ケネディー大統領が暗殺された! -当時中学生-
晩秋の紅葉も落ちる頃、突然にその報は入った。友人ととあるカルスト高原にハイキングに行った寒風の中で、ラジオで知った。何故か、無性に感傷
的になった。当時、アメリカはあこがれの国であった。強い国、自由の国、民主主義の国、世界の警察、平 和の砦、そういう印象であった。その大統領、あこが
れの政治家J・F・ケネディー。そういう印象であった。
以後、『勇気ある人々(J・F・ケネディー著)』を初め、演説集を読みあさった。解りきることもない就任演説をソノシート(レコードの粗末な奴)で、何度も聴いた。
今でも耳のこびりついている。『そして、わが同胞のアメリカ人よ、あなたの国家があなたのために何をしてくれるかではなく、あなたがあなたの国
家のために何ができるかを問おうではないか。わが同胞の世界の市民よ、アメリカがあなたのために何をしてくれるかではなく、われわれと共に人類の自由のた
めに何ができるかを問おうではないか。(And so, my fellow Americans: ask not what your
country can do for you―ask what you can do for your country.
My fellow citizens of the world: ask not what America will do for you, but what together we can do for the freedom of man.)』
大統領就任演説ビデオ
英語で空んじているところが、今更ながら凄いと想う。それだけのファンであった。長じて、ロ バート・ケネディーに傾倒したが、サンフランシスコで凶弾で倒れた。高3の時である。涙が出た。以来、アメリカという国にかつてほどのあこがれは消え失せた。
キング牧師も倒れ、ベトナム戦争は泥沼化し、昨今、と云ってももうすでに12年前になるが、ジョン・F・ケネディJr.も大統領立候補を表明した途端、不慮の飛行機事故(確実に暗殺)で倒れ、完全にアメリカに失望した。
何故殺されたか。
いくつかに纏めると、
① ケネディは連邦準備制度を廃止し、合衆国憲法に記されているように財務省に権限を戻そうとした。
② タヴィストック人間関係研究所の科学者たちが大統領に会って奨めた「「危機管理計画(FEMAの前身)」の内容を拒絶した。
③ ケネディはマフィアへの取締りを強化し、「マフィア撲滅」のスローガンを掲げていた。
④ ケネディは中国の核武装に強く反対し、中国の核施設に対し戦闘機による先制攻撃を立案していた。
⑤ 軍縮を進め、ベトナムからも早期撤退を決意していた。
となる。他にもいろいろあるが、月面着陸に関してNASAの秘密計画が曝露されるのを惧れた、だのは、飛躍しすぎた理由にすぎない。上記5点が信憑性がある。
ケネディー家も、世界の13支族のファミリーである。その意味では、J・F・ケネディーは彼らを裏切ったのである。彼の著書『勇気ある人々』を
実践したことにより、彼は暗殺された。そして、上記5点は、彼の意に反したところで実行され現在がある。弟ロバートは③の実行責任者であり、その後、
候補者になり暗殺され
る。
J・F・ケネディーの息子ジョン・F・ケネディJr(国葬の時、健気に敬礼をしていたあの坊やジョン君)も、立候補表明の後、暗殺される。
その元凶は何か。? 1991年、『問題となっているのは一つの小さい国よりも大きい、それは大きな思想、新世界秩序(New World
Order)である。それは共有された主義と法の支配に基づいた、人類の普遍的な大望を達成するためにある。』と一般教書演説で新世界秩序を称賛した、あ
のブッシュである。その親分がデビッド・ロックフェラーである。間違いはない。
その時から、アメリカに希望はない。と云うより、以来アメリカは彼らの手中に乗っ取られた。J・F・ケネディーはその最中の一瞬の輝きであって、希望の星であったが故にかくも偉大だったのである。それを今にして知った。
今こそ、思うのである。今こそ、『Ask what you can do for your country. Ask what together we can do for the freedom of man.』の時である。