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映画批評etc

映画の感想ではなく批評
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ヒトラー 最期の12日間

2008年12月11日 | 映画(ハ行)
★2004年(独・墺・伊)公開

★キャスト
ブルーノ・ガンツ - アドルフ・ヒトラー
アレクサンドラ・マリア - トラウドゥル・ユンゲ
ユリアーネ・ケーラー - エヴァ・ブラウン

★スタッフ
監督 オリバー・ヒルシュビーゲル
脚本 ベルント・アイヒンガー
撮影 ライナー・クラウスマン
製作 ベルント・アイヒンガー

★あらすじ
アドルフ・ヒトラーの女性秘書を3年間務めたトラウドゥル・ユンゲの証言と映画と同名の研究書を下敷きに、1945年4月のベルリン陥落直前の総統官邸の人々の人間臭さを、総統地下壕を舞台に生々しく表現したドキュメンタリータッチの作品である。

★寸評
問題作のようである。
トラドゥル・ユンゲは彼女へのインタビュー映画『Im toten Winkel - Hitlers Sekretärin』が初公開された翌日に、公開を見届けたかのように天寿を全うしている。
実話が下敷きになっている作品だけに、問題になるのは当然である。
日本でも太平洋戦争に関しては論議が多い。
が、本作を見る限りでは、非常にリアルであり美化も少なく、ヒトラー本人と見紛うばかりである。

中心になってくる部分は総統の官邸で、終戦直前の司令部の混乱ぶりや狂気などはドキュメンタリーで再現するのは難しい。
個々の人物の描き方に関しては歴史的な考証が必要だとは思う。
美化された人物もいるようである。

が、これは歴史自身の視点だろう。
つまり、勝利者には敗者をボロクソに言う権利が許されている事実が、第二次大戦に関してはある。
日本もそうで、敗戦した国であるがゆえに、当時の日本人は殆どが狂人であるかのように描かれていた。
(硫黄島からの手紙は例外中の例外である。「シン・レッド・ライン」「パール・ハーバー」は最悪の例である。クソ映画。)

この作品には他国の人間は殆ど出てこない。
勿論、日本人は全く出てこないし、口にすら登らない。
だから描き方で問題になるのは、ドイツ人自身の歴史の認識だろう。
私が観た限りでは、一番問題になるであろう、ヒトラーやナチスの美化は行われていない。
むしろ、リアル過ぎて不気味にすら感じる。
これも描き方なんだろうが、あまりにも狂気の描き方がリアル過ぎる上に、劇的な描写も少ない。

これが問題作になってしまったのは、ヒトラーという「悪」の偶像が人間になってしまったからだろう。
語られることのなかったパーキンソン病の症状までが描かれている。
ヒトラーが人間になってしまうと、イスラエル含めてアメリカ社会には問題だからだろう。
従って政治的なレベルで論議が行われるまでにこの作品のヒトラーがリアルである、と捉えることが可能である。
これが呼び水となり商業的に成功するという皮肉が起こるわけだが、そこまで見越していたとしたら感心しないが、そんなことはないだろう。

我々日本人にとっては遠い話ではあるが、ディープで興味深い内容である。

武士の一分

2008年12月11日 | 映画(ハ行)
★2006年

★キャスト
木村拓哉
檀れい
笹野高史
緒形拳
桃井かおり
坂東三津五郎

★スタッフ
監督 山田洋次
製作総指揮 迫本淳一
製作 久松猛朗
脚本 山田洋次
  平松恵美子
  山本一郎
原作 藤沢周平

★あらすじ
藩主の毒見役を務める侍、三村新之丞は妻・加世と慎ましくも幸せに暮らしていた。だがある日、毒見の際に食べた貝の毒に中り失明してしまう。この一件から一時は絶望するも加世の支えもあり、光の無い世界に慣れてきたある日、加世と番頭・島田藤弥との不貞を知ってしまう。島田に体を預けることを引き換えに家禄を保ってきたことを知った新之丞は加世を離縁。その後、実は島田は加世を弄ぶために家禄を口実に加世を騙したことを知り、島田に対し、自らの「一分」を賭け果し合いに挑む。

★寸評
キーワードは原作・藤沢周平と脚本・山田洋次です
シンプル極まりない内容です。
殆どの人は結末まで読めてしまうくらいにシンプルです。
これはどういう意図で作っているんだろうか、考えてみた。

山田洋次の映画を批判するのってのは勇気が要りますね。
なにしろ日本が誇る巨匠です。
私ごとき、エンタメを多少かじった程度の人間が太刀打ち出来る筈がない。
でも恐れずに言うと、退屈さは否めません。

以下、各論でいきます。

木村拓哉の存在はそれほど全体に影響を与えていない。
主役なのにも関わらずである。
流石に殺陣は目を見張る出来映えである。巧い。
台詞の癖は、ある。
が、それ以外はしっかり監督の色に染まっていると言える。
これを好意的に捉える人は山田洋次ファンだろう。
木村拓哉はそういう人間なんだろう。
スター然とした「HERO」などではスターを演じることに抵抗なく、作品次第では自分を殺してもいいと考える人間。
ただし主役でなければ最早世間は許さない。

しかしながら、この没入っぷりが結果的には悪いことなのか良いことなのかは判別に迷う。
キャラが立ってないとも言えるわけである。
台詞は木村なのに、見た目は薄汚れていく。
この手のアプローチがかっこいいタイプの役者ではない。


台本に目を転じる。

非常に丁寧に作られた作品であることは間違いないが、それが故に説明過多に陥っている部分がある。

即ち、妻を離縁してからである。
こうなったら、自分が死ぬか相手を殺すかしかないからである。
この間にイベントを挟めない。
旧友が訪問してきて、敵役が実は元女房を完全に騙してたって話くらい。

はっきり言ってどうでもいい事である。

シンプルなストーリーにしたが故の欠陥と言っていいかと思う。
でも直接そこに話を持っていくと、尺が足りない。
だから、ゴチャゴチャやるんですが、そこが話として持ち切れてなかったのが、退屈の原因か。
言わば、展開部分で、話が行き詰った感がある。
あれはどうなる、これはどうなるで、ハラハラする訳でもなし。
結果、重厚さに欠けている。
それは木村の演技云々ではない。
木村は充分だと思う。
これは山田洋次台本と藤沢周平原作による影響だろう。
小作品を映画に起こしたので、こうなったんではないだろうか。

結果、評判ほどではない作品になった。

決して悪くはない、が決して最高ではない。 

ブラザーズ・グリム

2008年12月11日 | 映画(ハ行)
★2005年公開

★キャスト
マット・デイモン
ヒース・レジャー
ジョナサン・プライス
ピーター・ストーメア
レナ・ヘディ
モニカ・ベルッチ

★スタッフ
監督 テリー・ギリアム
脚本 アーレン・クルーガー
音楽 ダリオ・マリアネッリ

★あらすじ
ウィル(ヴィルヘルム)とジェイコブ(ヤーコプ)・グリム兄弟は、いかさまの魔物退治で賞金稼ぎをする旅を続けていた。しかし、ドイツの村で芝居がばれて、その地を支配するフランス将軍に逮捕されてしまう。将軍はグリム兄弟に命じ、森で10人の少女が姿を消した事件の調査に向かわせた。猟師の娘アンジェリカをガイドに、森の奥深くに立つ塔にたどり着いたグリム兄弟は、その塔に伝わる女王の逸話を知る。その頃、森に不気味な異変が起こり始めていた。


★寸評
テリー・ギリアム監督、7年ぶりの作品。
実に残念な出来上がりである。
ギリアムの技量を買っていればいるほど、落胆は激しいのではないだろうか。

最初は結構掴んでくる。
グリム兄弟が幽霊とか悪霊をデッチアゲて、金を稼いでる。
グリム童話のオマージュとして赤頭巾ちゃんも出てきたりする。

グリム童話のギリアム流新解釈がガンガン出てくるのかなぁと。


でも予感だけでした。

単に中途半端な設定でした。
中盤以降はグリムである必然性も無くなり、なんか普通に緊張感のない話とちょいグロイ映像なだけと言えます。
何より脚本が致命的。
グリム兄弟の敵方が2方向あって、散漫なんですね。
この設定は、最初は魔女方面だけだったのが、後からフランスの将軍を付け加えてるんじゃないかな。
だから、最後のとこで順番に抹殺されていく。
こんな中途半端なことはない。
推測ですが、最初に作る前に脚本在りきで、作ってないんでしょうね。
企画が決まってから脚本が決まってったのかなと。


とは言っても、普通には観られます。
ギリアムだ、ということでの期待感を消せば普通の作品なんでしょう。
しかし、腐っても鯛。
所々で、流石の映像は垣間見えます。
そこらへんを楽しんだらいいのかなと。

バッファロー’66

2008年12月11日 | 映画(ハ行)
★1998年公開

★キャスト
ヴィンセント・ギャロ
クリスティーナ・リッチ

★監督&脚本&音楽
ヴィンセント・ギャロ

★あらすじ
刑期を終え、刑務所から釈放されたビリー(ギャロ)は、実家に戻ろうと両親に電話で「政府の仕事で遠くまで行っていた」「女房を連れて帰ってくる」と嘘を並べてしまう。
女房どころかガールフレンドもいないビリーは、ダンス教室でレッスン中だった少女レイラ(リッチ)を拉致し、自分の妻のふりをするよう強要する。
最初は反抗していたレイラも、ビリーの孤独さを理解し、次第に愛情を抱くようになる。

★寸評
ジャンルで区切れば変化球映画である。
ヴィンセント・ギャロという異能の才人が好き放題に作った作品である。
色んな遊びが加わっている。
カメラワークや台詞、ストーリー自身も本人の好みで作られたものだろう。
松本人志に通じるセンスなのかもしれない。

ヴィンセント・ギャロの演じ方だが、同じ事を何度も繰り返し言う。
多分決まった台詞がないんだろう。
だいたいの内容は決まってて、あとはその場で適当に喋る。
だから、殆ど間は作らない。
作れないのかも。
非常に小気味よいテンポである。

しかし、この作品、日本人に完全な理解は難しいだろう。
英悟が堪能か、アメリカのユーモアを理解出来ないと、楽しむのは難しい。
作品自体凝ってるし、私自身はなかなか楽しめた。
が、本当のところは、楽しめていない可能性もあるなと思う。
笑いにも英語にもある程度自信はあるが、「これはなんだろう、この理解でいいのかな」と思うシーンも幾つかあった。

こういう作品を見ていつも思うのは、笑いとかエンタテインメントに対する価値観って様々だなぁと。

1、裸の王様になるのを恐れ、否定。
2、自分の知識の無さを棚に上げて否定。
3、自分をセンスある人間にしたいがために知ったかぶり。
4、単純に素直じゃなくて否定。

などのリアクションがある。
この作品だと、2、だろう。

面白い事がどういうことか、キチッと分かっていれば、本作は巧いなと二ヤリとさせられる箇所は沢山ある。
が、知識やセンスが不足していると理解に苦しむ事も多い。
私にとっては韓国映画に関して同様の事が言える。
曰く、韓国流の純愛に対するセンスが理解出来ないからである。

センスに自信のある方は本当に楽しめる作品だろう。

フラガール

2008年12月11日 | 映画(ハ行)
★2006年公開

★キャスト
松雪泰子
豊川悦司
蒼井優
山崎静代
岸部一徳
富司純子

★スタッフ
監督:李相日
製作:李鳳宇
脚本:羽原大介

★あらすじ
昭和40年(1965年)、大幅な規模縮小に追い込まれた福島県常磐市(現・いわき市)の常磐炭鉱。危機的状況の中、炭鉱で働く人々は、職場を失う現実・苦悩に立ち向かい、町おこし事業として立ち上げた常磐ハワイアンセンター(現:スパリゾートハワイアンズ)の誕生から成功までの実話を描いた。ハワイアンミュージックと本格的なフラダンスショーが描かれている。


★寸評

実に清々しい青春映画である。
群像劇と観ることも出来る。
スポ根にありがちな暑苦しさを感じなかったのは蒼井優個人の力量に拠る部分は多いとは思うが、佳作である。

まず視点がブレない。
終始女性を描くことにフォーカスされている。
あれも、これも、と描くことによって「結局何が見せたいんだよ」にならずに済んでいる。
なにしろ、脇役に豊川悦司や岸部一徳、チョイ役で高橋克実、寺島進と人気も実力も兼ね備えた役者を実に贅沢に使っている。
彼らは飽くまでも、本筋のフラガール達を活かすためのブースターに過ぎない。
が、彼らは(悪い意味で)場面を壊す曲者ではないので、世界の中に没入している。

そしてこの作品の視点の勝利は、3世代の女性を活写しているところだろう。
即ち蒼井優と松雪泰子と冨士純子である。
彼女達がそれぞれの世代にとって共感を覚える女性を演じることによって観易くしている。
加えて映画デビューの南海キャンディーズしずちゃんが、ほぼ素の演技でスパイスを効かせている。

類似作品がどうのこうのという批判はあるが、作品単体でみた場合の評価は悪くないはず。
東北の炭鉱のうら寂しい風景と訛は、日本の原風景を写生している。
これらは日本映画独自のもので、洋画やドラマで再現するのは難しい。

そして全ては、ラストシーンへと繋がっている。
はっきりいってこの手の映画ならば、このラストは受け手の殆どが分かっていることである。
逆にあのラストじゃなかったら納得出来ない。
だから、このラストからストーリーを逆算して作ったとも言える。

だから、ベタベタなストーリー展開を楽しめない、色々な映画を沢山観てて批判する事で自分を上位にもっていきたい捻くれた人間は観ない方がいい。
反対にちゃんとベタに騙されることが出来る人は楽しめるだろう。

ナイト・ミュージアム

2008年12月11日 | 映画(ナ行)
★2007年公開

★キャスト
ベン・スティラー

★スタッフ
監督 ショーン・レヴィ
製作 ショーン・レヴィ
   クリス・コロンバス

★あらすじ
ラリーは元気で明るい性格ではあるが、定職に就けずに離婚。そのため、大切な一人息子のニックと共に暮らせない。職探しに奔走する彼は、ようやく自然史博物館の警備員として働くことになった。しかし、その博物館には、夜になると、展示物が魔法の宝物の力で動き出すという秘密があった。また、この博物館の元から居た警備員達が怪しい計画を密かに進めていた。果たして、ラリーは博物館を守ることができるのか。 そして、またニックと共に暮らせるのか。

★寸評
癒し系の映画と言える。
ストーリーも何もあったモンではなく、楽しいハッピーな映画である。
その意味でこの映画は素晴らしい。

批判するのは簡単である。
曰く、「深みに欠ける」とか「薄味」とか。

この手の馬鹿馬鹿しい批判を喝破する。

ならば、例えばコーラや炭酸飲料に「深み」や「渋み」を求めるんだろうか。
予告なりを見れば、これは「コーラ」の類の映画というのは判るはず。
それに「深み」を求めるのは酷であり、ひたすらスカッとするものを求めるのが本来の正しい姿勢だと思う。
矛盾なり無理が判っても目を瞑るべきですらある。
目的のズレを理解する程度の知恵は持って欲しいと思う。

あと、事前の勉強が必要、という批判もある。

正直いって、無い。
この程度のストーリーに事前準備など要らない。
これもまた、この映画の本質を見失っているとしか言えない。
何故、博物館の展示物が動くのを楽しむ、というだけの映画に事前準備が必要なのか。

実に爽快に楽しめる映画である。
絵本として取っておきたい作品である。

どろろ

2008年12月11日 | 映画(タ行)
★2007年

★キャスト
妻夫木聡
柴咲コウ
瑛太
原田美枝子
中井貴一

★スタッフ
監督 塩田明彦
演出 チン・シウトン
   下村勇二
原作 手塚治虫 「どろろ」
脚本 NAKA雅MURA
   塩田明彦

★あらすじ
戦乱の世で天下統一の野望を抱く武将醍醐景光は四十八体の魔物から強大な力を与えられるが、その見返りに生まれくる我が子を捧げた。やがて体の四十八ヶ所を奪われて生まれた赤子は捨てられ、呪医師の秘術によって救われる。身を守るため左腕に仕込まれた妖刀と同じ百鬼丸と名付けられた子どもは成長し、魔物を一匹倒すごとに体の部位が1つずつ戻る定めなのだと知る。魔物退治の旅に出た百鬼丸は野盗どろろと出会う。

★寸評
悪くない。
オープニングにて中井貴一が本作の禍々しくおどろおどろしい設定を提示してくれる。
あ、手塚作品のこういうやつか、と一人納得する。

いくつかのシーンの美術はかなり健闘している。
不気味な生き物が吊るされていたり、腕や足が吊ってあったり。
設定の助けにはかなりなっている。
百鬼丸誕生から成長を語るまでは良い。
実に禍々しく、気色悪い。

土屋アンナ、ど素人丸出しの演技で失笑。
この女、女優やったことあんのか?
出直して来いと思う。

そして急に日本っぽくないとこに変わってくる。
ロケに変わった。
雲行きが妖しくなってくる。
スタジオはよかったのに、ロケはキツイってのはなかなか。
なんか湿り気の無い清々しい場所でロケしてやがる。
なぜ、雰囲気を変えるのか。

監督が変わったのか?
曰くアクションシーンのみ、「アクション監督」という役職がついているというあれか。

急に仮面ライダー並みの「百鬼丸VS怪人○○」のダイジェストシーンが始まる。

詰まらない。
これは人選とかスタッフ配置のミスなのか。
プロットの段階ではアクションシーン多めだから、外人を招聘しましょ、みたいな話になって、みたいなドタバタでもあったのだろうか。

じっくりワイヤーアクションを堪能させてもらう。
しかも同じロケ地で。
妖怪たち、密集していたんだな。

そして、このままラストまで行っちゃう。
しかも続編スゲー作りたそうな終わり方で。

以下、役者について。
妻夫木はまぁまぁ。
かなりカッコいい役なので、この人である必要性はどうだろうか、もっとカッコいい役者はいるだろうに、とも思う。
柴崎ね、いいんじゃねーかな。
何も感じない、という気もする。
他、前述の土屋アンナの演技はクソ。
中井貴一は流石に巧い。

原作を読んでみたいとは思った。
それは世界観が興味深かったので。
途中からのロケに変わった以降が残念だ。

時計じかけのオレンジ

2008年12月11日 | 映画(タ行)
★1971年公開

★キャスト
マルコム・マクドウェル

★スタッフ
監督 スタンリー・キューブリック
原作 アンソニー・バージェス
脚本 スタンリー・キューブリック
音楽 ウォルター・カーロス

★あらすじ
傍若無人な少年の理由なき反抗。そこには強姦あり、超暴力あり、現実からの逃避行ありで・・そんなギャング一団のリーダー、アレックスのその後を追ったストーリー。

★寸評
キューブリックの真骨頂とも言える映像美学が結晶した作品。
全編を通じて、シニカルな台詞と毒気に満ちた映像が吐き出される。

本作のウルトラヴァイオレンスに対して、嫌悪感を感じる向きもあるようだが、それは好みの問題である。
暴力描写を以って作品の好悪は決められても優劣は決められない。
それはタランティーノの作品群を軒並み否定するという暴挙に繋がるわけだから。

台詞は実によく練られている。
スタイリッシュな台詞である。

「わけなしのトルチョック制裁にはうんざりだよ」

実にクールな台詞である。

インテリアデザインや音楽、衣装に小道具全てが毒に溢れた秀逸である。
特に主人公のアレックスの前半の衣装と小道具。

30年を経過した今、本作がスタイリッシュであるということが通用していること自体がほとんど奇跡と言える。

キューブリックの作品のテーマは実に深遠だが、本作もまた例外ではない。
近未来のロンドンを舞台としているが、実のところ、現代の日本とも相似している。
所謂、若年層による凶悪な犯罪、政府と反政府運動家の世論操作、洗脳の恐怖などのモチーフが時にコミカルに時に絶望的に描かれる。

実は続きがあるらしく、wikipediaからの引用が以下。

第21章では元に戻ったアレックスが再び新しい仲間たちとつるむ生活に戻るが、ある日かつての仲間の一人と再会し結婚して子供も生まれたことを聞く。アレックスは自分も18歳になったことだしそろそろ女でもつくり落ち着こうと考え、暴力から卒業しようと決意する。しかし一方で、かつて犯した犯罪は全部若気の至りだと総括し、子供時代にはだれでも避けられない道だろう、おれの子供にもいつか若い頃の話をするだろうけど暴力の道に進むことを止めることはできないだろう、とうそぶく。

これが描かれるとまた、印象の異なる作品になっただろう。
が、ラストの疾走感は若干鈍る気がする。

いずれにせよ、この時代にこの作品が存在することは奇跡であり、テクノロジーに依らずとも良作は生まれることを実証している。

チャーリーとチョコレート工場

2008年12月11日 | 映画(タ行)
★2005年公開

★キャスト
出演
ジョニー・デップ
クリストファー・リー
ヘレナ・ボナム=カーター

★スタッフ
監督 ティム・バートン
製作総指揮 パトリック・マコーミック
製作 ブラッド・グレイ
脚本 ジョン・オーガスト
原作 ロアルド・ダール

★あらすじ
ウィリー・ウォンカ製のお菓子は世界中で大人気。ある日ウォンカは「生産するチョコレートの中に5枚だけ金色のチケットを同封し、それを引き当てた子供は家族を一人同伴で工場を見学する権利が与えられ、さらにそのうちの一人にはすばらしい副賞がつく」という告知を出した。世界中がチケット争奪で大騒ぎとなる中、運良く引き当てた、家は貧しいが家族思いの心優しい少年チャーリー。

★寸評
原作ロアルド・ダール、監督ティム・バートン、主演ジョニー・デップと一癖も二癖もあるメンツである。
原作のダールは知る人ぞ知る、短編の名手である。
監督のバートンと主演のデップは既に何作も共に作品を作っている旧知のコンビである。
結果、非常にヒットした作品。

しかし、そんなに簡単に理解できる作品ではない。
バートン特有のシニカルでダークな色調。
単純ではないストーリー展開。
本作ではカッコいいとは言いがたいデップ。

何故そんなに簡単にヒットしてしまうのか。
デップの勢いはあるだろうが。
女性はウンパ・ルンパなどを観てカワイイとか言うんだろうが、なんか差別臭い設定だろうと思ったら、やはり原作はピグミー(アフリカの少数民族)である。気持ち悪ぃ。
そこかしこに出てくるオマージュは日本人に理解出来てるはずが無い。

ハッキリ言うと、非常にオタク的遊び感覚に溢れた作品である。
バートンの映像作りは丹念にオタクだし、デップの演技も遊びだらけである。
デップは分かりやすいアメリカンヒーローを演じない。
ダールの作品を彼らが選んだのはある意味では納得できる。

しかし、メジャーでやって分かりやすい作品ではない。

デスノート 前編・the Last name

2008年12月11日 | 映画(タ行)
★2006年公開


★キャスト
藤原竜也
松山ケンイチ
マギー
上原さくら
戸田恵梨香
片瀬那奈
満島ひかり
藤村俊二
鹿賀丈史
中村獅童
池畑慎之介

★スタッフ
監督 金子修介
原作 大場つぐみ
   小畑健 (作画)
脚本 大石哲也
   金子修介

★あらすじ
このノートに名前を書かれた人間は死ぬ…。死神 リュークが人間界に落とした一冊のノート「DEATH NOTE」。ここから、二人の選ばれし者「夜神月」と「L」の壮絶な戦いが始まる

★寸評
原作漫画~アニメ化、映画化、小説化、加えて「L」を主人公にしてのスピンオフ。

順調にメディア展開してる作品の映画版です。
が、漫画を含めた他のメディアとの比較論はしません。
漫画の方がいいとかなんとか、下らない議論です。
そもそも別物です。
大抵は原作の方が濃密に描けるわけですし、原作の呪縛から完全に逃れることは不可能です。

しかしながら、原作が魅力ある作品であることは間違いありません。


さて、演技について。
藤原竜也の演技はいいでしょう。
彼の爽やかなルックスは、表面上は非の打ち所の無い優等生であるライトを嫌みなく演じています。
原作の猟奇的な側面はラストくらいしかありませんが、特に問題なし。

松山ケンイチはこの映画で評価されたようですが、多少やりすぎか。
この手の異様な役を演じるのは難しいですが、まぁ上出来でしょう。

が、他の役はぞんざいな部分があります。
戸田恵梨香は厳しいです。
原作を忠実になぞったんでしょう。
ライトに恋する馬鹿女キャラ。
だが、それだけですね。
この手の役を演じるのは簡単に思われがちですが、そうではないです。
メインキャストですし、薄っぺらな役作りをすると作品全体から浮く。
彼女がその典型です。

さて、彼女以外に気になったのが、エキストラの台詞です。
酷い。
その分、メインキャストの演技の巧さは引き立ちますが。
何故これほどの棒読みで、アリという判断になるのか、判りません。

次に台本です。
本作は、頭脳戦の緻密さを楽しむ作品です。
その意味では素晴らしい作品であると言えます。

ただ、映像の撮り方だと思うんですが、やや作品全体に緊張感が薄い。
これは完全に撮り方。
だから、刺激的な映像を撮ればいいわけではなく、撮り方で何とでもなる話。


結果ですが、この監督のアイディアが古いっていうことでしょう。
発想に乏しい。
全編でアーティスティックな映像にする必要はありませんが、数箇所でも技を見せれば一段上のランクの映画になった筈である。
そうすれば、結果として、原作がどうのこうの言われない強靭な作品に仕上がったはずである。


ダンサー・イン・ザ・ダーク(デンマーク)

2008年12月11日 | 映画(タ行)
★2000年公開

★キャスト
ビョーク
デヴィッド・モース
ピーター・ストーメア
カトリーヌ・ドヌーヴ

★スタッフ
監督    ラース・フォン・トリアー
製作総指揮 ペーター・オールベック・ヤンセン
製作    ヴィベク・ウィンドレフ
脚本    ラース・フォン・トリアー
音楽   ビョ-ク

★あらすじ
舞台はアメリカのある町。主人公のチェコからの移民セルマ(ビョーク)は一人息子と二人暮しをしていた。女工としての生活は楽しいものだったが、彼女は遺伝病のために、視力が失われつつあり、息子もまた高額の医療費のかかる手術をしなければ失明してしまうことになるのだった。ある日、工場でおかした失態のせいで突然解雇が告げられ、さらに、自宅で蓄えていた息子の医療費が盗まれていることに気づくことになる。セルマに住む家を提供してくれていた隣人ビル(デヴィッド・モース)が妻の浪費に耐えかねて彼女の金に手を出したのだった。真相を知った彼女が彼の家を訪ねていくと、自暴自棄になった相手を殺してしまう。彼女は逮捕されるが・・・。

★背景
2000年の第53回カンヌ国際映画祭では最高賞であるパルム・ドールを受賞し、ビョークは映画初出演にして主演女優賞を獲得した。音楽もビョークが担当し、特にトム・ヨーク(レディオヘッド)とデュエットした主題歌『I've seen it all』はゴールデングローブ賞およびアカデミー賞の歌曲部門にノミネートされるなど高く評価された。

★寸評
アンチ・ミュージカル的な姿勢らしい。
ミュージカルは私は嫌いではない。
ただし、インド映画にあるような馬鹿馬鹿しさは欲しくて、第三者的な引いた目でしか楽しんではいません。
しかしこの作品は歌とダンスのシーンは映画から遊離せずに巧く見せてくれます。
だから、気にはならない。
同じ手法を北野武の「座頭市」でも観ましたが、ちょっと違いますけど。
この作品で、歌とダンスのせいでツマラン、と思うんであれば、今後、映画を観る際にミュージカル作品じゃない事を厳しくチェックすることをお勧めします。

私が言いたいのは、この作品の真価が問われるのは歌とダンスではなく、メインのストーリーです。
このラスト、子供が見たらトラウマでしょう。

曰く、救いがたいと。
でもそうでもない気がする。
彼女は一種の狂人ですから、望む終幕を得ているように私には見えました。
生死観に関する考えが浅い人は色々突っ込みたくなるんですかね。
生きてりゃなんとかなる、みたいな。
この人は多分どうにもならない感じだから、これでいい気がします。
従って、美しいラストに思えました。


そして独特の撮影手法。

幻想と現実が交錯し、あたかも浮遊しているような錯覚を覚えます。
これらジャンプカットという手法で、最低限のストーリーの繋がりを残しておいて、それ以外をカットしてしまうという撮り方です。
加えて、ハンディカメラによる手ブレを取り入れ、主人公の視点を特徴的に捉えています。
別に目新しいとは思いませんが。
酔いやすい人は、はなれて観たほうがいいです。


さて、演技ですが、ビョークはセンスの塊のような人間ですから、この位はやるだろうと思っていましたが、さすがです。
歌のシーンでの弾けるような躍動感と、現実のシーンでの凛とした佇まいはすばらしいです。
小劇場系の役者なんかは見習った方がいい。
他の役者はまぁどうということはないです。

というわけで、賛否がはっきり分かれる映画です。
これほど分かれる映画もないかと思います。
が、私はなかなか考えられた好作品と思いました。

ただ、君を愛してる

2008年12月11日 | 映画(タ行)
★2006年公開

★キャスト
玉木宏
宮あおい
黒木メイサ
小出恵介

★スタッフ
監督 新城毅彦
製作 樫野孝人
主題歌 「恋愛写真」大塚愛

★あらすじ
大学の入学式の日、誠人は幼い容姿の個性的な女の子、静流と出会う。自分が薬臭いという思い込みのコンプレックスのために、人とうまく付き合えない誠人だったが、彼女とは自然に打ち解ける。
静流も、誠人といつもいっしょにいたい気持ちから、カメラを手にするようになる。
そんな二人は毎日のように森へ写真撮影に出掛けていく。しかし、誠人は同級生のみゆきに想いを寄せていた。
いつも一緒にいるのに静流のことは女の子として見ていない誠人。誠人のために静流は大人の女性になろうと決心する。

★寸評
私は劇中の教会で結婚式を挙げたりします。
だから、画面に出てきた時は「ぐぉ」と興奮気味の馬みたいな声を出してしまいました。

さて、宮崎あおいについて。
演技は下手ウマってところでしょうか。
現代的な可愛い女の子を演じるには十分なルックスです。
眼鏡を外して息を呑むのには説得力があるといえるでしょう。

んで、彼女、病気なんですよね。
かなり訳の分からない奇病。
ラストの鍵になる奇病です。
そこの説明が薄いためにラスト付近はバタバタした印象を受けました。
かなり納得のいかない、リアリティの欠けた説明を滔々と。
それも台詞で説明させているんです。
しかもメインキャストの中で一番台詞の読み方に難のある黒木メイサが語るのもドンドン冷めていく。

台詞で説明するんであれば、それまでのシーンの中に色々な伏線を仕込んで「なるほど」と思わせて欲しかったですね。
そもそも台詞で説明するには無理のある設定でしょう。

ここら辺にこの映画の評価の分れ目がある気がします。
気になったら冷め、気にならなければ惹きこまれる。

なにしろ前半部はどーってことない恋愛群像劇なので。
でも、それはそれでいいんです。
誰しもあの手の恋愛模様は記憶の中にあるか、妄想の中に在るものなので、共感は得やすいでしょう。
あんなんねーよっていうのは、少しひねくれ過ぎ。
だったらそもそもパッケージを手にした時点で観る作品のチョイスを間違ってます。


こんな恋愛が昔あればよかったのになぁと思えるか、こんな恋愛がしたいーと思えれば、成功なんじゃないでしょうか。

私はラブストーリーは大好きですが、後半の展開のバタバタぶりに涙できず、
「ないなぁ」
と嘆息してしまいました。

セント・オブ・ウーマン/夢の香り

2008年12月11日 | 映画(サ行)
★1992年公開

★キャスト
アル・パチーノ
クリス・オドネル
ジェームズ・レブホーン
ガブリエル・アンウォー
フィリップ・シーモア・ホフマン

★スタッフ
監督 マーティン・ブレスト
原作 ジョヴァンニ・アルピーノ
脚本 ボー・ゴールドマン
音楽 トーマス・ニューマン
編曲 トーマス・パサティエリ

★あらすじ
学生のチャーリーは、アルバイトで盲目の退役軍人フランクの世話をすることになった。フランクは無理やりチャーリーをニューヨークの旅に同行させる。旅行中、チャーリーの心は浮かない。彼はある事件に巻き込まれ退学の危機に陥っていたのだ。そんな中、フランクはこの旅の最後に俺は自殺をすると平然と言い出した。

★寸評
アル・パチーノの演技は圧巻である。
エレガントな佇まい、気魄溢れるシャウト、悲しみを湛えた大きな眼。
まったく瞳は動かさない。
そして纏っているオーラが凄まじい。
アル・パチーノの演技を観るためだけで満腹になれる作品である。

ストーリーは、いかにもな感じのアメリカの映画である。
荒い部分も多い。
無駄な設定も多い。
が、ツボを押さえており、見所も多く台詞もなかなかニクい。

「この世界で唯一聞く価値のある言葉を知っているか?・・・・・プッシーだ」

この男が言えば許されるのだろうか。
これを存在感と簡単に言ってしまうのも芸がないので、じっくり考えたい。

彼の本領発揮は何よりラスト付近のハッタリをかますシーンだろう。
大きなホールでよく通る大きな声で、実に抑揚の効いた長台詞を朗々と吟じる。
舞台出身の彼ならではのシーンだろう。


正直、他の役者は霞んでいる。
後にオスカーを獲るフィリップ・シーモア・ホフマンもまだ若い。
クリス・オドネルは悪くはないが、よくもない。
ガブリエル・アンウォーとのダンスの1シーンはやけに印象的。

やはりこの手の完成された演技は価値ある存在である。

死ぬまでにしたい10のこと

2008年12月11日 | 映画(サ行)
★2003年公開(カナダ・スペイン)

★キャスト
サラ・ポーリー
スコット・スピードマン

★スタッフ
監督 イザベル・コヘット
   イザベル・コイシェ
製作総指揮 アグスティン・アルモドバル
      ペドロ・アルモドバル
      オグデン・ギャヴァンスキー
脚本 イザベル・コイシェ
   イザベル・コヘット

★あらすじ
失業中の夫と、二人の娘に囲まれ、貧しいながらも幸せに暮らしていたアンは、ある日、突然倒れてしまう。検査の末、医師から告げられたのは「余命2~3ヶ月」。アンは、この事実を誰にも話さず秘密にすることを決め、深夜のコーヒーショップで、リストを作る。そのタイトルは「死ぬまでにしたいこと」。


★寸評
テーマは深刻である。
若年のガンは進行も早く、一気に苦痛と死が襲ってくる。
加えて、深く人生を考えたことも無いのに簡単に受け容れられない。
受け容れ始めるよりも早く死がやってくる。

誰もが必ず意識的にしろ無意識的にしろ死に対して、或いは生に対して考えたことはある。
故に普遍性のあるテーマである。
このテーマで映画を作るのは実に難しいものである。
前向きな回答を誰しも期待している。

同じテーマでの駄作は無数にある。
すなわち、テーマに関する回答がありきたりになりがちだし突飛なことも出来ない。

そしてこの作品である。
スペインとカナダの合作である。
実に淡々とした筆致で描かれている。
そこには文化の壁もあり理解に苦しむ描写は多い。
本作では、末期ガンの若い女性が死期を悟り、リストを作りそれを実行していく。
本人は貧しいながらも夫婦仲良く子宝にも恵まれ平和に暮らしてた。
さぁどうする、となって、当然子供達や旦那に対してメッセージを残したりしていく。

この10のリストの中に、不倫が混ざっている。
なかなか共感は得にくいか。
女性は勿論、男性は共感というか冷汗だろう。

そして、本人含めて、描き方は実に淡々としている。
これがリアルと感じられるかどうかでまた共感の度合いも変わってくる。
感情的な撮り方をしないのは「逃げ」とも取れる。
薄っぺらと感じられる可能性もある。
撮り方もネタも幻想的なので、何も感じない人は何も感じない。

この辺がこの作品の特徴的な箇所。
しかもラストも曖昧なまま終始する。
従ってテーマを提示して終わっているとも言える。

シン・シティ

2008年12月11日 | 映画(サ行)
★2005年公開

★キャスト
ミッキー・ローク
ブルース・ウィリス
ジェシカ・アルバ

★スタッフ
監督 ロバート・ロドリゲス
   フランク・ミラー
製作総指揮 ボブ・ワインスタイン
      ハーヴェイ・ワインスタイン
製作 エリザベス・アヴェラン
脚本 ロバート・ロドリゲス
   フランク・ミラー


★あらすじ
ハード・グッドバイ:一夜を共にした女性を猟奇殺人犯に殺されたマーブは犯人への復讐を誓う。
ビッグ・ファット・キル:ジャッキーボーイとの諍いをきっかけにドワイトはオールドタウンをめぐる娼婦軍団とマフィアとの抗争を阻止せんと奔走する。 
イエロー・バスタード:ローク・ジュニアから少女ナンシーを救ったハーティガンは、醜く変容したジュニアに再び狙われるナンシーを守ろうとする。

★寸評
アメコミの映画化である。
三本の短編をオムニバスで見せ、且つ多少各話がシンクロする。
ロバート・ロドリゲス&タランティーノの好きそうな話である。

まず、漫画である。
設定からストーリーも台詞も映像も漫画である。
それも、かなりハードボイルドなので、一部笑ってしまう部分はある。
男は化け物じみた強さだったりするし、女はグラマラス。
これ以外には存在しないという極端さである。
リアルに「北斗の拳」なのである。

好き嫌いの問題も当然あるだろうが、普通の感覚からすると「否」が多いだろう。
「なんだ、その台詞は」
と思う場面が多い。
だが、つまらないかと言うとそうでもない。
世界観自体がユニークなので、これに没入するように努力が必要だろう。
いわば、積極的に楽しもうという意識である。


映像は凝っている。
センスも悪くはない。
鍵は世界観である。