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映画批評etc

映画の感想ではなく批評
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カールじいさんの空飛ぶ家

2009年12月22日 | 映画(カ行)
★2009年 アメリカ

★スタッフ
監督
ピート・ドクター
ボブ・ピーターソン
製作総指揮
アンドリュー・スタントン
ジョン・ラセター

★あらすじ
ピクサーによる記念すべき第10作目。老人が抱き続けてきた夢をかなえるため、驚くべき方法で冒険の旅に出る。ファンタスティック・アドベンチャー。ピクサー初のディズニーデジタル3-D(TM)版も公開。

★寸評
PIXAR作品のブランドイメージは大人から子供まで楽しめる娯楽作品である。
今回は主人公を老人にし、共感を得られにくいかと危惧していたが、さすがPIXARだ。
テーマは普遍的で、子供・夢・冒険ファンタジー・心の通い合いなどを随所に散りばめた作品になっている。
しかし、この邦題、いかがなものだろう。
原題は非常にシンプルに「UP」だ。
これに比して邦題はジブリそのものである。
その方が売れる作品になるという日本側の判断だろう。
この邦題だと、作品自体を小さな枠に縛ってしまわないだろうか。
原題の非常にシンプルでポジティヴなイメージからは程遠いタイトルだ。
ジブリ作品に対するリスペクトと捉えるべきだろうか。
販促のためとはいえ、あまり賛同できない。

本作では、家が空を飛ぶのは重要な設定だが、この作品はファンタジー色が薄いし、魔法も怪獣も出てこない。
社会的弱者の老人とアジア系の肥満児が主人公だし、美少女もイケメンも出てこない。
描きたかったのは日常的行動からの大きな飛躍だろう。
主人公周辺のキャラクター群は犬も鳥も少年も皆、自分の能力以上に、良心に従った飛躍的行動をする。

これが爽快感を生み、物語に躍動感を与えている。

ところで、宮崎駿が本作を見て、
「実は僕、『追憶のシ-ン』だけで満足してしまいました」
というコメントを出している。
この言葉尻を捉え、最初10分だけで本作の良いところは終わり、という口コミも見られる。

一理あるのかもしれない。
子供が見ることを前提に加えると、あまりにも感傷的過ぎるし、これだけでは満足してもらえない。
そこに、やや設定上無理をしてでも痛快さや高揚感を入れなくてはいけない。
そこには成功しているのではないだろうか。
そもそも冒頭の追憶シーンは設定の説明のシーンなのだ。
にも関わらず、説明的と感じる部分はなく、それどころか出来が良すぎて本編の中に食い込みすぎたのだろう。


ところで、設定上の無理は気にするとキリがない。

・あの冒険家は何歳だ?
・カールじいさんの体力が異常に回復
・そもそもカールじいさんとはあまり呼ばれない
・冒険家の扱いがぞんざい

といったところは気になった。
が、これらを以て本作の価値を貶めるのは少し勿体無い気がする。
これは、原題の「UP」という響きがそれらを解決してくれるような気がする。


キャスト・アウェイ

2009年09月11日 | 映画(カ行)
2000年【米】

監督
ロバート・ゼメキス

キャスト
トム・ハンクス
ヘレン・ハント

製作総指揮
スティーヴン・スピルバーグ

あらすじ
婚約者を持つ運送会社フェデックスの管理職チャックは貨物機に同乗し、運悪く墜落事故に巻き込まれる。奇跡的に無傷だったが、流れ着いたのは南太平洋の無人島。救助を待ち続けて月日は過ぎ、彼は次第に極限状態のサバイバルに順応していく。ウィルソンと名付けた積荷のバレーボールのウィルソンを友人に、数年後ついに無人島からの自力脱出に成功する。

寸評
トムハンクスの妙技を堪能できる作品だ。
孤独なサバイバル生活を過ごす中で、唯一の心の拠り所にするのはバレーボールだ。
勿論、バレーボールは何も喋らないが、自分の血で顔の模様を型どり、自分を鼓舞する。
次第にバレーボールの「ウィルソン」に不思議な感情を抱いていく。ぶっちゃけペットみたいな感情を抱く。
かわいいとすら思うのだ。
この演出は非常に楽しい。
人間よりも遥かに愛らしく、ペットほどにべた付かない。

という演技をほぼ一人で演じる。
非常に長い時間を一人で持たせるのは彼だから出来ることだ。

絶望的な状況だが、どこか可笑しさが付きまとう。
現代人が完全なサバイバル生活の中で、試行錯誤を繰り返す可笑しさ。
言うなれば、「黄金伝説トムハンクス編」の趣だ。

キレて大声で奇声を上げたりするところは何か笑ってしまう。
場面次第では悲しいシーンなのに自然の音のみでBGMが無いので笑いになってしまう。
これは監督の意図するところとは一致しているんだろうか。

と思っていると、「4年後」、というテロップが流れて完全に現地人化してまた笑ってしまう。
ある程度は想定したものであると安心して笑える。

しかし、サバイバル生活というのは孤独で絶望的ではあるが、どこかロマンを感じずにはいられない。

クロウ/飛翔伝説

2009年09月11日 | 映画(カ行)
1994年【米】
監督 アレックス・プロヤス

演出 ブランドン・リー (格闘振付)
キャスト
ブランドン・リー
アーニー・ハドソン

あらすじ
墓場から蘇った不死身のヒーローの哀しみに満ちた復讐を通して、愛の不滅をうたうダーク・ファンタジー。主演のブランドン・リー(ブルースリーの遺児)が、撮影中の発砲事故により28歳で死亡し、本作が遺作となった。

寸評
本作最大の話題はブランドンの撮影中の事故死だろうが、雰囲気は良くできている。
苦悩と哀しみを全身にまとった90年代的ダークヒーローをブランドンが好演している。
舞台設定はいかにも漫画的だ。
デヴィルズナイトという暴動の日に恋人と共に無惨に殺害される。
んでリヴェンジのために不死身で復活しギャングに復讐する。
ギャングどもはジャンキーで馬鹿で下品。

そこに復讐するヒーローエリックは負けないくらい残忍で、不気味だ。
肩に不死身の象徴のカラスを置き、顔は白塗り死化粧、肩まで掛かった髪は真っ黒。
全身黒でレザーパンツのブランドンはその引き締まった体も含めて暗黒ヒーローの教科書的存在感だ。
部分的ではあるが「ダークナイト」のヒースの演じたジョーカーを想起させる。
両者ともに亡くなったのは運命の皮肉か、残念だ。

サントラは当時のグランジ、インダストリアル等のトレンドを使用しダークで重苦しい雰囲気を助長する。


このダークでゴシックなムードはクールだ。
続編の制作が残念でならない。

グラディエーター

2009年08月22日 | 映画(カ行)
2000年【米・英】
監督 リドリー・スコット

キャスト
ラッセル・クロウ
ホアキン・フェニックス
リチャード・ハリス

寸評
言わずと知れた、2000年のオスカー作品賞、主演男優賞を始め5部門を受賞した他、内外に圧倒的な物量でのプロモが行われた割には4億ドルの興行収入と、やや苦戦した感もある作品。

バリバリにCGを多用し、ローマのコロッセオを現代に甦らせた映像は、確かに圧巻だ。
専門的な部分は分からないが、何故かCGと実写の場面が完全に分離してしまっている。
これ、なんとかならないもんだろうか。

ストーリーはオーソドックスだ。
さすがはリドリースコット。
分かりやすい話を奇を衒うことなく、オーソドックスに見せている。
VFXの技術に関しては疑問符を覚えるが、彼の撮り方は間違っていない。

史実を扱っているので、ある程度の脚色は必要だ。
が、最後に皇帝が自ら剣奴とバトルをするっていうのはどうだろう。
実際、この皇帝は活発で、コロッセオに登場して、残虐さを存分に発揮して白眼視されていたらしいが、この作品のようなラストとなると、ちょっと疑問符を覚える。

など、ストーリー上、解決しきっていないところが多い。
が、歴史なんかどうでもいい、映画を観ているんだから、という人には痛快な活劇だろう。
だったら、完全フィクションで作品を作ればいいのか、というとそうでもなく、キャラ立ちが弱くなるのだ。
実名を使った理由は分かる。
上映時間という制約のなかで、出来るだけ多くの情報を詰め込まなくてはならないわけで、イメージが決まっている人出てもらえば、キャラを立てる必要が少ないのだ。
だから、古代ローマ皇帝を使うのは安易ではあるが、理には敵っている。
(それにしてはマイナーな皇帝である。コンモドゥスなんか初めて聞いた。欧米では有名なんだろうか。日本人には馴染みが少ない。)

さて、演技だ。
本作でオスカー獲得に至ったラッセルクロウ。
訛っている。
オーストラリア訛りだ。
これは聞き取りにくい。
母国語が英語の人の場合、粗が目立つだろう。
それは我々には関係ないからいい。
しかし、彼は表情に乏しい役者だ。
たまに涼しげで清々しい表情を浮かべるが、それ以外はしかめっ面だけだ。
鍛え抜かれた肉体は素晴らしいマッチョぶり。
しかしながら、台詞がよく分からないのと、表情に乏しい演技では評価し難い。
個人的には彼を特別かっこいいとは思わないし、カッコいいと思ったとしてもそれは主観に過ぎないとも思う。
結果、彼からはほとんど何も感じなかった。

ホアキンフェニックスはなかなか気持ち悪い役を猟奇的に演じている。
残忍な皇帝であり、コンプレックスに凝り固まった目を背けたくなるような醜い部分を曝け出してくる。
にも関わらず颯爽とした側面をも表現出来ている。
興味深いアプローチだ。

総じて、娯楽大作なのだ。
ラッセルクロウが主演しているからというので、文芸作品なり社会派というイメージで観ると肩透かしを食らう。
何も考えず、活劇として楽しめばいいんだと思う。
いろいろ考えてしまった結果、最高!と思えなかった。
残念である。

かもめ食堂

2009年06月21日 | 映画(カ行)
監督
荻上直子

キャスト
小林聡美
片桐はいり
もたいまさこ

原作 群ようこ
脚本 荻上直子

あらすじ
ヘルシンキの街はずれに、そっとたたずむ小さな食堂。そこは日本人女性のサチエがひとりで切り盛りするお店。そして、メインメニューは「おにぎり」。いつしかそこに集まる人々。ひとりひとりが何かを心に秘めて…。北欧の美しい街並みを背景に、淡々と穏やかに語られる心温まる物語。

寸評
曲者女優3人が共演する秀作である。
映画的表現技法としては非常に面白い作品だ。

まず、ストーリー上の山場になる箇所を特に設けているわけではなく、ただ、何気ない日常のおかしな出来事を淡々と描く作風。
これ、ある程度の時間を持たせるのは相当な技量が要る。

次に、スケール感が非常に小さく、食堂以外の場面も少ない。
淡々とした日常を描き、キャストも限られている。
所謂シチュエーションコメディの味わいなのだが、コメディの要素も少ない。
ベタな笑いも狙いにはいかず、シュールな笑いでもない。
センスの好い会話を中心に据えているわけだ。
一つ一つのセリフはどうということのないセリフが多いが要所要所でキリッとしたセンスの好いセリフを書いている。
加えて、難しいセリフは多いが、軽々とこなしているために気にならない。
言わば、難しいことを簡単にこなしているため、難しいことのように見えないのだ。
これは実に貴重。
大熱演ばかりが評価される昨今、この様な地味だがキチッとした仕事を評価したい。

キャスト陣含めた演出は見事だ。
こんな食堂、経営してみたいもんだ。

クローバーフィールド/HAKAISHA

2008年12月14日 | 映画(カ行)
監督 マット・リーヴス
キャスト マイク・ヴォゲル
撮影 マイケル・ボンヴィレイン
製作 J・J・エイブラムス
パラマウント・ピクチャーズ

(あらすじ)
マンハッタンの平和な夜に突如として襲いかかる破壊・破壊・破壊!自由の女神の頭部は吹っ飛び、ビルは倒壊、橋も崩れ落ちる。人々は逃げ惑い、なす術もなく犠牲となっていく… 一体アレは何なんだ?!ハンディビデオの映像を駆使して描かれる、衝撃のパニックムービー。

(寸評)
手振れ映像である。
酔う人は酔うであろう激しさである。

製作のJJエイブラムスの仕事は素晴らしい。
youtube始め、様々なメディアを使ってこの映画の世界観に深みを与えている。

この2つの点が本作の最大の特徴だろうか。

突っ込むべき箇所は無数にあり、全体的に薄っぺらな印象は拭いきれない。
キャラクターの描き方がぞんざいな点、イマイチ興奮しきれないテンポの悪さ等々取りこぼしは多い。

毎度毎度、アメリカのイコンとして破壊される自由の女神。
予定調和的なキャラの死に方。

がそれらも含め、この作品のシリーズ化を目標とした作りなんだろうな。
出来ればジュラシックパークくらいまではいきたい、みたいな。

あのバケモンの正体も全く公表されないし。
オチも何もあったもんじゃない。
パニックモノならば、パニックモノの終わり方がある筈。
だが、シリーズ化を狙っているがために色んな事を明示できない。
出来れば小出しにしていきたい。

そんなJJエイブラムスの狙いが見え隠れする、非常に商業の匂いがする作品。
決して悪くはない、がもう一度見ようとは思わない。
新作の舞台が日本だったりしたらまた別の話だが。

キリング・ミー・ソフトリー

2008年12月11日 | 映画(カ行)
★2001年公開

★キャスト
ヘザー・グレアム
ジョセフ・ファインズ

★スタッフ
監督 チェン・カイコー
撮影 マイケル・コールター
製作 ジョー・メジャック
製作総指揮 アイヴァン・ライトマン
      ダニエル・ゴールドバーグ〔製作〕
美術 ジェマ・ジャクソン

★あらすじ
キャリアウーマンのアリスは、交差点で偶然出会った男と視線を交わす。その不思議に物憂げな魅力にとらわれたアリスは彼を追い、何者かも知らないまま激しく愛を交わす。その後、男が有名な登山家アダムであることを知りアリスの情熱はさらに燃え上がる。恋人に別れを告げアダムのもとへ飛び込んだアリスは、彼の愛の深さに幸せの絶頂だった。しかし、アダムの闇の一面は、アリスの心に次第に影を落とし始めた。

★寸評
サスペンスとして成立していない。
サスペンスのカタルシスは、まさかコイツが犯人か、と見事に騙してくれてこそ生まれるものである。
よくぞ騙してくれました、悔しいなぁというどんでん返しの美しさが決ってこそである。
本作は、いかにもな距離感から、いかにもな人が犯人だったりする。

しかし、これはサスペンス作品として観るべきものではないのかもしれない。
じゃナンだ?と言われると返答に困るのだが。

見所といえばエロチシズムか。
確かに濡れ場は多いし、R指定の名に恥じない濃厚さであろう。
しかしそれはサービス程度のもので作品の根幹たりえない。
それならアダルトでも借りればいいのかもしれない。
そもそも、官能作品と言われるもので良作を観た事がない。


名優ジョセフ・ファインズの演技も、それほどのことはない。
主演のへザー・グラハムとのポルノシーンは彼である必要があるのか疑問。


監督は中国では名手と言われているようだが、一部のシーンを除いて不発。

本作にサスペンスを期待した自分に落胆。

ゲド戦記

2008年12月11日 | 映画(カ行)
★2006年公開

★スタッフ
監督 宮崎吾朗
原作 アーシュラ・K・ル=グウィン 「ゲド戦記」
   宮崎駿 「シュナの旅」(原案)
脚本 宮崎吾朗
   丹羽圭子

★キャスト(声)
岡田准一
手嶌葵
田中裕子

★あらすじ
竜が人間の住む世界に現れて共食いを始めるなど、異変が起こりはじめた多島海世界“アースシー”。異変の原因を探るべく旅に出た大賢者ハイタカは、その途中で父王を刺して国を飛び出してきたエンラッドの王子アレンと出会った。2人はともに旅を続け、ハイタカの昔なじみテナーの家へ身を寄せる。しかしテナーと共に住んでいた少女・テルーは、心に闇を持ち自暴自棄となるアレンを嫌悪する。

★寸評
スタジオジブリ最大の失敗作と言える。
これは酷い。
以下の文はダメな部分を挙げるだけになる。
ちなみにハヤオファンでも、原作ファンでもなく、原作を読むつもりもない。
あと、毎度のことだが、過去のジブリ作品との比較もしない。


まず、極端に説明が不足している。
普通、フィクションは幾つかの嘘を吐くものである。
SFやファンタジーは、特に大きな嘘を吐く。
すなわち、スターウォーズのヨーダは嘘だし、C3POだって嘘だ。

普通の作品は、一つか二つの嘘を吐くために膨大な説明を行っている。
それは圧倒的な映像で説明していたり、役者の奇怪極まりない演技だったり、最新のテクノロジーで行ったりする。
この作品では世界観の説明を「スタジオジブリ」という看板だけでやっているようなもんである。
スタジオジブリだから、竜みたいな怪物も出てくるし、剣とか魔法とかおとぎ話の世界のモノや出来事は普通に出てきますよ、とでも言っているようだ。

コラッ

と思ってしまう。

そして当たり前の説明も出来ていない上に、作品中の重要な鍵になるような伏線部分に関しても説明はされない。
すなわち、「まことの名前」とかなんとかいう設定と、「影」である。
これは説明してないからゴチャゴチャになる。
大事な設定は、納得いく説明を劇中で説明してもらわないと困る。
父親殺しとかの事も色々解釈が分かれているようだが、抽象的であったとしても説明はなされていない。

ここまで説明不足だと何か恣意的なものを感じる。
勝手に感じろ、とでも言うのだろうか。
だとしたら、感覚的な映画である必要がある。
本作は私の感覚的には陰鬱な作品である。
それが感じられた私にとっては製作者にとっては成功という事になってしまうのだろうか。
低すぎるハードルであり、詰まらないゴールである。


もっと、分かりやすく退屈な箇所。
単純な事だが、声が小さいし、声優が下手に聞こえる。
しかもメインキャストの殆ど。
田中裕子はマイクに近づいて喋って欲しい。
聞こえない。
岡田君はキャラ年齢とのギャップが埋まってない。


色々ダメだしをしてきた。
しかしながら、これだけダメだしをしてもまだまだ足りない。
なにしろ退屈に感じる箇所は枚挙に暇がなく、キリがない。
が、多少フォローするとすれば、これは監督が「カッコつけた作品」なのかも知れない。
深読みだが、クリエイターがカッコつけるとこんな感じになる。(原作は他人のモンだから違うだろ、とも思うが。)
勿論、妥協のない作品作りをしていればの話だからこの作品には当てはまらないんだが、アーティスティックな表現は数箇所あった。
その数箇所を撮りたくてこの作品は出来てるのかも知れない。
この監督は才能はまだ感じられないが、ある意味では映画作り本来の在り方には適っている。
「ここが撮りたかったんだよ!」
とでも熱弁してくれたら可愛げもあるってもんだ。


総じて退屈な作品。
将来監督の才能が開花したとしても楽しむつもりで観るにはあまりにも退屈さが邪魔する作品である。

恋に落ちたシェイクスピア

2008年12月11日 | 映画(カ行)
★1998年(英米)

★キャスト
グウィネス・パルトロー
ジョセフ・ファインズ
ジュディ・デンチ
ジェフリー・ラッシュ
コリン・ファース

★スタッフ
監督 ジョン・マッデン
製作総指揮 ボブ・ワインスタイン
ジュリー・ゴールドスタイン
製作 デヴィッド・パーフィット


★あらすじ
ロンドンでウィリアム・シェイクスピアは『ロミオとジュリエット』の上演準備を行っていた。芝居好きの資産家の娘ヴァイオラは、アメリカの植民地への投資のために金が必要な貧乏貴族との意に染まぬ結婚を前にしていた。当時女性は舞台に立つことができず、女装した変声期前の男性俳優が女性を演じていた。ヴァイオラは男装してシェイクスピアの劇団に潜り込み、抜群の演技力でロミオの役を得る。ヴァイオラの男装はシェイクスピアの知るところとなるが、シェイクスピアはこれを隠す。シェイクスピアとヴァイオラの2人は次第に惹かれあい、忍んで2人で逢う仲となる

★寸評
下敷きは不朽の名作「ロミオ&ジュリエット」と喜劇の傑作「十二夜」を合わせて、脚色を加えた内容。
実に練られた台本である。
英国人が見れば、常識の範囲内として、知っているであろう作品である。
日本における「枕草子」「源氏物語」のレベルだろうか。
「ロミオ&ジュリエット」などは、我々日本人も含めて共感することが出来る普遍性を持った作品であり、中期の名作である「十二夜」と、これらをモチーフに使ったところは、台本の目の付け所がシャープである。
これらに加えて、戯曲家であるシェイクスピアを実際に出すという荒業をやってのけたところにこの作品の存在価値はあると思う。

シェイクスピアの肖像は知っていても実際の実像は殆どの人間は知らない。
作家専門であったわけではなく、最初は役者が中心だったのもこの作品で知る。

劇中には、「ロミオ&ジュリエット」のネタになるであろう場面や台詞が挿入されている。
バルコニーの場面などは実に自然に取り込まれている。

欲を言えば、他の作品の台詞や場面がもっとチラチラ出てきたら嬉しい。
実際に「十二夜」が発表されるのはもう少し先になるわけだし。
あるにしても日本人には分かりにくすぎる。
しかし、知らなくても充分に楽しめる内容ではある。


演技は好いと思う。
本作は時代劇である。
加えて戯曲なので、独特の韻律があり現代的にやれば本の良さを殺すし、時代がかってやれば大袈裟になってワザとらしい。
この微妙なところを演技派の役者陣が見事に乗り切っている。
イケメンなだけだったりかわいいだけの役者では絶対無理な難しい台本である。
流石。

交渉人 真下正義

2008年12月11日 | 映画(カ行)
★2005年

★キャスト
ユースケ・サンタマリア
寺島進
小泉孝太郎
水野美紀
高杉亘
松重豊
石井正則
國村隼

★スタッフ
監督 本広克行
製作 亀山千広
脚本 十川誠志

★あらすじ
クリスマスイブの午後、大混雑している東京の地下鉄で警視庁史上最悪の大規模テロ事件が勃発。東京トランスポーテーションレールウエイ(TTR)の最新鋭実験車両クモE4-600(通称『クモ』)が何者かに乗っ取られ、地下鉄の中を暴走し始めたのだ。警視庁は緊急対策会議を召集、第1級テロの可能性ありと見た捜査一課の室井慎次管理官(警視正)は、緊急対応メンバーの召集を指示、その司令塔として日本初の犯罪交渉人、真下正義課長(警視)率いる刑事部交渉課準備室CICチームをTTR総合司令室へ急派するよう命じた・・・。

★寸評
スピンオフ作品らしい作品といえる。
本来、物足りないものなのが、スピンオフなのだ。
それは、脇役として作られた役を主役にするから無理が出てくる。
そのためにも新たに役を、特に脇役を作り直さないといけない。
それで出てきたのが小泉孝太郎とかで、全く役立たずである。

あと、このシリーズの特徴のオマージュです。
オープニングは「交渉人」のオマージュ。
このやり方だとニヤリとしてしまう、いいやり方だと思う。

そして、テーマの交渉人だが、あまり効果的には思えない。
普通のサスペンスアクションと考えるべき作品になっている。
したがって、本作は通常の「踊る大捜査線」の続編と考えていいと思う。
交渉には決して重点を置かれていない。
これは作家陣が意図的だったのか不作為だったかどうなんだろうか。
意図的だとしたら、観客を舐めてるとも考えられる。
或いは、ファンの期待に応えた作品とも考えられる。

総じて普通の映画。
シリーズのファンには喜べるネタが詰まっている作品。

カノン(仏)

2008年12月11日 | 映画(カ行)
★1998年公開

★キャスト
フィリップ・ナオン

★監督
ギャスパー・ノエ

★あらすじ
かつて馬肉屋をしていた男は刑務所から出所後、愛人のもとで暮らしていたが、何もかもに嫌気がさし、施設に入っている娘に会うためパリへ向かう。
だが全てのものに嫌悪感を持ってしまう男は何もかもが気に食わない。
やがて施設の娘との面会が叶い、彼女を外に連れ出し安宿に入るが、そこで男は取り返しのつかない行為に及んでしまう……。「カルネ」の続編で、監督・脚本は同じくギャスパー・ノエが担当している。

★寸評
フランス映画である。
実に内省的な中年の貧乏人がひたすら心の中で喋り倒す。
ここに特徴がある。
このオッサンが実にペシミストで、自虐と悲観で凝り固まった事を論理的に喋りまくる。
「自分はチンポだ。」
ってなことをずっと喋ってる。
これが笑えるか否かでこの作品の評価は真っ二つに分かれるんだろう。

ただ、ヴィンセント・ギャロやタランティーノが絶賛するこの監督はラストにどんでん返しを用意している。
それほどビックリする程の内容ではないが。

この映画は、思索の深みが大切な軸なんだろうか。
監督は、インタビューで「恐怖」をテーマに訴えたいと発言している。
それにしては、ギャグだろ?ってう描写は結構多かった。
それも全てストレートではなく捻くれたペーソスに満ちている。
この間抜けさ加減は、ある意味では寅さんに近いものがあるのかもしれない。
両者とも社会的弱者だし。

本作は、30代以上の男性で、仕事とか私生活である程度色んな事を体験して疲れちゃわないと判りにくい映画だと思う。
逆にそのくらいの世代でこの作品の面白さが理解出来ない人は、かなりタフな人でしょう。


恋空

2008年12月11日 | 映画(カ行)
監督 今井夏木
キャスト 新垣結衣(女優) 田原美嘉
三浦春馬
小出恵介
香里奈
浅野ゆう子
主題歌 Mr.Children
撮影 山本英夫
製作 TBS 東宝

寸評

傑作なんだろう。
ここまで理解に苦しむ作品は「2001年宇宙の旅」以来である。
あれは最終的には凄い作品と分かった。
本作が凄い作品なのかは未だ分からない。

でも多分それは、ない。

大人と子供によって感じ方が全く分かれる作品である。
大人にとっては浅はかとしか感じられない。
一個一個の事件のブツギリ感は凄まじい。
作家は素人だから仕方ないが、監督や製作者は素人ではない。
にも関わらず、実にみっともない演出に失笑してしまう。
それを一個ずつ挙げるのはキリがないので割愛する。


過去に若い感性が時代に受け容れられず、世代間の溝を感じさせるような名作は多々ある。
音楽の場合は顕著である。

しかし、この作品がそれに当たるとは思わない。
稚拙な作品なだけである。
今の時代を反映しているだけであり、後世に語り継ぐ作品ではない。

しかもテーマに現代性を感じさせるものでもない。
「純愛」などという手垢塗れの言葉を引っ張り出してくる馬鹿馬鹿しさである。
しかも純愛から想起させるプラトニック性からは程遠く、しっかりやることはやってる。
これには公共性の高い図書館での行為も含まれる。

どこが純愛やねん。

このヒロインは、欲望には非常に忠実で、この人と決めた人(ヒロ)の事はなんでも受け容れる。
そこには自分の意思はない。
図書館でもやっちゃう。
付言すればノースキンである。
更に付言すれば中田氏である。
これは全て同意のもとに行われる。
多分。
しらねーけど。
んで、産む気にもなってる。
それを親もその後は受け容れて応援してるっぽい。
すげーな。


濡れ場でもあれば、作品を「純愛」ではなく「官能」に切り替える必要性が生まれ、結果、客層は変わる作品となる。

純愛というから、大人から反発されるんだろう。
自分たちの世代の純愛があるからね。
美しい青春時代の幻影もあるし。
んで、作家は親世代を適当に描いてるので、そこもムカツクんでしょう。
起用してるキャストにも問題はある。
高橋ジョージは少ない台詞ながらもすぐにそれと分かる棒読みである。

とにかく、リアルご都合主義な作品。
ツッコミの練習にはなる。