Luminance 遠い沖天

ぼくの日の出は、これも、まだまだです。

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墓の上の広場

2012年03月20日 23時21分35秒 | Arayon
一方ワタクシは、喜久井町60番地ぐらいのお寺の所有地ではないかと思われる墓場の埋立地の広場で、毎日、野球ごっこをしていたと前回化いた。


端の方で、住宅地が迫り、埋め立ては途中で切れて、確かに墓石が転がっていた。



ちゃんと立っているのもあったか、両方だったと記憶する。


無縁佛になったのなら、東京の江戸になる時や、関東震災や、空襲や、何か関東震災や考えられる。


しかし、近所の、人々がそっくり居なくなったのではんしので、


墓所が整備されるに至ったということ化。



しかるに、無縁佛は特に、骨まで持って行った余暇考え内であろう。


矢張り、底には人骨がある。


あるいはより広範に、江戸の発掘として、人骨は其の墓場居眠ってるかもしれない。



其の墓地の詳細はどこかで知れるはずだがまず、その寺がインタビューのたいすぴになる。




其の墓地の一方の端には、アパートが建ち、ワタクシ引っ越したのである。一軒家にいたが取り壊された。タイミングを測って、追い出されたのであろうか。


そちらもアパートを建てた。借地であり、寺が持っていた!


アパートの方も、寺が持っている土地化どうか。


その広場は、何か建てる訳にも行かず、放置され、際後に囲いを作って立ち入りを制限した。


域丘武三道家にとって第二のふるさとだった






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