佐々木俊尚の「ITジャーナル」

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ワープロ型特許問題について

2005-04-21 | Weblog
 少し古いニュースになるが、松下電器産業が、ジャストシステムの「一太郎」「花子」にユーザインタフェイスの特許権を侵害されたとして提訴した裁判の判決が、2月1日にあった。東京地裁は松下の訴えを認め、「一太郎」の製造販売の中止と製品の破棄を求めたのである。

 この件について、ずっと取材を続けている。松下の特許は1989年に出願された古いもので、どうして今ごろになって裁判沙汰になっているのか、取材を始めた段階では非常に不思議に感じた。

 同様の裁判は、しばらく前にもあった。覚えている人も多いだろう。カシオ計算機がパソコンメーカーのソーテックを訴えた「マルチウィンドウ訴訟」である。カシオは「ディスプレイ上に複数の画面を重ね合わせて表示する発明」についての特許を持っていて、ソーテックが特許を侵害しているとして訴えた。もちろん実際にはソーテックの作っているハードウェアではなく、プリインストールされているWindowsのマルチウィンドウ機能が、特許侵害にあたるとされたのである。そして2003年4月に判決が出て、裁判所はカシオの特許を無効として請求を棄却している。

 ソーテックが無事勝訴したのは良かったが、しかしどうしてこんな裁判が成り立つのか、素朴な疑問を持った人は当時から多かった。私もそのひとりだ。だって、そうではないか。マルチウィンドウ機能を使っているのはWindowsを開発したマイクロソフトであって、ハードベンダーのソーテックではない。どうしてカシオ計算機はマイクロソフトを訴えずに、ソーテックを訴えたんだ?

 関係者によれば、いちおうの説明としては「特許対象が情報処理装置に限られているから」ということらしい。この特許がカシオから出願されたのは1986年で、当時はまだソフトウェアだけを対象にした特許は認められていなかった。特許の流れを時系列に並べると、次のようになる。

 1970年代=電卓型特許(あくまでハードだけに対する特許だった)
 1980年代はじめ=マイコン型特許(ハード制御用のマイコンプログラムについても、ハードとセットで付随して特許が認められるようになる)
 1980年代なかば=ワープロ型特許(ハード制御用に限らず、アプリケーションプログラムについてもハードとセットで特許が認められる)
 1990年代なかば=ソフト媒体型特許(プログラムをおさめたCD-ROMやFDを特許で保護できるよう変わった)
 2000年以降=ネットワーク型特許(媒体に記録されていないプログラムも物の発明として扱うようになった)

 カシオが出願した1986年当時は、ワープロ型特許だった。そしてこの定義通り、カシオはワープロ専用機上の機能として、このマルチウィンドウ特許を出願していた。ワープロの特許は「情報処理装置(ハードウェア)と方法(ソフトウェア)」によって構成されている。ここからソフトだけを切り離すことはできない。そしてこのマルチウィンドウ特許は「情報処理装置」に対する特許なのだから、当然、ハードを製造・販売している会社が係争の相手となる。

 だからソーテックが裁判相手に選ばれた、ということらしい。

 もっとも調べてみると、どうも理由はこれだけではないようにも見える。クロスライセンスの問題があるからだ。大手メーカー同士はお互いの特許を融通し合っていて、簡単に言えばこれをクロスライセンスという。このクロスライセンスの相手ではないところが、裁判相手には選ばれやすい。当時急成長中の新興ハードベンダーだったソーテックが、スケープゴートにされた可能性もあった。もっともこの裁判についてカシオに取材を申し込んだところ、「コメントは差し控えたい」と断られたため、真相はわからない。

 さらにいえば、マイクロソフトは国内パソコンメーカー各社に対して、驚くべき契約も行っていた。WindowsのOEM契約を結ぶ際に、Windowsに使われている技術がメーカーの特許権を侵害する可能性があっても、メーカー側は決して訴訟を起こしてはならないという「特許非係争条項」というのをOEM契約に盛り込んでいたのである。これは日本の公正取引委員会が問題にしており、「不当な拘束で公正な競争を阻害している」として是正を求められている。

 カシオに訴えられたソーテックの裁判闘争は、実に苦難の連続だったようだ。

 当たり前だが、ソーテックは単なるハードウェアベンダーである。OSどころか、ソフトの開発さえほとんど行っていない。それなのに、カシオからマルチウィンドウ特許を抵触していると裁判に訴えられてしまった。つまりマイクロソフトに代わって、「マルチウィンドウ機能はカシオの特許ではない」ということを法廷で説明しなければならなくなってしまったのである。

 通常の特許権裁判であれば、訴えられた側は社内の古い資料を引っかき回し、「ほら、うちの資料を見ると、原告が特許を出願する以前からうちではこの技術を開発して実用化していたんです。だから決して原告の発明ではない」といったことを証明すればいい。しかしソーテックの場合、当たり前だが、そんな資料は社内のどこにもない。かといってマイクロソフトがそんな機密資料を貸してくれるはずもなく、困り果ててしまったようだ。

 そこでソーテックの人びとは、図書館に行ったり、古い文献を調べたりして、マルチウィンドウという機能がいったいいつから使われていたのかを一生懸命調べ続けた。インターネットオークションで探し回って、アップルコンピュータの伝説のマシン「Lisa」を買い求めることまでしたらしい。

 そうやって苦労した末、Macintoshのグラフィックソフト「FULLPAINT」のマニュアルに、マルチウィンドウの記述があることを見つけ出した。そしてこのマニュアルが、カシオが同特許を出願する1か月前の1986年1月、サンフランシスコで開かれた展示会で公開されていたことを突き止めたのである。

 まるで考古学の世界ではないか。

 この努力は素晴らしいが、しかしソーテックというファブレスのハードベンダーにとっては、実のところ何の生産性にもつながらない。ソーテックの技術者も、まさか自分がMacintoshの発掘作業をさせられるとは夢にも思っていなかっただろう。

 このワープロ型特許問題の話は、次回も少し続けたい。