ドイツ各地で23日、ネオナチ犯行グループによる殺人で犠牲になった10人を追悼し、ネオナチ・極右の暴力を決して許さないとする集会が開かれました。
外国人を敵視するネオナチの3人組が2000年から07年にかけ、北部ハンブルグや南部ミュンヘンなどでトルコ人8人、ギリシャ人1人、警官1人の計10人を殺害した容疑が強くなっています。3ヵ月前に、3人組の1人の女が出頭して発覚しました。
ベルリンで催された追悼集会では、メルケル首相が犠牲者と家族に許しを請い、「出身や肌の色、宗教の違いで人間を迫害するようなことがあってはならないし、憎しみや蔑み、暴力を許してはならない」と強調。この殺害事件は「わが国にとって恥辱だ」として、あらゆるところで「偏見、侮辱、排外主義とのたたかいを進めよう」と訴えました。
ドイツでは、ナチス・ドイツが第2次世界大戦で、ユダヤ人やロマを大量虐殺したことから、戦後、ナチスの蛮行を徹底的に批判して反省する「過去の克服」に取り組んできました。それだけに、今回の事件は大きなショックを与えています。
同日、各地で、労組、企業、自治体、教会などがそれぞれ追悼集会を開き、黙祷しました。
河村発言
南京虐殺否定 撤回せよ
名古屋 共産党市議団が抗議
名古屋市の河村たかし市長が旧日本軍による南京大虐殺(1937年)を否定した問題について、日本共産党名古屋市議団は21日、河村市長に抗議し、発言の撤回を申し入れました。
河村市長は20日、同市と姉妹友好都市を結んでいる南京市(1978年提携)の劉志偉・中国共産党市委員会常務委員ら訪日代表団が名古屋市役所を訪れた際、「通常の戦闘行為はあったが、一般人への虐殺行為はなかったと聞いている」などと述べました。
申し入れでは、「日本軍による非戦闘員を含めた殺害、略奪行為があったことは否定できない歴史的事実だ。日本政府も06年に、当時衆議院議員だった河村氏が提出した質問主意書に対する答弁書で、『旧日本軍による南京入城後、非戦闘員の殺害又は略奪行為等があったことは否定できない』と認めている」と指摘。「市民を代表する市長が、個人の特異な歴史観によって、歴史的事実とも政府見解とも異なる発言を公式の場で行うことは許されない」と厳しく抗議し、撤回を求めました。
河村市長は、09年の9月議会でも「銃撃戦で市民が亡くなったことが誤解されて伝わっている」と発言し、南京大虐殺記念館(南京市)についても、「今のままの展示だと日本人に対して大きな誤解をうむと危惧する」と言及。昨年の教科書選定問題にからむ議会質問や地域集会でも同様の発言を繰り返し行い、市民から批判を浴びています。
河村市長は22日、「私は私の意見を言う」と述べ、発言を撤回しない意向を明らかにしました。
交流を一時停止 南京市
【北京=小寺松雄】中国江蘇省の南京市政府は21日夜、姉妹都市である名古屋市との交流を一時停止すると発表しました。名古屋市の河村たかし市長が、南京大虐殺の史実を否定し、南京市民の感情を傷つけたためだとしています。
中国外務省の洪磊(こうらい)副報道局長は22日の記者会見で、南京市の今回の措置について「理解し、支持する」と述べました。
南京大虐殺否定発言
歴史の事実 直視すべきだ
河村たかし名古屋市長の南京大虐殺についての発言は歴史の事実に反するものです。
南京大虐殺とは、37年12月、中国への侵略戦争の中で旧日本軍が当時の中国の首都・南京を攻略・占領し、中国軍兵士だけでなく、一般市民を虐殺した事件です。市民の殺害、婦女の強姦(ごうかん)、放火、略奪などの残虐行為は占領後2カ月にわたり続きました。
犠牲者は30万人以上ともそれ以下とも言われていますが、日本軍による虐殺は国際的にも認められた紛れもない事実です。
それは当時の日本政府・軍の当局者の証言でも明らかです。当時の外務省東亜局長だった石射猪太郎は回顧録『外交官の一生』の中で、日記の一節を紹介し、「上海から来信、南京に於(お)ける我軍の暴状を詳報し来る。掠奪(りゃくだつ)、強姦、目もあてられぬ惨状とある。嗚呼(ああ)これが皇軍か」と書いています。
外務省外交史料館に所蔵されている当時の中支那方面軍司令官だった松井石根陸軍大将の日誌には、南京入城の際、「幾多我軍の暴行奪掠(だつりゃく)事件を惹起(じゃっき)し、皇軍の威徳を傷くること尠少(せんしょう)ならさるに至れるや」という事実が記されています。
日本政府も公式見解として、「多くの非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できない」(外務省ホームページ)と述べています。日本政府が認めている事実に背を向け、南京事件は「なかった」などというのは政治家としての資質が問われる問題です。
今年は日中国交正常化40周年です。日中両国は「日中国民交流友好年」と位置付け、両国各地で交流と友好のイベントを企画しています。今年を真の日中友好の年にするためにも、歴史を直視しない政治家の発言を許してはなりません。
「慰安婦」と住民虐殺削除
戦跡説明文 嘉陽議員が隠蔽追及
沖縄県
那覇市首里城公園近くにある旧日本軍沖縄守備隊・第32軍司令部壕(ごう)内の様子を紹介する説明板の文面から「慰安婦」「(日本軍による)住民の虐殺」の文言が削除された問題が、24日の沖縄県議会で取り上げられ、仲井真弘多知事は「私が説明を受けて承諾した」と関与を認めました。日本共産党の嘉陽宗儀(かようそうぎ)議員の質問に答えたもの。
説明文は、県が指名した専門家5人でつくる検討委員会が昨年11月に最終案をまとめたもの。今月17日以降、県から記述削除の説明を受けたとして検討委員会が23日、下地寛環境生活部長に「削除撤回を要求する意見書」を提出して問題が発覚しました。
嘉陽議員の削除撤回要求に下地部長は「知事の承諾をいただき私が決定した。元に戻す考えはない」と強弁。嘉陽議員は「歴史の真実を隠蔽(いんぺい)するものだ。沖縄県民は『あの悲劇を二度と繰り返してはいけない』と立ち上がり、県民大会も開いて改ざん攻撃をはね返してきた。戦跡保全は『沖縄戦を繰り返してはならない』との決意で行われるもの」と厳しく批判しました。
仲井真知事は「1月20日ごろに説明を受けて了承した」と答え、「日本軍による住民虐殺」や「慰安婦」について「(異なる)証言が二つあり、県が責任を持つ説明板にその表現を入れるのは適切でない。(削除は)撤回しない」とかたくなな態度に終始しました。
解説
歴史の改ざん繰り返させない
沖縄県が説明文から削除したのは、「慰安婦」と「司令部壕周辺では、日本軍に『スパイ視』された沖縄住民の虐殺などもおこりました」の2カ所。
説明文案を作成した検討委員会は、考古学や沖縄歴史教育研究など県が指名した専門家で構成され、文案は全員一致でまとめられたものでした。しかし、県は「慰安婦の存在について肯定・否定の両方の証言があった」などとして「県として確証がもてないので削除した」(県環境生活部長)と強弁しました。
これは、異論の存在を理由に、沖縄戦における「集団自決」の教科書記述に難癖をつけ、日本軍による命令・強制・誘導等の表現を削除・訂正した2007年の教科書検定意見を想起させるものです。
この時、沖縄県民は歴史の真実をゆがめる動きを許しませんでした。県議会は検定意見の撤回を求める抗議決議を全会一致で2度可決。さらに、11万人が参加する「9・29教科書検定意見撤回を求める県民大会」を開いて反撃しました。
今回の動きは、9・29県民大会が示した県民総意に真っ向から挑戦するものです。嘉陽県議が質問を始めるとヤジが飛び、自民党県連会長を務める県議が議事を止め、質問の緊急性に疑義を唱えました。
同司令部壕は、保存と公開を求めて、日本共産党の渡久地修県議が調査・要求していました。「歴史の偽造また」。24日の地元紙は、住民虐殺を目撃した沖縄戦体験者の声や、削除を批判する研究者の談話を掲載。ニュースを知った市民が県議会の傍聴に訪れるなど県民の間に怒りが広がっています。
外国人を敵視するネオナチの3人組が2000年から07年にかけ、北部ハンブルグや南部ミュンヘンなどでトルコ人8人、ギリシャ人1人、警官1人の計10人を殺害した容疑が強くなっています。3ヵ月前に、3人組の1人の女が出頭して発覚しました。
ベルリンで催された追悼集会では、メルケル首相が犠牲者と家族に許しを請い、「出身や肌の色、宗教の違いで人間を迫害するようなことがあってはならないし、憎しみや蔑み、暴力を許してはならない」と強調。この殺害事件は「わが国にとって恥辱だ」として、あらゆるところで「偏見、侮辱、排外主義とのたたかいを進めよう」と訴えました。
ドイツでは、ナチス・ドイツが第2次世界大戦で、ユダヤ人やロマを大量虐殺したことから、戦後、ナチスの蛮行を徹底的に批判して反省する「過去の克服」に取り組んできました。それだけに、今回の事件は大きなショックを与えています。
同日、各地で、労組、企業、自治体、教会などがそれぞれ追悼集会を開き、黙祷しました。
河村発言
南京虐殺否定 撤回せよ
名古屋 共産党市議団が抗議
名古屋市の河村たかし市長が旧日本軍による南京大虐殺(1937年)を否定した問題について、日本共産党名古屋市議団は21日、河村市長に抗議し、発言の撤回を申し入れました。
河村市長は20日、同市と姉妹友好都市を結んでいる南京市(1978年提携)の劉志偉・中国共産党市委員会常務委員ら訪日代表団が名古屋市役所を訪れた際、「通常の戦闘行為はあったが、一般人への虐殺行為はなかったと聞いている」などと述べました。
申し入れでは、「日本軍による非戦闘員を含めた殺害、略奪行為があったことは否定できない歴史的事実だ。日本政府も06年に、当時衆議院議員だった河村氏が提出した質問主意書に対する答弁書で、『旧日本軍による南京入城後、非戦闘員の殺害又は略奪行為等があったことは否定できない』と認めている」と指摘。「市民を代表する市長が、個人の特異な歴史観によって、歴史的事実とも政府見解とも異なる発言を公式の場で行うことは許されない」と厳しく抗議し、撤回を求めました。
河村市長は、09年の9月議会でも「銃撃戦で市民が亡くなったことが誤解されて伝わっている」と発言し、南京大虐殺記念館(南京市)についても、「今のままの展示だと日本人に対して大きな誤解をうむと危惧する」と言及。昨年の教科書選定問題にからむ議会質問や地域集会でも同様の発言を繰り返し行い、市民から批判を浴びています。
河村市長は22日、「私は私の意見を言う」と述べ、発言を撤回しない意向を明らかにしました。
交流を一時停止 南京市
【北京=小寺松雄】中国江蘇省の南京市政府は21日夜、姉妹都市である名古屋市との交流を一時停止すると発表しました。名古屋市の河村たかし市長が、南京大虐殺の史実を否定し、南京市民の感情を傷つけたためだとしています。
中国外務省の洪磊(こうらい)副報道局長は22日の記者会見で、南京市の今回の措置について「理解し、支持する」と述べました。
南京大虐殺否定発言
歴史の事実 直視すべきだ
河村たかし名古屋市長の南京大虐殺についての発言は歴史の事実に反するものです。
南京大虐殺とは、37年12月、中国への侵略戦争の中で旧日本軍が当時の中国の首都・南京を攻略・占領し、中国軍兵士だけでなく、一般市民を虐殺した事件です。市民の殺害、婦女の強姦(ごうかん)、放火、略奪などの残虐行為は占領後2カ月にわたり続きました。
犠牲者は30万人以上ともそれ以下とも言われていますが、日本軍による虐殺は国際的にも認められた紛れもない事実です。
それは当時の日本政府・軍の当局者の証言でも明らかです。当時の外務省東亜局長だった石射猪太郎は回顧録『外交官の一生』の中で、日記の一節を紹介し、「上海から来信、南京に於(お)ける我軍の暴状を詳報し来る。掠奪(りゃくだつ)、強姦、目もあてられぬ惨状とある。嗚呼(ああ)これが皇軍か」と書いています。
外務省外交史料館に所蔵されている当時の中支那方面軍司令官だった松井石根陸軍大将の日誌には、南京入城の際、「幾多我軍の暴行奪掠(だつりゃく)事件を惹起(じゃっき)し、皇軍の威徳を傷くること尠少(せんしょう)ならさるに至れるや」という事実が記されています。
日本政府も公式見解として、「多くの非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できない」(外務省ホームページ)と述べています。日本政府が認めている事実に背を向け、南京事件は「なかった」などというのは政治家としての資質が問われる問題です。
今年は日中国交正常化40周年です。日中両国は「日中国民交流友好年」と位置付け、両国各地で交流と友好のイベントを企画しています。今年を真の日中友好の年にするためにも、歴史を直視しない政治家の発言を許してはなりません。
「慰安婦」と住民虐殺削除
戦跡説明文 嘉陽議員が隠蔽追及
沖縄県
那覇市首里城公園近くにある旧日本軍沖縄守備隊・第32軍司令部壕(ごう)内の様子を紹介する説明板の文面から「慰安婦」「(日本軍による)住民の虐殺」の文言が削除された問題が、24日の沖縄県議会で取り上げられ、仲井真弘多知事は「私が説明を受けて承諾した」と関与を認めました。日本共産党の嘉陽宗儀(かようそうぎ)議員の質問に答えたもの。
説明文は、県が指名した専門家5人でつくる検討委員会が昨年11月に最終案をまとめたもの。今月17日以降、県から記述削除の説明を受けたとして検討委員会が23日、下地寛環境生活部長に「削除撤回を要求する意見書」を提出して問題が発覚しました。
嘉陽議員の削除撤回要求に下地部長は「知事の承諾をいただき私が決定した。元に戻す考えはない」と強弁。嘉陽議員は「歴史の真実を隠蔽(いんぺい)するものだ。沖縄県民は『あの悲劇を二度と繰り返してはいけない』と立ち上がり、県民大会も開いて改ざん攻撃をはね返してきた。戦跡保全は『沖縄戦を繰り返してはならない』との決意で行われるもの」と厳しく批判しました。
仲井真知事は「1月20日ごろに説明を受けて了承した」と答え、「日本軍による住民虐殺」や「慰安婦」について「(異なる)証言が二つあり、県が責任を持つ説明板にその表現を入れるのは適切でない。(削除は)撤回しない」とかたくなな態度に終始しました。
解説
歴史の改ざん繰り返させない
沖縄県が説明文から削除したのは、「慰安婦」と「司令部壕周辺では、日本軍に『スパイ視』された沖縄住民の虐殺などもおこりました」の2カ所。
説明文案を作成した検討委員会は、考古学や沖縄歴史教育研究など県が指名した専門家で構成され、文案は全員一致でまとめられたものでした。しかし、県は「慰安婦の存在について肯定・否定の両方の証言があった」などとして「県として確証がもてないので削除した」(県環境生活部長)と強弁しました。
これは、異論の存在を理由に、沖縄戦における「集団自決」の教科書記述に難癖をつけ、日本軍による命令・強制・誘導等の表現を削除・訂正した2007年の教科書検定意見を想起させるものです。
この時、沖縄県民は歴史の真実をゆがめる動きを許しませんでした。県議会は検定意見の撤回を求める抗議決議を全会一致で2度可決。さらに、11万人が参加する「9・29教科書検定意見撤回を求める県民大会」を開いて反撃しました。
今回の動きは、9・29県民大会が示した県民総意に真っ向から挑戦するものです。嘉陽県議が質問を始めるとヤジが飛び、自民党県連会長を務める県議が議事を止め、質問の緊急性に疑義を唱えました。
同司令部壕は、保存と公開を求めて、日本共産党の渡久地修県議が調査・要求していました。「歴史の偽造また」。24日の地元紙は、住民虐殺を目撃した沖縄戦体験者の声や、削除を批判する研究者の談話を掲載。ニュースを知った市民が県議会の傍聴に訪れるなど県民の間に怒りが広がっています。