どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

太陽光発電・平和という事

2012-05-18 02:31:22 | インポート
太陽光発電は私が小学生の頃からだろうか、夢の発電技術といわれてきた。実際そういった素子は売られていたが発電というよりはセンサーとして使えるかどうかというシロモノだった。
ただ小学生の私には、あのサハラ砂漠や中東の砂漠にこれを敷き詰めたらすごい事になるのではないのかとおもっていた。また南米西海岸のチリなどでは、降水量の少ない砂漠地帯だが毎年決まった時期に霧が発生する。太陽電池パネルが霧をトラップして地面を潤し、コケや植物を発生させ土地を森林に戻す事も可能かもしれない。おまけに電気も出来る。しかし子供でもお金がかかりすぎるのは簡単に解る。ムリなのだ。
それがだ、東北大学のアモルファス半導体の研究から一気に大面積が出来るようになった。コストも安くなって、教材に使えるレベルになった。しかし誰もやらない。オイルマネーで潤っている中東がやらない。コスト度外視でできるハズの王国がやらない。
20年前くらいだろうか、あるときフと気がついた。政治に問題がある地域が多いのだ。
つまりテロリストが隠れる場所を増やす事になる。もちろん監視カメラとかを配置すれば良いのだが、どうしても面積から数が多すぎて監視しきれない可能性がある。点の防御は簡単だが面の防御は難しいしコストがかかる。
こういったことで、砂漠の大規模太陽光発電は出来なかった。現在ユーロ圏に電力を送る計画の太陽光発電もスペインやチュニジアであって、エジプトではない。政治や経済が安定して、火種が無い所でないと難しいのではないのか。
サウジアラビアが原発を建設するのも、点で防御できる原発と、面で防御しなければ行けない太陽光発電の問題があると思う。もちろん今後ミサイルによって、点を破壊することは可能だが、テロリストがミサイルを持てるとは思えない。それは国家クラスでないと難しい。
テロ対策の濃淡が太陽光発電の問題か。平和でないと出来ないものだと思う。


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