく芸人魂。
この間の大阪北部地震では出演予定者がかなり来れなかったが、止めるのではなく
あえて代役でこなす。
その心意気に感動した。