昨日の記事で、「検察シナリオに基づく両者の時間と位置関係。白バイ60km/h。 バス7km/h。」を書いた。
シツコク言うが厭くまでも検察のシナリオだ。
これが成立するためには両者共にお互いをずーっと見なかったであろうことを前提としなければ成り立たない。
が、一応どのようなケースが理論上は考えられるかやってみる。
1 バイク 見 バス 見
2 バイク 見 バス不見
3 バイク不見 バス 見
4 バイク不見 バス不見
1のケースでの両者とも見ていての衝突は怖いものがある。ま、無しだ。
2のケースでは当然バイクは回避措置を講じるだろう。
3のケースでは当然バスは回避措置を講じるだろう。
4のケースが検察側のシナリオだ。
なるほど。4以外は基本的にはありえないことには同意できそうだ。
では、この4のケースを更に考えてみる。
バイクのほうは一審で「バイクにも前方注視義務が課せられる状況にあった」とされ、二審で「バイクに過失があったか否かと直接関係ないから、バスの過失を認定した理由を説示する際にバイクの過失に触れなくても問題はない」としている。
なんとも徒に長くただただ直接の限定から遠ざかることだけを目指した詭弁的表現だが、「バイクは前方不注視だった」とすべきではないのか。
亡くなられた方の責任云々ではない。認められる事実関係を正確に記すべきではないのか!
この表現の詭弁性は、高裁判決理由の中の他所でも現れている。
一方では<第3 控訴趣意中、事実誤認の主張について>~バスは進行中に同車線を進行中のバイクと衝突しているが、
とあり、もう一方で、<B-1>進行していたバスがバイクに衝突され、
と、片方ではバス側の能動的表現で、他方では受動的表現を使っている。
どうしても受動的表現{バスがバイクに衝突された}を使わざるを得ない場面以外は、能動的表現{バスがバイクと衝突した}を使っている。これを意図的と言わずになんと言うのか?!(オマケ、{バスがバイクに衝突した}と言っているところが一箇所ある。上の<第3~>中、上から5行目だ。それは一審の判決文中からの引用だが、実際は「バス右側前部を衝突させて」とのなかなか微妙な表現だ。)
つまり、一審二審共、事実上バイクの前方不注視を事実上認定している。
同様にバスの過失もあったと認定された。
それはなんによってか?たった一人の目撃者と名乗った人物から発せられた証言という名がついたハナシによってだ。
確かな物証として残っているのは、バイクがバスの横腹に衝突してしかできない痕跡だけだ。
「ブレーキ痕かスリップ痕か、どっちかわからんけど、なんかそんなもんが付いてたんだから動いてたんだろ?」というような戯言で、証拠採用されたものなど、私が最高裁の裁判官だったら、その書類を引き千切って燃やして二審へ送り返してやるが、本物はどう判断するのか。
話が脱線したが、「バイクがバスの横腹に衝突してしかできない痕跡」からは、バスが見ていなかったと認定される事実のうち、既に最終停止位置に停止しており、そこに至る経路中には視認できえる状態にはなかったという、高い可能性をもって認定されるべき事実が当然含まれることになる。