Luminance 遠い沖天

ぼくの日の出は、これも、まだまだです。

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 南の島で

2009年06月22日 23時58分00秒 | Diaries
OKinawa渡嘉敷島の集団自決 玉砕はどう起きたのか、NHKTV金上司の証言 蛾放送された。


 戦陣訓に生きて虜囚の辱めを受けず、とあり、村長の示唆があったのか、
 良く視れてないが、

 手榴弾を渡され、山に避難した。


 米軍上陸の浜辺は、その後行楽地になっている。



 オカルトにも似た、学校の軍人精神は、竹槍を持って戦うのではなく、民間人は自決することになっている。所詮薩長精神はそのような日本人感にあったのだろうか。


 竹槍では、機関銃で撃ちやられたであろう、

 所詮は降伏しかない、


 洞穴に隠れては、火炎放射器にやられた。



 降伏の思想がない。



 日本とは何か。



 このようなことは再び無いであろう。



 手榴弾は大方不発だった。

 それは何を意味したのか、



 ところがそこで殺してくれの声もあり、殺し合いが始まった、


 逃げる子どもも居た。


 おそるべき展開だ。



 どうせなら戦って死のう、兄弟は山を下った、


 これは、逆転の発想ではないか、


 すると、日本軍が居た。

 自決しない人たちが居た。


 そこで兄弟も結局捕虜となったのであろう、


 降伏である。集団規則違反だ。


 思い込みは、死なねばならない、という教育の遵守であった。これが、われわれの普通の状況ではなかなか理解できない、


 集団心理と言うよりもそれだけ国家の軍人教育は浸透したのだ。

 むしろ、沖縄という植民地というべきところでの純粋なというまでの思想培養が苛烈だったのであろう、


 現地人が米軍の支配によって日本軍に敵対することを恐れたとはしまい、


 日本軍全体と日本全域で共通する構造は起きていた。 

 むしろ、戦陣訓、軍国の思想が、ゲリラ戦や長期の戦闘戦略、国家の民族的思想、そういうものは欠如しひたすら散華するのみと言う、ものの哀れにも似た、平家物語の、無常観に支配されているのではなかったか、


 それなら、武器を捨てて、貧しくも、清く力強く明るい日本を目指すことが出来たはずではないか。


 山田荘子朗思った。*(アメリカ)*

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