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何を書くかわからない

●元旦

2018-01-01 21:06:37 | 文化

●元旦
◆がん‐たん〔グワン‐〕【元旦】
元日の朝。元朝。また、元日。「一年の計は元旦にあり」《季 新年》
[補説]「旦」は「朝・夜明け」の意であるから、「元旦」を「元日」の意で使うのは誤り。ただし、「元日」と同じように使う人も多い。
 
◆「元日」と「元旦」「正月」の違い | 違いがわかる事典
https://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=4&cad=rja&uact=8&ved=0ahUKEwjmgoDtsbbYAhVEWLwKHafqAqgQFgg5MAM&url=https%3A%2F%2Fchigai-allguide.com%2F%25E5%2585%2583%25E6%2597%25A5%25E3%2581%25A8%25E5%2585%2583%25E6%2597%25A6%25E3%2581%25A8%25E6%25AD%25A3%25E6%259C%2588%2F&usg=AOvVaw3NoIPLhDEfQweFzh5a_1f8
元日は、1年の最初の日で、1月1日のこと。 元旦は、元日の朝、元日のこと。 元旦の「旦」の字は、太陽が地平線から出るさまを表した漢字で、朝や夜明けを表すため、元旦は1月1日の朝のみを表すともいわれるが、1月1日(元日)も意味する。 しかし、元旦が元日の朝も意味することには変わりないため、1月1日の朝をいう場合は、「元旦の朝」とはいわず「元日の朝」というのが正しい。 年賀状は、1月1日の朝に届くよう出すのが礼儀であるため、日付は「元日」ではなく、ふつうは「元旦」と書く。 「〇〇年元旦」と年号を付ける ...
 
◆元日 - Wikipedia
https://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=6&cad=rja&uact=8&ved=0ahUKEwjmgoDtsbbYAhVEWLwKHafqAqgQFghkMAU&url=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F%25E5%2585%2583%25E6%2597%25A5&usg=AOvVaw2RZ1Cflf4qqrzaSj-NdDcR
年の最初の日。日付はグレゴリオ暦では1月1日(改暦前は旧暦正月一日)。元旦(がんたん)ともいうが、この場合は特にその日の朝を指すこともある
 
◆暦法と元日
元日は年初の日である。しかし、年は繰り返すもので、どの季節を年初にしても記年法上問題はなく、太陽暦では1月1日そのものに天文学的な意味はない[2]。
紀元前45年のユリウス暦では冬至付近を1月1日としたが、その理由には諸説ある[2]。325年のニケア宗教会議では春分の日が3月21日とされ、1582年のグレゴリオ暦で1年を365.25日としたことから、3月21日の確定(ニケア宗教会議での決定事項の優先)とともに1月1日も必然的に定まることになった[2]。
なお、1月1日以外を年初とする暦法も存在する[2]。太陽暦に基づきながらも、元日が1月1日ではない暦法もあった。例として、フランス革命暦では、葡萄月(ヴァンデミエール)1日が元日とされた。その日はグレゴリオ暦では9月22日から9月24日の間と、グレゴリオ暦1月1日とは大きなずれが生じていた(実際、フランス革命暦最終日となった1805年12月31日はフランス革命暦14年雪月(ニヴォーズ)10日であり、これは葡萄月を1月、果実月(フリュクティドール)を12月と数えると、4月10日となる)。

各国の元日
1月1日を祝日として公休日としている国は多い。
日本
日本では明治から大正・昭和前期まで皇室行事である四方拝にちなみ、四方節(しほうせつ)と呼ばれて祝祭日の中の四大節(紀元節、四方節、天長節、明治節)の一つとされてきた。
1948年(昭和23年)公布・施行の国民の祝日に関する法律(昭和23年7月20日法律第178号)第2条により、四方節に代わって「年のはじめを祝う」ことを趣旨とする国民の祝日となった。
日本各地では、元日の1月1日から1月3日まで(三が日)、または「松の内」までを特に「お正月(おしょうがつ)」と呼んでこれを尊重し、毎年この時期独特の行事や慣習が執り行われる。

フィリピン
フィリピンでは大晦日から元日にかけて爆竹や空砲によって新年を祝う風習がある。

元日と元旦
「元日」と「元旦」はしばしば混用されるが、「旦」は「朝・夜明け」の意であるから、本来「元旦」は「元日の朝」を指す。ただし、『日本国語大辞典』等では「元旦」は「元日」と「元日の朝」の両方の意味を持つとされている[1]。
「元旦」は中国語から日本語へと輸入された語彙であるが、宋代の中国語文献においても
正月朔日,謂之元旦,俗呼為新年。(正月の一日は、元旦といい、俗に新年とも呼ぶ)
といった「元日」の意での用例が見られる[6]。また日本語においては坂口安吾の『新春・日本の空を飛ぶ』において
元旦正午、DC四型四発機は滑走路を走りだした。
のような用例が見られる。

元日の行事
四方拝
ウィーンフィル・ニューイヤーコンサート - 毎年元日にウィーン楽友協会の大ホールで行なわれている。
全日本実業団対抗駅伝競走大会(ニューイヤー駅伝) - 1988年(昭和63年)の第32回大会より元日に開催されている。
天皇杯全日本サッカー選手権大会 - 1968年度(昭和43年度)の第48回大会以降、2014年度(平成26年度)の第94回大会を除いて元日に決勝戦が開催されている。
 
◆お正月にやってはいけないタブー「元旦におさい銭以外のお金を使う」
https://woman.mynavi.jp/article/131227-137/
おめでたい、でも何かとあわただしい年末年始とお正月。実はこの時期にやってはいけないとされているタブーがあるのをご存じですか? 近頃ではあまり耳にしなくなりましたが、知っておくと縁起がよくなるかも!
 
◆元旦(がんたん) - 語源由来辞典
元旦の「元」は「はじめ」の意味。 「旦」は「日」が「太陽」、その下の横棒が「地平線」で、地平線から太陽が現れることを示し、「日の出」や「朝」の意味をもつ。 つまり、一年の最初の朝なので、元日の朝を意味する。 このようなことから、元日(1月1日)の意味で元旦を使うのは誤りといわれるが、古くから元日の意味でも用いられており、朝に限って使われる言葉ではない。 朝は一日の始まりを表す言葉で、一年の始まりという意味では、1月1日は一年の朝である。
 
◆初日の出 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/初日の出
初日の出(はつひので)とは、1月1日(元日)の日の出(太陽が水平線や地平線から姿を現す様)のこと。日本では一年に一度の最初の夜明けで『めでたい』とされ、初日の出参りを行う人は数多くいる。

概要
 初日の出の習慣は、日本古来のものであるが、明治以降に盛んになったと言われている。四方拝という天皇の元旦の儀式が始まりで、それが庶民の間に現在の形で広まり、初日の出を拝むという習慣になった。
全国各地に初日の出スポットがある。水平線を見渡せる海岸や山頂、展望台、高層建築物(高層ビルや高層マンション、電波塔など)の最上階や屋上などである。
初日の出の時刻は毎年ほとんど決まっているため、国立天文台の電話相談室の担当者だった理学博士の長沢工によれば、11月頃になると国立天文台の相談室には旅行会社などから「本土で最も早い初日の出が見られるのはどこか?」という質問が多数寄せられ、天文台側も50箇所から60箇所の初日の出スポットの時刻計算リストを作り、質問に答えている[2]。
また、初日の出の際に、願い事やその年の決意などを祈ることが多い。季節柄、曇りや雨、雪の多い日本海側よりも、晴天の多い太平洋側の方が見られる確率が高い。
 
◆初夢(はつゆめ)
新年のある夜に見る夢。この夢の内容で、1年の吉凶を占う風習がある。
字義どおりに新年最初に見る夢とされることは少なく、現代では元日(1月1日)から2日の夜、または、2日から3日の夜に見る夢とされることが多い。

日付
文献での初夢の初出は、鎌倉時代の『山家集』である。そこでは、暦上の新年とは無関係に、節分から立春の夜に見る夢を初夢としている。この時代は、初夢に限らず、立春を新年の始まりと考えることが多かった。
その後、暦上の元日を新年の始まりと考えるようになったが、単純に、大晦日から元日の夜に見る夢が必ずしも初夢とはならず、江戸時代には「大晦日から元日」「元日から2日」「2日から3日」の3つの説が現れた。「元日から2日」は、大晦日から元日にかけての夜は眠らない風習ができたことが理由とされる。「2日から3日」の由来ははっきりしないが、書初めや初商いなど多くの新年の行事が2日に行われるようになったのに影響されたためとも言われる。
江戸時代後期には「2日から3日」が主流となったが、明治の改暦後は、「元日から2日」とする人が多くなった。

風習
宝船の絵
室町時代ごろから、良い夢を見るには、七福神の乗っている宝船の絵に「なかきよの とおのねふりの みなめさめ なみのりふねの おとのよきかな(長き夜の 遠の眠りの 皆目覚め 波乗り船の 音の良きかな)」という回文の歌を書いたものを枕の下に入れて眠ると良いとされている。これでも悪い夢を見た時は、翌朝、宝船の絵を川に流して縁起直しをする。

一富士二鷹三茄子
初夢に見ると縁起が良いものを表すことわざに「一富士二鷹三茄子(いちふじ にたか さんなすび)」がある。
江戸時代に最も古い富士講組織の一つがあった「駒込富士神社」の周辺に鷹匠屋敷(現在の駒込病院)があり、駒込茄子が名産であったため、当時の縁起物として「駒込は一富士二鷹三茄子」と川柳に詠まれた(富士信仰も参照)。
その他にこの3つの組み合わせは、『狂歌・家つと』、『続五元集』、『狂歌・巴人集』、『譬喩尽』、『黄表紙・盧生夢魂其前日』、『笈埃随筆』[1]、『嬉遊笑覧』、『甲子夜話』[2]、『俚言集覧』などの文献資料に記載されており[3]、江戸時代初期にはすでにあり、それぞれの起源は次のような諸説がある。
徳川家縁の地である駿河国での高いものの順。富士山、愛鷹山、初物のなすの値段
富士山、鷹狩り、初物のなすを徳川家康が好んだことから
富士は日本一の山、鷹は賢くて強い鳥、なすは事を「成す」
富士は「無事」、鷹は「高い」、なすは事を「成す」という掛け言葉
富士は曾我兄弟の仇討ち(富士山の裾野)、鷹は忠臣蔵(主君浅野家の紋所が鷹の羽)、茄子は鍵屋の辻の決闘(伊賀の名産品が茄子)

四以降
四以降については地域・文献などからいくつか存在しており、それについても諸説ある。
四扇(しおうぎ、しせん、よんせん)、五煙草(多波姑)(ごたばこ)、六座頭(ろくざとう)
「俚言集覧」に記載があり、同内容を挙げた辞典類の多くはこれを出典としている[3]。一説として、一富士二鷹三茄子と四扇五煙草六座頭はそれぞれ対応しており、富士と扇は末広がりで子孫や商売などの繁栄を、鷹と煙草の煙は上昇するので運気上昇を、茄子と座頭[4]は毛がないので「怪我ない」と洒落て家内安全を願うという。
四(または五)を「葬式・葬礼」としたもの[3]
四そうろう(葬礼)に五せっちん(雪隠、便所) / 四葬式、五雪隠 / 四雪隠、五葬式
四葬礼、五糞
四に葬式、五に火事 / 四葬式、五火事
俗信により、逆夢としたり[5]、予兆としたり、内容によって良悪が違う[6]など、いくつかの解釈がある。

 
◆書き初め(かきぞめ)
年が明けて初めて毛筆で書や絵をかく行事。通常は1月2日に行われる[1]。元は旧暦の1月2日に行われた。吉書(きっしょ)、試筆(しひつ)、初硯(はつすずり)、筆始(ふではじめ)などともいう。
若水で墨を摺り、恵方に向かって詩歌を書く習慣があった。書く詩歌は「長生殿裏春秋富、不老門前日月遅」という漢詩がよく用いられた。もともとは宮中で行われていた儀式だったが、江戸時代以降庶民にも広まった。
書き初めで書いたものは左義長で燃やし、その炎が高く上がると字が上達すると言われている[1]。
毎年1月5日には東京都千代田区にある日本武道館で公益財団法人日本武道館が主催する書道事業の行事として全日本書初め大会が約4,000人を集めて催され[2]、全国的に各種メディアで放映される。これは新年の風物詩の一つとなっている。
 
◆一月一日
https://ja.wikipedia.org/wiki/1月1日
グレゴリオ暦で年始から1日目に当たり、年末まであと364日(閏年では365日)ある。誕生花は松(黒松)[1][2]、または福寿草。
キリスト教においては生後8日目のイエス・キリストが割礼と命名を受けた日として伝えられる。
 
◆記念日・年中行事
https://ja.wikipedia.org/wiki/1月1日#記念日・年中行事
・元日
1年の始めの日。日本では1948年7月施行の祝日法により国民の祝日となっている。
・四方拝
・正月
・初詣
・若水・若潮迎え
・初日の出
・御節料理
・お年玉
・年賀状
・歳旦祭(各社寺)(さいたんさい)
https://ja.wikipedia.org/wiki/歳旦祭
戦前の祝祭日の中の皇室祭祀令に基づく小祭日の一つ。現在では新暦1月1日(元日)に宮中三殿(賢所・皇霊殿・神殿)で行われる年始を祝う祭祀である。
元日の神嘉殿南庭において天皇が親行する四方拝に続いて、同日早朝午前5時30分から宮中三殿において掌典長が主宰し、祝詞をあげ、午前5時40分ごろ四方拝を済ませた黄櫨染御袍姿の天皇が拝礼し、黄丹袍姿の皇太子が続いて拝礼する[要出典]。
神宮をはじめ、全国の神社においては、皇統の繁栄と、五穀豊穣と国民の加護を祈念する中祭として行われる
・東本願寺修正会(1月7日まで。京都市東本願寺)
・鎮座祭(1月3日まで。岡山市吉備津神社)
・大御饌祭(島根県出雲大社)
・叡山元三大師会(1月4日まで。比叡山延暦寺)
・ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団によるニューイヤーコンサート(1941年 - )
・サッカー天皇杯決勝(第48回 - 第93回、第95回 - )
・全日本実業団駅伝(ニューイヤー駅伝)
・元旦競歩大会
・日本競歩の登竜門的存在、東京都渋谷区神宮外苑聖徳記念絵画館周辺の周回コースで行われる。
・パリ・ダカール・ラリー出発日
・世界平和の日
ローマ教皇パウロ6世がベトナム戦争中の1968年、平和のために特別な祈りを捧げるよう世界のカトリック教会に呼びかけたことにちなむ。
 
◆祭祀
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%AD%E7%A5%80
それぞれの地域・宗教における祭祀の詳細は、各項目を参照
祭祀・祭典はあらゆる地域・文化・宗教において行われている。ここでは一般的な事項や特徴的な具体例について記述する。

神道
詳細は「祭祀 (神道)」を参照
神道の新嘗祭
祭祀は、神社神道の根幹をなすものである。神社に鎮座する神霊、および神霊が宿る御神体に対し、儀礼が行われている。これが神社神道における祭祀である。神霊をその場に招き、神霊を饗応し、神霊を慰め、人間への加護を願うものである。さまざまな儀礼・秘儀が伴うこともある。
日本仏教[編集]
寺院において、神仏や死者の霊、仏像・仏塔・名号本尊・曼荼羅に対して儀礼が行われている。これが仏教における祭祀である。通常は仏事・法要・供養などと呼ぶ。仏教には元来、祭祀の対象となるものは存在していなかったが、仏像・仏塔が登場し、仏像や仏塔に対する儀礼が成立した。
 
◆黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%84%E6%AB%A8%E6%9F%93%E5%BE%A1%E8%A2%8D
平安時代以降の日本の天皇が重要な儀式の際に着用する束帯装束の、「黄櫨染」の色の袍のことである。黄櫨染(こうろぜん/はじぞめ)は櫨の樹皮と蘇芳から染め出される色で、「赤みがかった黄色」や、「黄がかった茶色」[2]等と言われるが、時代や着用者の年齢等によってかなり幅のある色であったと考えられている。
 
◆祝詞(のりと)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9D%E8%A9%9E
神道において神徳を称え、崇敬の意を表する内容を神に奏上しもって加護や利益を得んとする文章。通常は神職によって独自の節回しによる朗誦が行われ、文体・措辞・書式などに固有の特徴を持つ。
 
◆上奏(じょうそう)(奏上から転送)
https://ja.wikipedia.org/wiki/上奏
天子(皇帝・天皇)に意見・事情等を申し上げることである。
奏上ともいう。



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