授業者日記

バファローズ・スワローズのことや授業のことについて書いていました(現在は定期更新停止中)

改めて交流戦優勝の余韻を味わう

2010年06月15日 10時00分00秒 | オリックス・バファローズ
オリックス・バファローズの交流戦優勝から一夜明けた6月14日付けのスポーツ新聞の1面は、大概サッカーに奪われていました。
私が居住する名古屋地区の場合、スポニチは9面,中スポは5面にオリックスの記事が掲載されていました。
(関西地区はどうだったのかな~?)

スポニチ ↓


中スポ ↓


とりあえずスポーツ新聞の記事を引用しておきます。

T―岡田V弾!オリックス交流戦初V!(スポニチ)

T―岡田V弾!オリックス交流戦初V!
(スポーツニッポン)

 【オリックス7-2横浜】オリックスは13日、横浜を7―2で下し、通算16勝8敗で交流戦初優勝を決めた。初回に1点を先制されたが、その裏、同点に追いつくと、T―岡田内野手(22)の14号2ランで勝ち越し、着実に得点を加えた。パ・リーグ勢の優勝は6年連続。就任1年目の岡田彰布監督(52)がチームを立て直した。チームには賞金5000万円が贈られ、全日程終了後にオリックスからMVPが選出される。

 思い出の京セラドームに歓喜の輪が広がった。阪神監督を辞任した一昨年の最終戦と同じ球場で、初優勝を成し遂げた岡田監督は一塁側のフェンス沿いを笑顔で歩いた。

 「優勝なんて全然考えてなかった。借金をなくすことを(目標に)やってきた中で貯金2は大きい」

 禁止してきた「優勝」の2文字をようやく解禁。浸透しつつある岡田野球を交流戦で証明してみせた。初回、カブレラの左前適時打で同点に追いつくと、T―岡田が中堅へ14号2ランを突き刺した。「打球が低かったので、まさか入るとは思わなかった」と若き大砲は謙そんしたが、交流戦はトップの24打点でMVP候補に躍り出た。

 指揮官はカブレラが戦列を離れた交流戦期間中に22歳の左打者を球団最年少4番に抜てき。最後は新守護神に指名した岸田が締めた。「配置転換もして、新たなスタートだった。選手も相当(自信を)つかんでいると思うよ」と目尻を下げた。

 最下位からの逆襲だった。昨オフ、監督に就任すると勝利へのこだわりを選手に植え付けた。「捨てゲームはない」とミーティングではナインに言い続けた。試合後のコーチ会議にも出席。阪神監督時代には見られなかった行動でチーム再建に尽力した。多忙がたたって体調を崩し、3月からの2カ月間で体重が4キロも減少。開幕直前の遠征ではホテルで倒れたことも。夜中に原因不明の吐き気に襲われ、朝まで吐き続けたこともあった。

 2月の宮古島キャンプでは小瀬浩之選手が宿舎から転落死。大きな悲しみの中でスタートしたが、球場のロッカー室に小瀬選手の背番号41のユニホームを飾り、ナインは思いを一つにして交流戦王者に輝いた。「まだ半分以上ある」と岡田監督。試合後には岸田から渡されたウイニングボールも突き返し、あくまで通過点を強調した。初Vの余韻に浸る余裕はない。岡田オリックスには夢の続きがある。

 ≪岡田監督の母も観戦≫オリックス・岡田監督の母・サカヨさん(73)がバックネット裏で観戦した。岡田監督は験を担いで「優勝」の2文字を封印していたため、試合中も「言うたらあかん。私も言わんようにしている」と笑顔で応援。京セラドームに向かう前には自宅にある夫・勇郎さんの遺影に「一緒に応援に行こうや」と声を掛けてきたそうで、チームの初優勝を喜んでいた。

 ▼オリックス・宮内オーナー 岡田監督の戦いぶりがチームに浸透してきている感じがする。シーズンは長い。交流戦が上昇気流に転換して、きっかけになってくれたんじゃないかと思う。今年は大いに期待している。


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