goo blog サービス終了のお知らせ 

映画批評etc

映画の感想ではなく批評
その他諸々

スーパーサイズ・ミー

2009年09月13日 | 映画(サ行)
2004年【米】
監督&主演 モーガン・スパーロック

あらすじ
「マクドナルドを1日3食1ヶ月間食べ続けると人間どうなる?」このテーマに監督自らが被験者となり、アメリカの食文化の崩壊と肥満の恐ろしさを訴えたドキュメンタリー。サンダンス映画祭で話題をさらい、アカデミー賞でもノミネート。更に、全米脚本家協会からもノミネートされた。

寸評
ドキュメンタリー作品ではあるが、エンタメ要素が非常に強い。
とにかく、無数の肉塊が登場する。
すべからく皆バーガーとピザと炭酸で構成されている。
何か強烈なメッセージなり新事実があるか、というとそうでもなく、そりゃそうだよな、というオチ。
とは言ってもなかなか体を張った作品だ。
マックには行くが、頻繁に行くわけではない。
特段行きたいわけでもないし、なんとなく行くだけだ。
マックを始めとするファストフードが体に悪いというのも何となくイメージとしては持っていた。
それを一カ月3食続けるのだ。
これは過酷で危険なチャレンジだ。

医師等の専門家と定期的なカウンセリングを挟みながら、アメリカの食の現状のリポートがある。
これがなかなか興味深い。
一億人の肥満を有するアメリカの食問題は深刻だ。
確かにアメリカの企業努力は凄まじい。
確かに売れるシステムを作っている。
が、健康に対する責任感が薄い。
企業としての倫理観と利益を上げる力は両立しないのかもしれない。
あとは消費者任せなわけだ。
実に当たり前の話だが、身につまされる思いだ。

特にショッキングなのはアメリカの学校給食だ。
これは酷い。
そもそもバイキングってのが日本人の感覚からすると信じられない。
生徒達はスナック菓子を清涼飲料水で流し込んで済ましている。
スナック菓子以外には冷凍食品と缶詰が主流だそうだ。
給食のオバサンが作るモノは非常に少ない。
そんなもん給食じゃないと思う。
このシステムにしてしまうと、生徒の完全な自己責任になってしまう。
提供する側には栄養を管理する責任が無いのだ。
子供に自己責任を強いるのは如何なものか。
しかもアメリカの子供だ。
好きなものしか食べない。
ただでさえ馬鹿なんだから。
管理主義的な日本の給食で育った側からすると、嫌いなモノを強制的に食べさせる嫌な部分もあったがこれを見ると感謝せざるを得ない。

しかしながら資本主義ってのはこんなもんなのかも知れない。

本作は最終的には何か新しい解決を見るというものではないが、興味深いテーマであり、危険な挑戦にはエンタメ要素が豊富だ。
精神的に滅入ったり、性欲が減退したり、医者にマジ顔で中止を強制させられそうになったりする。
それでも構わずマックを貪る。

生理現象に纏わることは滑稽だなと思う。

死霊の盆踊り

2009年09月01日 | 映画(サ行)
1965年【米】
監督
A・C・スティーヴン
キャスト
クリスウェル
原作 エドワード・D・ウッド・Jr
脚本 エドワード・D・ウッド・Jr

あらすじ
ある真夜中、売れない小説家のボブは、恋人のシャーリーとともに小説のネタ探しをするために墓場へドライブに。車の運転に失敗し2人は車ごと崖に転落してしまう。その頃、墓場では夜の帝王と闇の女王が死霊たちの宴を開いており、死霊となった女たちが踊っていた。その様子を物陰から見ていたボブとシャーリーは途中で見つかってしまい、縛り付けられてしばらく踊りを鑑賞させられる。そして2人は闇の女王に襲われそうになるが、その瞬間に朝日が差し込んで死霊たちは骨になり、2人は救急隊によって救出された。

寸評
↑というストーリーはあるが、そんなストーリーを凌駕してあまりある要素が満載されている。
これは20世紀に生まれるべき作品ではなく、300年後くらいに生まれるべき作品だ。
我々が見るにはあまりにも難解過ぎる。
何がしたいのか分からない。
「恋空」や「シベ超」も駄作だと思うが、この作品はそれらのレベルではない。
史上最強レベルの驚異的作品だ。

まず、ホラー要素はゼロだ。
エロ要素もゼロだ。
ただ、ひたすら残念なストリップショーがダラダラと演じられる。
ストリップショーのようにダンスをするのだが、これが音楽のチープさとダンスの下手さで酷いクオリティだ。
中にはマシな人もいるが、撮り方が拙いので時間的にもたない。
また、狙っているのか、そうでないのか分からない、凄いのがたまにある。
前振りなしで猫のダンスになったりするので油断も隙もない。
そしてその間のBGMが凄い。
禍々しい音とオドロオドロシイ逸話から、軽快なツイスト調に変わったり。
死霊の宴なのに軽快で楽しい雰囲気になったりするので、ちからが抜ける。


たまに、ストーリーの断片と思しき展開がある。
これがまた難解で何がしたいのか分からない。
闇の女王とかいうヤツが囚われの女を殺そうとして、無駄に服を脱がして、でも止められて、また服をしまう、等、「えぇ?!」と思うシーンが連発だ。

演技も凄い。
ここまで分かりやすい棒読みというのも珍しい。
学生演劇の方が全然マシ。
カンペを見ているのがバレバレなシーンもある。
映画の撮影で台詞を覚えてこない役者とはなかなかの根性だ。

ハリウッド最低映画。
これを配給したギャガも能無しだ。
気は確かか?

監督、制作、役者全員が馬鹿なんだろう。
普通、一人や二人はマトモな人間がいるもんだ。
なにしろあのエドウッドが原作、脚本だ。
この現場には狂人しかいなかったのだろう。
そうして、本作のような奇跡が生まれたのだろう。

本作は数百年の風雨に耐える力があるように思う。
それくらいぶっ飛んだクソ作品だ。
是非、その時の逆評価が見てみたい。
しかしその時にはこの映画よりも大衆の寿命の方が先に尽きてしまう。
それが残念だ。

シッコ

2009年08月22日 | 映画(サ行)
2007年【米】
監督&脚本&主演&制作 マイケル・ムーア

製作総指揮
ボブ・ワインスタイン
ハーヴェイ・ワインスタイン

あらすじ
アメリカ合衆国の医療制度をテーマとしたドキュメンタリー調、かつコメディー調のアメリカ映画。「シッコ (sicko)」とは、「狂人」「変人」などを意味するスラングである。

寸評
医療、保険といった、我々日本人にとっても身近な問題を突き付けてくる。
医療保険の不払い問題や、医療業界との癒着、保険制度自体の矛盾。
これは本当に酷い。
アメリカだけではなく、現在の日本の医療制度も問題を抱えている現状では、人ごとではない。
日本の国民皆保険制度も綻び始めている。
が、アメリカにはそもそもその制度自体が無い。
しかもヒラリー(当時大統領夫人)が制度導入を提案したが議会によって潰された。

本作ではアメリカの医療・保険問題が深刻であるということを糾弾するとともに、他の先進国との大きな違いも訴える。
フランス、カナダ、イギリス等は非常に制度が整備されおり、天国と地獄の感がある。
医療・保険だけでなく、雇用も含めて非常に恵まれているのがこれらの国々だ。
日本人の目線から観ても、これらの国々の制度には目を見張る。
出産が無料なのは当たり前。
医者に掛かってもお金は払わなくていい。
薬の値段はすべて一定。
日本の病院とは大きな差がある。
昨今、陣痛の始った妊婦をたらい回しにするような時代である。

これらの国は本当に羨ましいこと、このうえない。
この映画、日本では殆ど話題にあがることのない作品だった。
確かに一部難しい内容もある。
テーマがアメリカの内政問題なので、身近でないという入口の悪さがある。
が、日本の現状と、諸外国の事情のあまりの違いは衝撃的。
思わず移住したくなる作品だ。

スモーク

2009年08月22日 | 映画(サ行)
1995年【独・米・日】
監督 ウェイン・ワン

キャスト
ハーヴェイ・カイテル
ウィリアム・ハート
ハロルド・ペリノー
ストッカード・チャニング
フォレスト・ウィッテカー

あらすじ
ニューヨーク、ブルックリンの街角。14年間毎日、同時刻、同場所で写真を撮り続けている煙草屋の店長オーギー。馴染みの客でスランプに陥っている作家のポール。彼が車に跳ねられそうになったのを助けた黒人少年ラシード。3人を軸に集まる人々の日常を、嘘と真実を巧みに交差させながら描いてゆく・・・。 アメリカの現代作家を代表するポール・オースターが書き下ろした『オーギー・レンのクリスマス・ストーリー』を基に、ブルックリンの下町に生きる人々の人生を描いたドラマ。

寸評
地味で渋い作品だ。
ショートストーリーを繋いでいく形式だが、明確なオチはない。
事件は結構起こるが、撮り方が淡々としているので、緊張感はない。
かといってダラダラと弛緩しているかと言えばそうでもなく、それはむしろ役者の演技によって出している。
ハーヴェイカイテルは日本では過小評価されている方の役者だが、苦い顔で怒鳴ると実に緊張感がある。
フォレストウィテカーも同じく張り詰めた緊張感を演出する。

ラシード役の役者は「LOST」や「ロミオ+ジュリエット」に出ていたハロルド・ペリノーだ。この環境の中では健闘している。

総じて地味で渋い通好みの作品だ。
そんななか、ちょっといい話をそこかしこに散りばめ、散漫になりがちなこの形式をキリっと締めたのは実力派の役者陣によるもの。
名前もない役者で、スゲー馬鹿な奴が数人いて笑える。
幾つかのストーリーは致命的に暗いが、最終的には若干ハッピーという、黄金比である。

しかし、手放しで高評価をするには気が引ける。
致命的な地味さが通好み過ぎるのだ。

仁義なき戦い

2009年08月17日 | 映画(サ行)
1973年【日】

監督 深作欣二
キャスト
菅原文太
梅宮辰夫
松方弘樹

原作 飯干晃一 「仁義なき戦い」

あらすじ
主人公である美能幸三が獄中で書き綴った手記がベース。小説では団体・人名・地名も全て実名(映画本編では実名をもじった名前に変えられる)記述された。

寸評
暴力団抗争のアンセム的作品。
タランティーノやジョンウーに影響を与えた、最早世界的な作品である。
日本国内の映画人の間でも絶大な影響力を誇り、ヤクザ映画の教典である。

どこがいいのか。
カメラワークや撮影技術は革新的な手法に満ちている。
所謂手ぶれを生かした臨場感溢れる映像は効果的だ。
殺害された人の名前が字幕(?)で出る。
分かりやすいし、何故かカッコいい。
血飛沫がブシャーっと上がる。
おぉと思ってしまう。


ストーリーについて。
よく言われている部分ではヤクザ礼賛ではなく、リアリティに満ちた作品であるとのこと。
確かにその通りだなと思った。
本作では、善玉と思われるのは主役の菅原文太だけだ。
他は野蛮であり、強欲で、倫理観の欠片も無い。
裏切りや、チクリなど、仁義なんてとんでもないのだ。
タイトルに偽りなしだ。
そして、温厚な人は一人もいない。
全員殺気立っている。
この役者陣の意思統一は見事。
乱闘や殺し合いのシーンが多いが、どこか狂気を感じる描き方だ。
広島弁の迫力も手伝って、全体に漲るエネルギーが迸っている。
このエネルギーを優先させるためか、一部説明不足もあり、補正をしなくてはならない部分はある。
が、このエネルギーの前に設定等の細かな部分は捩じ伏せられたような感もあり、そんなことはクソ喰らえか、と思わせられる。

役者陣だが、皆素晴らしい。
特に誰ということもないのだが、この世代の役者は骨太だ。
菅原文太のドスの利いた低音ボイス。
松方の迫力ある目。
梅宮の残忍さ。
圧巻の演技だ。
田中邦衛がねずみ男的な役を演じている。
さすがに持ち味を生かしている。
今は亡き金子信雄が組長役だが、この男、実に達者だ。
本当にクズのような人間だが、それを一種滑稽に演じている。
このキャラがこのシリーズに深みを与えているのだろう。
全員が喧嘩強くて根性あったら単なるアクション映画になってしまうので。

総評、エネルギー溢れる作品だ。
日本映画の底力。
アイディアも狂乱の熱も全て発散している。
抑制なんてクソ喰らえ。
痺れる作品だ。

世界の中心で、愛をさけぶ

2009年08月14日 | 映画(サ行)
監督 行定勲

キャスト
大沢たかお
柴咲コウ
長澤まさみ
森山未來

原作 片山恭一 「世界の中心で、愛をさけぶ」
作詞 平井堅
作曲 平井堅

あらすじ
日本列島に台風が近づきつつある日。東京で働く朔太郎は結婚を間近に控えている。同郷の婚約者律子は自分の荷物の中から見つけた古いカセットテープを聴くと突然、故郷である四国の海沿いの町へ帰ってしまう。彼女を追って帰郷した朔太郎にはしかし、高校時代に交際していた同級生亜紀との思い出が生き生きと蘇えるのだった。失われた過去の記憶が再生されるべき未来へと生まれ変わっていく。

寸評
クソ映画。
比類なきクソ映画。
見るべき点は長澤まさみのイノセンスな演技くらいか。
時流に乗ってヒットした原作に蟻の子が砂糖に群がるが如く映画化し、結果クソ映画になった作品である。

そもそも韓流、純愛ブームというようなムーヴメント自体を否定したい。
純愛はブームになるような価値観ではなく、単なる恋愛のスタイルに過ぎないのだ。
それを冬のソナタが流行ったからという理由でブームにし、雨後のタケノコのように次々と商業ベースに乗せていくという手法は、要はオリジナリティの欠如である。
そんな流れの中で発売されたのが本作の原作だ。
それが結果、大ベストセラーとなり、この作品が生まれる。
原作は知らないし、読むつもりもないが、本作がクソであることは間違いないので、原作も取るに足らない作品であろう。
映画の方で趣旨は分かったから。

そもそも、泣きたくて観た作品である。
そして、先入観gは全く無しで観た。
にもかかわらず、クソの烙印を押さざるを得なかったのは非常に残念であった。
冷やかしのために本作を見るつもりは毛頭なかったのだ。

そして
「助けてくださ~い」
という世間的には最も泣きの名シーンでは、能面の様な、死んだ顔になってしまった。

「コラ」
なんでその状況になって人の助けを逆ギレ気味に求めるんじゃ。

と、おっさん特有の良識の様なものを振りかざしてしまいそうになった。
それを必死で能面のような無表情で防いだ。

このように、少しでも鑑賞時期を外すと、映画はつまらなくなってしまうのだ。
そんなことを心底実感させられた作品だった。

スタンド・バイ・ミー

2009年08月14日 | 映画(サ行)
1986年【米】
監督 ロブ・ライナー
キャスト
ウィル・ウィートン
リバー・フェニックス
コリー・フェルドマン
ジェリー・オコンネル
キーファー・サザーランド

原作 スティーヴン・キング 「恐怖の四季-秋冬編 スタンド・バイ・ミー」
作曲 ベン・E・キング "Stand By Me"

あらすじ
内気なゴーディー、優秀であった兄が少し前に亡くなってから、両親は未だ悲しみに浸っていた。そんな両親を見て、自分が代わりに本当は死んだ方が良かったんではないかと日々考えていた。そんな時、汽車の事故で死んだ少年がいると聞き、まだ死体は発見されていないと言う。そこで、利口でしっかり者のリーダー格のクリスと、喧嘩っ早く軍隊を夢見るテディと、ノロマで、いつも皆のパシリ役にさせられているバーンの4人で線路伝いに死体を捜し、勲章を貰おうと旅に出た。

寸評
中学に上がる前の少年達による、夏の思い出を追憶する。
もう少し時間が経ってしまうと、少年の頭は女一色になる。
もう少し前だと冒険に行く勇気はない。
絶妙の年代である。

この4人、皆心に暗さを抱えている。
その後の人生にも大きな影響を与えるような暗さを抱えつつ生きている。
現実でも彼らのその後の人生は様々である。
リバーは死に、コリーは麻薬中毒だ。
反対に、オコンネルとウィートンは一定の成功を収め、キーファーはジャック・バウワーになり爆発した。

「あの12歳の時のような友だちはもうできない、もう二度と・・」という言葉が今になると、実感として感じることが出来る。
沢山の人と出会い、別れ、それでも大した不自由もなく生活はしていくものなのだ。
友達とはそういうものなのかも知れないと思う。
勿論大切にしたいと思うし、邪険にすることもない。
が、それぞれに一人でする生活は長く、一人で生きなければならない。
この世代では利害関係も生じない。
従って、無償の付き合いなのだ。
それがすべてではないが、この世代の美しさなのだろう。

こういう現実の中で、この作品に描かれた少年達の夏は輝きを放つ。
それぞれ事情を抱えながらも無償の友情という絆で結ばれた少年達だ。
ときに喧嘩をしたり、結束しながら、壊れそうになりながらも冒険を続けていく。

そんなノスタルジックな関係性を精緻に描いた作品だ。
男の子は中学に上がるまでに見ておきたい作品だ。
でないと良さが分からなくなる。

千と千尋の神隠し

2009年08月14日 | 映画(サ行)
2001年【日】
監督 宮崎駿


柊瑠美 荻野千尋/千(せん)
入野自由 ハク
夏木マリ 湯婆婆/銭婆
菅原文太 釜爺
内藤剛志 千尋の父 荻野明夫
沢口靖子 千尋の母 荻野悠子
上條恒彦 父役
小野武彦 兄役
我修院達也 青蛙
神木隆之介 坊
大泉洋 番台蛙

原作 宮崎駿 「千と千尋の神隠し」
脚本 宮崎駿
音楽 久石譲

あらすじ
10歳の女の子千尋はある日、両親と一緒に田舎町へ引っ越す途中、不思議なトンネルを発見。トンネルを抜けると見たこともない町だった。千尋は1人で町を適当に歩き回っていると、ひとりの少年と出会う。彼は「ここにはきてはいけない。すぐ戻れ!」と叫ぶ。恐くなった千尋は両親の元に戻るが、両親はなんと豚の姿になっていた!

寸評
興業収入304億円、観客動員数2300万人という、日本国内の映画興行成績における歴代トップの記録を保持する作品。

何が、これほどまでに作品として売れたのかは正直分からない。
景気や、ライバル作品の有無、ベルリン国際映画祭での史上初の金熊賞を受賞、その他アカデミー賞をはじめ日本国内外の多くの賞の栄冠に輝いたこと、などの追い風。
作品自体は売れ線なのかは疑問。
普遍性を持つとしたら千尋をドンドン追い込んでいき、このキャラクターを掘り下げたところか。
彼女はナウシカやシータのように美少女ではないが、等身大の一般的な女の子だ。
そこがテーマや普遍性が薄くても受けた理由なんではないだろうか。
しかし、作品の中身よりも客が客を呼ぶ状況だったのだろう。
本作は、ジブリにとってもののけ姫以来、4年ぶりの待望の新作だった。
もののけ姫までは毎年コンスタントに作品を提供していたが、近藤の死や高畑の高齢化により、宮崎にかかるストレスが非常に強まっていた。
当時、既にジブリ作品と宮崎は確固たるブランド。
そして満を持してのこの作品で、市場はジブリの新作に対する期待で充満していた。
そこに圧倒的な物量でのプロモ。
そこらへんがヒットの主な原因か。


キャラクターの多彩さは圧倒的だ。
基本的に妖怪なのでグロいが、楽しい。
これが日本の妖怪なのだ。
おクサレ様、カオナシ、青蛙、坊、ウホウホ言うサイコロみたいな3個の顔。
印象的な妖怪は枚挙に暇なし。
中でもカオナシの存在感は尋常じゃない。
男は皆、カオナシを笑えないし、共感する。
このキャラ、本当に気持ち悪い。
コミュニケーション方法も間違っている。
が、一途だ。
これに対して、千尋は暖かい。
が、最終的には少しだけ成長している。
なにも実現出来なかったが、それでいいのだ。

おクサレ様の存在感も光っている。
本当に汚い。
ジブリ史上始って以来くらいの汚さだ。
が、解決したときの達成感も素晴らしい。
「よきかな~」
は美しい名台詞だ。

この作品は、過保護なPTAに見せて欲しい作品。
子供は意外としっかりしてくるもんだ。
しかし、売れすぎの作品である。

JFK

2009年08月13日 | 映画(サ行)
1991年【米・仏】
監督 オリヴァー・ストーン

キャスト
ケヴィン・コスナー
トミー・リー・ジョーンズ
ジョー・ペシ
ゲイリー・オールドマン
シシー・スペイセク
ウォルター・マッソー
ドナルド・サザーランド
ケヴィン・ベーコン

あらすじ
1963年、ジョン・F・ケネディ大統領暗殺。犯人は逮捕、射殺され事件は終わる。しかし事件には数々の疑惑が。3年後、ニューオーリンズ地方検事ジム・ギャリソンが真相解明に挑む。捜査の末浮かび上がってきた暗殺犯とは? 

寸評
今年は09年だ。
JFK暗殺事件に関しては未だに謎が多い。
しかも暗殺事件の証拠物件の公開は政府によって、2029年もしくは2039年まで不自然にも制限されている。

本作では、逮捕され殺害されたオズワルドは真犯人ではないとしている。
そして事件はCIA、軍部、国家の関与するクーデターであると主張している。
つまり警察、FBIの主張を真っ向から否定しているのだ。
この辺りの主張は現在では多数説なのだろう。
そして、実に説得力のある内容で分かりやすく説明してくれている。

典型的左翼であるオリヴァーストーンだが、これだけ有名な事件にこれだけのキャストを揃えられる監督は彼をおいて他にいないだろう。

オズワルド役をゲイリーオールドマンが演じているが、なんかカッコいい。

シザーハンズ

2009年06月16日 | 映画(サ行)
監督
ティム・バートン

キャスト
ジョニー・デップ
ウィノナ・ライダー
ダイアン・ウィースト
アラン・アーキン

あらすじ
町外れの古城にひとりでひっそり暮らす両腕がハサミの人造人間エドワード。ふとしたことから彼はカラフルな町に住む家族の元に居候することになる。エドワードはその才能を活かし自立するために様々に挑戦するのだが、純粋な性格の為に町の住民との間に次第に食い違い生じていく。。。

寸評
今をときめくジョニーデップと、著名な人種差別主義者(特に日本嫌い)でも知られるウィノナライダーの出世作。
所謂ファンタジーであり、切ないラブストーリーである。

しかしながら、技を効いており、主人公は異形である。
それ故に、純粋過ぎる程に無垢である。
一度は異形の特徴を生かし、造園、ペットのグルーミング、美容師といった仕事に才能を見出す。
そして世間に持て囃されながらも、ふとした契機で突き落される。

非常に風刺的なテーマである。

このテーマを捻らずにストレートに描いている。
設定が捻ってあるので逆に話はストレートなほうが受け入れ易いということだ。

映像はバートンらしく、色鮮やかに原色の街並みを作り上げた。
しかしこの作品ではそれほど色味はキツくない。
エドワードの青白い顔と衣装を浮き上がらせるためにも適度に抑えている。

そして、ジョニーデップはこの頃から既に演技に癖がある。
当代一の色男でありながら、そこを生かすのではなく、芝居に打ち込む真摯な姿勢は萌芽していると言えよう。
同世代の色男系で人生終わりかけている俳優との差は既にこの時代からつき始めているということである。
相手役のウィノナライダーはこの作品ではイマイチか。
可愛いだけで、それほど光るものは感じられない。

この作品を契機にバートン&ジョニーデップの名コンビが誕生するわけである。
相性が抜群なのは分かる気がする。

スラムドッグ・ミリオネア

2009年06月02日 | 映画(サ行)
2008英米制作

監督
ダニー・ボイル

キャスト
デヴ・パテル
マドゥール・ミタル
フリーダ・ピント
アニル・カプール
イルファン・カーン

あらすじ
なぜ、無学のスラム出の青年がミリオネアで次々と正解していくのか?その過酷な人生こそが彼に知識を与えていた。ムンバイに生まれ、唯一の母が死に兄と共にたくましく生きるジャマール。同じ境遇のラティカと出会い3人で行動を共にしていたが、親切な人達だと思っていた人達が大変な悪党だった!ラティカを残し彼らはより過酷な人生へ....

寸評
ダニーボイルらしい作品であり、インド映画のエッセンスもある。
過酷なスラムの状況を活写し、にも関わらず、ダークにはなり過ぎない。
この辺のバランスを欠くと、作品のリアリティを失いかねないし、エンタメ作品になりえない。

翻って、エンタメ作品として観るならば実に活気のあるテンションの高い作品である。
高いテンションは途切れない。
時間軸が3本ほどあり、並の映画であれば3本の軸が転換する際にダレたりフッと集中が切れるところだが、流れに慣れても巧く工夫されているので高いテンションを保ったまま集中が切れることはない。
これは実に丹念に作られた場面転換の工夫の賜物である。

インドのスラムでの描写だが、これが実に熱い。
インドの風を肌で感じられるかのようなエネルギッシュなカメラワークである。

キャストは殆ど無名に近い人ばかりだが、演技で気になるような点は少ない。

一部、残酷な描写やショッキングな映像もある。
が、作品の価値を下げる程のものではない。
良作である。

セント・オブ・ウーマン/夢の香り

2008年12月11日 | 映画(サ行)
★1992年公開

★キャスト
アル・パチーノ
クリス・オドネル
ジェームズ・レブホーン
ガブリエル・アンウォー
フィリップ・シーモア・ホフマン

★スタッフ
監督 マーティン・ブレスト
原作 ジョヴァンニ・アルピーノ
脚本 ボー・ゴールドマン
音楽 トーマス・ニューマン
編曲 トーマス・パサティエリ

★あらすじ
学生のチャーリーは、アルバイトで盲目の退役軍人フランクの世話をすることになった。フランクは無理やりチャーリーをニューヨークの旅に同行させる。旅行中、チャーリーの心は浮かない。彼はある事件に巻き込まれ退学の危機に陥っていたのだ。そんな中、フランクはこの旅の最後に俺は自殺をすると平然と言い出した。

★寸評
アル・パチーノの演技は圧巻である。
エレガントな佇まい、気魄溢れるシャウト、悲しみを湛えた大きな眼。
まったく瞳は動かさない。
そして纏っているオーラが凄まじい。
アル・パチーノの演技を観るためだけで満腹になれる作品である。

ストーリーは、いかにもな感じのアメリカの映画である。
荒い部分も多い。
無駄な設定も多い。
が、ツボを押さえており、見所も多く台詞もなかなかニクい。

「この世界で唯一聞く価値のある言葉を知っているか?・・・・・プッシーだ」

この男が言えば許されるのだろうか。
これを存在感と簡単に言ってしまうのも芸がないので、じっくり考えたい。

彼の本領発揮は何よりラスト付近のハッタリをかますシーンだろう。
大きなホールでよく通る大きな声で、実に抑揚の効いた長台詞を朗々と吟じる。
舞台出身の彼ならではのシーンだろう。


正直、他の役者は霞んでいる。
後にオスカーを獲るフィリップ・シーモア・ホフマンもまだ若い。
クリス・オドネルは悪くはないが、よくもない。
ガブリエル・アンウォーとのダンスの1シーンはやけに印象的。

やはりこの手の完成された演技は価値ある存在である。

死ぬまでにしたい10のこと

2008年12月11日 | 映画(サ行)
★2003年公開(カナダ・スペイン)

★キャスト
サラ・ポーリー
スコット・スピードマン

★スタッフ
監督 イザベル・コヘット
   イザベル・コイシェ
製作総指揮 アグスティン・アルモドバル
      ペドロ・アルモドバル
      オグデン・ギャヴァンスキー
脚本 イザベル・コイシェ
   イザベル・コヘット

★あらすじ
失業中の夫と、二人の娘に囲まれ、貧しいながらも幸せに暮らしていたアンは、ある日、突然倒れてしまう。検査の末、医師から告げられたのは「余命2~3ヶ月」。アンは、この事実を誰にも話さず秘密にすることを決め、深夜のコーヒーショップで、リストを作る。そのタイトルは「死ぬまでにしたいこと」。


★寸評
テーマは深刻である。
若年のガンは進行も早く、一気に苦痛と死が襲ってくる。
加えて、深く人生を考えたことも無いのに簡単に受け容れられない。
受け容れ始めるよりも早く死がやってくる。

誰もが必ず意識的にしろ無意識的にしろ死に対して、或いは生に対して考えたことはある。
故に普遍性のあるテーマである。
このテーマで映画を作るのは実に難しいものである。
前向きな回答を誰しも期待している。

同じテーマでの駄作は無数にある。
すなわち、テーマに関する回答がありきたりになりがちだし突飛なことも出来ない。

そしてこの作品である。
スペインとカナダの合作である。
実に淡々とした筆致で描かれている。
そこには文化の壁もあり理解に苦しむ描写は多い。
本作では、末期ガンの若い女性が死期を悟り、リストを作りそれを実行していく。
本人は貧しいながらも夫婦仲良く子宝にも恵まれ平和に暮らしてた。
さぁどうする、となって、当然子供達や旦那に対してメッセージを残したりしていく。

この10のリストの中に、不倫が混ざっている。
なかなか共感は得にくいか。
女性は勿論、男性は共感というか冷汗だろう。

そして、本人含めて、描き方は実に淡々としている。
これがリアルと感じられるかどうかでまた共感の度合いも変わってくる。
感情的な撮り方をしないのは「逃げ」とも取れる。
薄っぺらと感じられる可能性もある。
撮り方もネタも幻想的なので、何も感じない人は何も感じない。

この辺がこの作品の特徴的な箇所。
しかもラストも曖昧なまま終始する。
従ってテーマを提示して終わっているとも言える。

シン・シティ

2008年12月11日 | 映画(サ行)
★2005年公開

★キャスト
ミッキー・ローク
ブルース・ウィリス
ジェシカ・アルバ

★スタッフ
監督 ロバート・ロドリゲス
   フランク・ミラー
製作総指揮 ボブ・ワインスタイン
      ハーヴェイ・ワインスタイン
製作 エリザベス・アヴェラン
脚本 ロバート・ロドリゲス
   フランク・ミラー


★あらすじ
ハード・グッドバイ:一夜を共にした女性を猟奇殺人犯に殺されたマーブは犯人への復讐を誓う。
ビッグ・ファット・キル:ジャッキーボーイとの諍いをきっかけにドワイトはオールドタウンをめぐる娼婦軍団とマフィアとの抗争を阻止せんと奔走する。 
イエロー・バスタード:ローク・ジュニアから少女ナンシーを救ったハーティガンは、醜く変容したジュニアに再び狙われるナンシーを守ろうとする。

★寸評
アメコミの映画化である。
三本の短編をオムニバスで見せ、且つ多少各話がシンクロする。
ロバート・ロドリゲス&タランティーノの好きそうな話である。

まず、漫画である。
設定からストーリーも台詞も映像も漫画である。
それも、かなりハードボイルドなので、一部笑ってしまう部分はある。
男は化け物じみた強さだったりするし、女はグラマラス。
これ以外には存在しないという極端さである。
リアルに「北斗の拳」なのである。

好き嫌いの問題も当然あるだろうが、普通の感覚からすると「否」が多いだろう。
「なんだ、その台詞は」
と思う場面が多い。
だが、つまらないかと言うとそうでもない。
世界観自体がユニークなので、これに没入するように努力が必要だろう。
いわば、積極的に楽しもうという意識である。


映像は凝っている。
センスも悪くはない。
鍵は世界観である。

サイダー・ハウス・ルール

2008年12月11日 | 映画(サ行)
★1999年公開

★キャスト
トビー・マグワイア
マイケル・ケイン
シャーリーズ・セロン

★スタッフ
監督 ラッセ・ハルストレム
製作 リチャード・N・グラッドスタイン
脚本 ジョン・アーヴィング

★あらすじ
ホーマーはニューイングランドの孤児院で育った。その孤児院には産院が併設し、親が育てる気のない子ども達は、孤児院に引き取られる。産婦人科医の院長は、ホーマーを息子のように愛し、産婦人科の技術を教える。それでも、ホーマーは、院長が女性の権利を守るために違法を承知で進めている堕胎は、拒否する。ある日、ホーマーは、堕胎のために孤児院を訪れた若い男女に出会い、自分を一緒に連れて行ってくれるよう頼む。ホーマーの旅立ちが始まる。

★寸評
テーマは重い。
舞台は孤児院と田舎のリンゴ園である。
映像と音楽の美しさ、特にテーマ曲は美しい。

恐らく、感想として一般的には、穏やかな雰囲気・帰郷のカタルシス・爽やかで心温まる映画といったところだろう。

それは否定しない。
中盤あたりまでは実際そう感じた。

しかし、本作のテーマの一つは堕胎である。
宗教的な議論もあるので、あまり言及しないが、堕胎における最悪のケースが描かれている。

前半は孤児院での静謐な雰囲気と青年の穏やかでゆったりとした成長に
「ココロ洗われるわ~」
とノンビリ観ていた。

そこに若いカップルが中絶に訪れ、そのカップルと共に青年が孤児院から卒業していくまでは
「この男が戦争行って死んだりして女とくっつくんだろうなぁ」
くらいに思っていた。
そこからグズグズの恋愛模様になっていったりするのかなどと、思っていたらそれほどシンプルではなかった。
りんご園で働くうちに黒人娘がホーマーに惚れてきたあたりで、ここの三角関係とかだったらしょーもないなぁと思う。

んで、黒人娘が妊娠する。
相手は


ええええええええ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!


テーマに堕胎。
私自身に免疫が薄いのかもしれない。
理解に苦しむ。
このグロすぎるテーマの調理法を持って心温まる作品などと言える程、私は映画に没入しない。
加えて共感出来るほど人生経験を有していない。

確かに映画における音楽と映像は重要である。
本作においても美しい。
が、台本の共感度も重要だろう。
アメリカではそれほどまでに深刻なんだろうか。

以下は内容まで、もう書いてしまうが、近親相姦は日常的に日本では共感されてるんだろうか。
確かに神話や説話のレベルでは枚挙に暇がない。
が、あまりにもタブーな話題であるが故に、文化的な描き方も犯罪の匂いのするものが多い。
本作では非常に唐突に近親姦の事実が明らかになる。

だからビックリした。
し、えぇ~?っと思った。
その前に暴力を振るわれているシーンでもあれば納得するんだが。

しかし、ある意味ではリアルなのかも知れない。
近親相姦なんかする奴は鬼畜ですって感じではなくどこでも普通にいますって話。
それ以外でも重要な示唆はあるが、そこで思考がロックしてしまった。

描き方次第で、テーマもなんとでもなるんだなぁと改めて思い知った。