片岡さんは何を争っているのか?
何を譲れないのか?
警察での取調べ。
3日間は余計だったが、言い分は聞いてもらえた。
量刑とかの知識はなかったに違いない。
ただ、ありのままに話しただけだ。
検察での取調べ。
最初のほうはもちろん警察でのとおり話した。
「スリップ痕写真」からは違った。
経緯は前に書いた。
さて、ここで問題だ。
検察=警察は何故ワザワザ「スリップ痕写真」を提示してまで片岡さんにバスが動いていたと認めさせたかったのか?だ。
片岡さんは、それが事故直後に提示されていれば、記憶にはなくともそうだったのかと受け入れられただろう。それを最早確かめようのない8ヵ月後に突然言われるとは、、、。
すんなり、片岡さんに認めさせることができる簡便な方法を敢えて避けて、8ヵ月後に提示して、それでもバスが動いていたことを認めさせたい理由はなにか。
片岡さんは「スリップ痕」がなければ、おそらく出される判決をただ受け入れるだけと考えていたのではないか?
何故、今更ながら「スリップ痕」を持ち出して、それを認めさせる必要があったのか?
なにがそうさせたのかは不明だが、明らかにここでも異常性を感じる。
片岡さんが争っているのは、捻じ曲げられた真実の回復であり、譲れないのは誰に虚偽を吹き込まれてもただ真実を語ることだけだ。