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映画批評etc

映画の感想ではなく批評
その他諸々

レザボア・ドッグス

2009年08月29日 | 映画(ラ行)
1992年【米】

監督 クエンティン・タランティーノ

キャスト
ハーヴェイ・カイテル
ティム・ロス
マイケル・マドセン
クリストファー・ペン
スティーヴ・ブシェミ
クエンティン・タランティーノ

脚本 クエンティン・タランティーノ

あらすじ
レストランに集まった、6人の黒服の男たち。それぞれホワイト、オレンジ、ピンク、ブラウン、ブロンド、ブルーと、色のコードネームで呼び合っている。彼らは銀行を襲撃に行った。しかし警官の待ち伏せにあい、計画が失敗に終わったばかりでなく、死者まで出してしまう。逃げ伸びた先で一人が呟く。「裏切り者は誰だ?」クエンティン・タランティーノ監督の長篇デビュー作。

寸評
Little green back を流すOPがクールだ。
この作品以降この曲が様々な場面で使われているが、この作品よりクールな使い方は観ていない。
下品さと暴力と無駄話で彩る、タランティーノ節全開の作品だ。
事実上のデビュー作だが、彼のスタイルは完全に確立されている。
仮に監督はだれか?というクイズで、この作品を見たら、間違いなく彼の作品だと断定できる。
そのくらいタランティーノの監督としての技術やスタイルが傑出した作品だ。

バイオレンス色は多少強めだ。
従ってR指定は当然必要だろう。
が、この作品のクールさはある程度大人じゃないと分からないだろうから当然だ。

ところで、この作品、非常に演劇的である。
多少の回想シーンを除いて殆どがアジトが舞台だ。
従ってスケールや奥行きのようなものは皆無だ。
にも関わらず、グイグイ話は進んでいく。
役者陣の健闘も見事だ。
終始死にそうなティムロスや猟奇的なマドセンは圧巻。
ブシェーミは相変わらずネズミ男のようないやらしさだ。
そして男臭く渋いカイテル。
キャストは本当に渋い。

脚本は文句の付けようが無い。
制限された環境の中で、派手なドンパチもなく映像で見せられる部分も無い。
それでいて退屈させることがない。
これは台詞のセンスで見せているわけだ。
これは演じていて役者冥利につきるだろう。
素晴らしい作品。

LIMIT OF LOVE 海猿

2009年08月19日 | 映画(ラ行)
2006年【日】
監督
羽住英一郎

キャスト
伊藤英明
加藤あい
佐藤隆太

原作 佐藤秀峰 「海猿」(ヤングサンデーコミックス/小学館)
製作総指揮 亀山千広

あらすじ
鹿児島、機動救難隊へと異動し機動救難士となった仙崎と吉岡。仙崎は遠距離恋愛ながらも、環菜と順調に交際し、結婚は目前だった。ある日、訓練中に機動救難隊に出動が命じられる。任務は鹿児島湾内で座礁したフェリーでの救助活動。しかし、予想以上の速さで浸水、傾いていく船体。仙崎と吉岡、そして要救助者2名は、絶体絶命の状況に追いやられていく…。

寸評
映画1作目、テレビドラマを経て、本作が制作された。
まず、このタイトルの意味の無さ、ダサさは酷く意味も分からない。

所謂、シリーズものだが、間にドラマが挟まっている。
珍しい形態だ。この作品はドラマを観なくてはいけない。
これだけ観ても感動は殆ど得られないだろう。
理由を述べる。


スケールは前作よりも大きくなった。
金が掛けられるようになったからだろう。
が、演出面に厳しいところは目立つ。


所謂プロポーズの場面。長ーよ。と。
相変わらずの伊藤英明、加藤あいの棒読み。
テレビの枠を出ない撮りかたにはチープさが目立つ。
様々な批判がある。
予定調和的なストーリーだと。


しかし、しかし!
佐藤隆太演じる、吉岡である。
この役、本人通りのナイスガイで軽薄だ。
この映画自身の軽薄な感じに拍車を掛けているのがこの男だ。
この男、間もなく救出されるというときにアクシデントで脱出不能となり、主人公連中に
「先行ってください!」
と言いつつ、
「俺、マジびびってます」
「必ず帰ってくるからな」
これ、かなり「男」なやり取りだ。
ここはかなり重要な泣きのポイント。
これがダメだったらこの映画はダメだ。

なにしろ、この映画に至るまでに1作目、テレビドラマと幾多の修羅場を彼らと一緒に過ごしてきたのだ。
尊敬する先輩も死んだし、最初の相棒も死んだ。
もう死んでほしくないなぁと、ここまで観てきたら誰もが思うわけだ。

だから、テレビを観ておく必要があるわけだ。
テレビを見ていてこそのカタルシスなのだ。
ガッチリ感情移入してしまっている人と初めてこのシリーズを観る人との温度差は測り知れない。
だから、この手のフジテレビのやり方が気に入らない人は観ない方がいい。
2010年には3作目が公開されるようだが、興行収入的にも成功した作品。
ある程度の数字は見込まれるだろう。
が、初めて観るのであれば所謂予習は不可欠だ。
観る気は無いが「ROOKIES」も同様だろう。
個人的にはフジは許せることが多く、TBSは殆どが許せない。
この辺の個人差がこの作品の評価を分けるのだろう。

ロッキー・ザ・ファイナル

2009年08月18日 | 映画(ラ行)
2006年【米】

監督&主演 シルベスター・スタローン

あらすじ
愛妻エイドリアンに先立たれ、一人息子との関係もこじれて満たされない毎日を送るロッキー(シルヴェスター・スタローン)は、フィラデルフィアで小さなレストランを経営していた。ある日、無敗の現役世界ヘビー級チャンピオン、ディクソンのマッチメイクに苦しんでいた陣営は、ロッキーとのエキシビジョン・マッチを計画する。昔と同様、現役最強ボクサーとの対戦という降って湧いたチャンスに対して、ロッキーは・・・

寸評
大人気シリーズの最終章。
同シリーズは「愛・友情・努力」という週刊少年ジャンプが一番好きなテーマを愚直に表現し、計り知れないほどの影響を残した、記念碑的な作品だ。
このスタローンという男、最低映画賞(ラジー賞)を過去20回以上も受賞している筋金入りの大根役者だ。
しかし、これも彼の影響力の強さ、人気を物語っている。
強烈な棒読み、ステロイドやヒト成長ホルモンで満タンの肉体。
みんな彼を、嘲笑もしたし、熱狂もしたのだ。
このシリーズはそういう意味で、決着を付けなければいけないシリーズなのである。



さて、この作品だ。
シリーズものなので、過去の作品を観ていないとどうだろう。
最初の作品は1976年。
30年後なわけだ。
当然、知らない世代も多い。
結論は観ておいたほうが、より楽しめるだろうが、別に観なきゃ意味がわからないということはない。
内容はシンプルだから。


この作品を取り巻く環境は特殊だ。
初期に大ヒットを飛ばし、その後緩やかに下降線を辿り、最後はクソ映画になり下がったシリーズである。
それが、ファイナルになって、初期の感動を取り戻した、とされている作品なのだ。
こんな環境の作品は前代未聞である。
しかもテーマは不屈の闘志が不可欠要素のボクシングだ。
なにか、実像との重複が取り沙汰される。


結論は、それほどでもない。
名作というほどのインパクトはない。
リアリティと虚像のバランスの悪さが多いのだ。
まず、不人気のチャンピオン。これはあり得る。
これに既にロートルとなった過去の英雄とのエキジビジョンマッチ。
これも、まぁあり得るかな。本当はないけど。

しかし、最後の試合だ。
マジに殴り合う。
しかもヘビー級だ。
クリーンヒットが無数に入る。
ヘビー級だぞ。
ストロー級じゃない。
数回ダウンもする。
それでも
「立てーーーー!!」
とセコンドは言う。
この辺、なんとかならんかね。
死ぬぞ、と。
リアリティの欠けた試合にしか見えないのだ。
現役無敗のチャンピオンと数十年もリングを離れた人がどうしたら互角の試合が出来るだろう、から試合を組み立てていない。
実際はスピードもパワーもスタミナも勝てないんだから、どうやっても勝てない。
が、万に一つの勝機があるとすれば、ガードをガチガチに固めて、試合運びや駆け引きで上回るので、一発のカウンターを虎視眈眈と狙い続ける。
こんなストーリーしかあり得ない。


互角の試合がありき、じゃ納得できない。
これは格闘マニアの難癖とは言わないだろう。
感じ方の問題なのだ。
多少なりともボクシングが好きなら、そのくらいは感じるはず。
日本に格闘技ファンは多い。
特に近年は総合やK-1も盛んで、ヘビー級の試合も高い数字を取る。
そんな中で、この試合にリアリティを感じるのは非常に難しい。

逆に、ボクシングを始め、格闘技を全く観ない人ならば違和感なく試合を観られるのかもしれない。


他の場面の台詞なんかは悪くない。
ストレートな、ある意味愚直な中身の無い台詞だが、スタローンの口から出てくると、妙な説得力がある。
「前に進むしかないんだ」
みたいな陳腐な台詞は、この時代、彼にしか言えない。
総合すると、悪くない。
シリーズの最後としては悪くない。
が、最高の作品でもないのだ。

リバー・ランズ・スルー・イット

2009年08月13日 | 映画(ラ行)
1992年【米】
監督&製作総指揮 ロバート・レッドフォード

キャスト
クレイグ・シェーファー
ブラッド・ピット

あらすじ
厳格な牧師の父、真面目で秀才の兄、陽気で才能に恵まれながら自分の生きる道を見いだせない弟。三者に共通する事は、幼い頃から父に教わってきたフライフィッシングだった。

寸評
ブラッド・ピットの純真な演技が楽しめる。
本作では古き良きアメリカの時代の自然児をストレートに演じている。
テーマが純粋な仲の良い兄弟とのこともあり、エデンの東のジェームス・ディーンの再来とも言われた。
しかし、この作品ではむしろ監督したレッドフォードに顔は似ている。

内容だが、静謐で雄大な自然を舞台に、実直な家族のなかでワイルドサイドを生き始めるピットの魅力を余すところなく伝える作品であろう。
一つ一つのエピソードは淡々と伝えていく。
すなわち、兄の恋や、弟のギャンブルなど。
これらを淡々と描きつつも、観る者は徐々にこの家族の一員になっていくのだ。
すなわち、母を愛し、父を敬い、兄弟を心配するようになっていくのだ。

撮影は美しい。
レッドフォードはモンタナを撮らせたら世界一巧い。
その自然にピットが映える。

暑い夏の夜に一服の清涼剤のように感じられる作品である。

冷静と情熱のあいだ

2009年08月13日 | 映画(ラ行)
監督 中江功
キャスト
竹野内豊
ケリー・チャン
ユースケ・サンタマリア
篠原涼子
椎名桔平
松村達雄

原作
辻仁成
江國香織

あらすじ
学生時代に交わした何気ない約束。順正の頭の中には、あおいが言った「わたしの30歳の誕生日に、フィレンツェのドゥオーモのクーポラで会ってね。約束してね。」という言葉が常にあった。しかし、10年も前の約束をあおいが覚えているか確信はなかったし、あおいがまだ順正のことを思っているかどうかもわからなかった。

寸評
極上の恋愛映画である。
この作品に影響されてイタリアまで行った。
観る人のタイミングによって全然感想が違うのだ。

悲しい行き違いによる別れ、異国での惨めな再会、しかし約束の日は刻々と迫る。
こんな学生時代を過ごしたかったなぁ、と思うのだ。
そして、こんな街でこんなロマンティックな仕事をしたいと思うのだ。

順正があおいに宛てた手紙を朗読するシーン。
過去の思い出が竹之内の声をバックにして回想されるのですが、こんな手紙が書けて、こんな手紙を貰った人はどんなリアクションを取ってしまうんだろう。


恋愛映画というものをどう観るか、というスタンスの問題は重要である。

没入するというスタンス。
一歩引いた立場で観るスタンス。
共感を覚えながら、疑似体験をするようなスタンス。
こんなやり方パクろっとハウツー本として活用するスタンス。

多種多様だと思う。
この作品では、誰でも持っているであろう過去の恋愛の捉え方が問題になっている。
「一番好きな人とは一緒になれない」のだろうか。
誰もが一生のうちで何人もの人を好きになる。
誰と結婚したかとか、別にしても、一番好きだったのは誰かという質問には案外答えられるのではないか。
それは大抵が叶わなかった悲しい恋だからだ。
理想化されたものだからだ。
死別の場合なんかには顕著だ。
この主人公はその序列で一番だった相手にこだわり続けるタイプ。
そういう人に、共感できるか否かでこの映画の評価は分かれる。
だれしもが、こんな弱さを持っているもんだ。
か、んなことねーよ。と強弁できる人。

イタリア、フィレンツェ・ミラノという極上の舞台を使い、エンヤという天界の音楽を使って空間演出は完璧。
ヨーロッパ的美しさという点では比類ないでしょう。
観光している気分になれる。


ユースケが本人そのものの様な役で出ている。
この男、正体不明である。
篠原涼子がまだ完全ブレイクの前に脇役で出ている。
ギャーギャー喚く役である。
演出も問題はあるかと思うが、アプローチには問題なかったのだろうか。

ヨーロッパ、イタリアといった設定を最大限利用したロマンティックな作品である。
本作で好き嫌いを述べる人は、恋愛にトラウマや克服できていない何かがあるのかな。とか思ってしまう。

レスラー

2009年08月09日 | 映画(ラ行)
監督
ダーレン・アロノフスキー

キャスト
ミッキー・ローク
マリサ・トメイ
エヴァン・レイチェル・ウッド

脚本
ロバート・シーゲル

作詞
ブルース・スプリングスティーン "The Wrestler"

あらすじ
1980年代に人気レスラーだったランディだが、二十数年経った現在はスーパーでアルバイトをしながら辛うじてプロレスを続けていた。ある日、往年の名勝負と言われたジ・アヤトラー戦の20周年記念試合が決定する。メジャー団体への復帰チャンスと意気揚がるランディだったが、長年のステロイド使用が祟り心臓発作を起こし倒れてしまう。現役続行を断念したランディは、長年疎遠であった一人娘のステファニーとの関係を修復し、新しい人生を始める決意をするが…。


寸評
ブルース・スプリングスティーンを聞きながら書いている。
男の、しかもある程度の年齢に達した、そして過去に挫折を多く体験した人のための作品である。
多くの男には栄光と捉えている過去がある。
その時、一生懸命過ごしていた、ということである。
しかし大抵の男はそこからは距離を置き、リアルな現実に身を置く。
そして昔は良かった、と回顧しながらも現状を肯定して生きていく。
そんな生き方が楽であり、正しい生き方なんだと思う。

本作の主人公はそんな生き方ができない。
それは過去の栄光の華々しさが強烈なのもある。
が、彼自身の資質にも原因がある。
つまり、彼は平凡な平和な生活をするには不器用過ぎるのだ。

この男、本当にどうしようもない男である。
プロレス以外には生きる場所を作れない。

しかし彼の愚かさには、どうしようもない悲しみと滑稽さがつきまとうのだ。

以下列挙する。

・やり直しかけた娘とのディナーをすっぽかしてしまう。原因は、口説いていたストリッパーに振られ、ヤケを起こして、ファンの女を口説きコカインでぶっ飛びながらよろしくやっていたら寝過ごした。
・なんとか娘の気を引こうと、ストリッパー同行で服を選ぶ。が同行者の反対を押し切り、一般的な感性では選ばない、クソダサい服を選ぶ。結果、「少し派手」と娘は一蹴。
・真面目に勤め始めたスーパーをブチ切れの末辞める。
・迷い悩みながらも完全に薬漬け


これらは全くもって情けない話だが、誰も非難できない。
彼は常にリングに上がることでしか自分を保てない。
そして、その他の大事なことをする能力が欠如しているのだ。

プロレスのシーンを数試合描いている。
プロレスマニアの友人曰く、実にリアリティに満ちた好ゲームだったそうである。
華やかさからはほど遠い、場末のどさ周りだ。
が、そこに登場するレスラー達はナイスガイばかりだ。
本作では、プロレスの裏側部分もクリアに描いている。
つまり、八百長と言われる部分だ。
試合前に軽い打ち合わせをし、リストバンドの中には額をカットするための剃刀を仕込む。
そして試合終了後は「ナイスファイト!」と、対戦相手とガッチリ握手する。
この描写に抵抗を覚える人は少ないと思う。
なぜなら、実際の試合は血塗れの白熱した試合だからだ。
そしてラストでは決死の覚悟でリングに上がる。
彼はすなわち命がけでファンに戦う姿を見せ続けてきたのだ。
実際に日本でも三澤光晴が亡くなった。
こんな愚直な生き方を否定するのは残酷に過ぎる。
実際のプロレスにも通じるのだ。

この男、一度はリングを降り、引退の決意をする。
心臓に爆弾を抱え、医師からの意見を一度は受け入れる。
しかし、引退後の生活は惨めそのもので、再度復帰を決意する。
その際「俺にとって辛いのは外の現実」と感じ、死ぬ気でリングに上がる。

そんな生き方を肯定したい。
彼なりの幸福な人生の選択だからだ。
場末の会場での生死を掛けた試合。
そこにこそ、ロマンがあるのだ。

BGMを彩るのは80年代のロックだ。
RATTやQUIET RIOTは死んだメンバーがいる。
元気で且つメンバーがそのままのバンドはいない。
最後のリングに上がる際のテーマはGUNS AND ROSES。
よくぞ、ここまで揃えてくれた。

良い作品だった。
が、日本では売れないだろう。

ラブ・アクチュアリー

2008年12月23日 | 映画(ラ行)
監督
リチャード・カーティス
出演
ヒュー・グラント
リーアム・ニーソン
エマ・トンプソン
アラン・リックマン
キーラ・ナイトレイ
ローワン・アトキンソン

あらすじ 
クリスマスのロンドンを舞台に、19人の男女の様々なラブストーリーを同時進行で描いていく。ヒュー・グラント、キーラ・ナイトレイ等豪華キャストの集結も見所。

寸評   
クリスマスに楽な気分で映画でも見るか、というノリには適した映画である。
本作はどこにでもあるありふれた「LOVE」を描いた作品といえる。
すなわち、少年の片思い、不倫、友人のフィアンセへの横恋慕、言葉の壁を越えた恋、首相と秘書の秘密の恋、etc。
どれもが深刻ではなく、サラリと薄味である。
極言すれば受け手側に集中を求めない、軽い作品である。


アメリカ人の描き方が極端である。
大統領は極端に手が早い。
英国ではさっぱりモテないダサダサ君が米国では激モテになる。
英国の空気なのだろうか。我々には理解に苦しむ。

多数のエピソードが同時進行するので、日本人にとってはこれは誰だっけ?みたいになる可能性はあるだろう。英国では多分全員有名人なのでそんなことはないんだろうが。

この映画が楽しめない可能性があるのとしたらそのくらい。
あとは個々のエピソードに共感を覚えるか否か。
要は面白いと思うか思わないか、に集約される。

同時進行型のスタイルの映画なのでこの話は要らない、みたいな話に必ずなる。
が、要らない話はないと思う。
この作品自体、様々なありふれた「LOVE」の形を提示するのがテーマなので、一つ一つが独立しており、当然そこには受け手側にとって共感できるか共感できないかの感想なり判断が生まれる。
この映画は軽いエピソードを連発した作品であり、まーその辺はご愛嬌というくらいの軽い気持ちで見るのが受け手としてのあるべき姿か、とも思う。

私自身、それはないだろーと思っていたのが、上述のダサ男が米国に渡るエピソード。
英国流のセンスオブユーモアが理解出来なかったようで残念である。

ローワン・アトキンソンが端役で遊んでいる。
そんなに笑えないが楽しそうである。

ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還 - スペシャル・エクステンデッド・エディション

2008年12月11日 | 映画(ラ行)
★2003年公開

★キャスト
イライジャ・ウッド
イアン・マッケラン
リヴ・タイラー
ヴィゴ・モーテンセン
ショーン・アスティン
ケイト・ブランシェット
ジョン・リス=デイヴィス
バーナード・ヒル
ビリー・ボイド
ドミニク・モナハン
オーランド・ブルーム

★スタッフ
監督 ピーター・ジャクソン
原作 J・R・R・トールキン 「指輪物語」
脚本 フランシス・ウォルシュ
   フィリッパ・ボウエン
   ピーター・ジャクソン

★あらすじ
冥王サウロンの指輪を葬る旅に出た仲間たち。アラゴルンたちと別れてしまったフロドとサムは、ゴラムの案内で滅びの山へと近づいていたが、指輪を取り戻したいゴラムは、2人を陥れる計画を練っていた。一方、ヘルム峡谷の戦いに勝利したアラゴルンたちは、オルサンクの塔を襲撃したメリー、ピピンと合流する。

★寸評
三部作の完結である。
結論からすると壮大な叙事詩だった。
ラストは全てが大団円で、めでたしめでたし。

いい作品だろう。
これ以上言う事はない。

ロード・オブ・ザ・リング/二つの塔 - スペシャル・エクステンデッド・エディション

2008年12月11日 | 映画(ラ行)
★2002年公開

★キャスト
イライジャ・ウッド(男優) フロド・バギンズ
イアン・マッケラン(男優) ガンダルフ
リヴ・タイラー(女優) アルウェン
ヴィゴ・モーテンセン(男優) アラゴルン

★スタッフ
監督 ピーター・ジャクソン
原作 J・R・R・トールキン 「指輪物語」
脚本 フランシス・ウォルシュ
   フィリッパ・ボウエン
   スティーヴン・シンクレア

★あらすじ
荒涼とした景色が広がるエミン・ムイルを行く、フロドとサム。彼らは滅びの山の亀裂に指輪を捨てるという使命のため、冥王サウロンが支配するモルドールを目指していた。そんな二人の後をこっそりとつける怪しい影。それは指輪の前の持ち主ゴラムだった。フロドはエルフの綱につながれて苦しむゴラムを哀れに思い、モルドールへの道案内を命じる。

★寸評
本作は、はっきりと3組の主要人物が別れて行動する。
非常に判りやすい。
即ち、ホビットの4人が2組に分かれ、残りのアラゴルンとレゴラスとギムリの3組である。
キャラクターもクッキリとしてくる。
この描き方はいい。

本作で、前作で死んだボロミアのエピソードが語られる。
よやく、なるほど、と判る。
ここでしっかり語られなきゃいけない必要性がある。

しかし、相変わらず地名は沢山出てくる。
これが判り難い。
地図でも持って観ればいいのかもしれない。
判ったところで、どうというところはないんだろうけど。

本作の一番の見所は、城攻めの場面だろう。
実にエキサイティングな撮り方である。

城の正面での、オークからの攻撃とその防戦である。

何とも理に適った互いの攻防。
敵のオークは1万人。
しかも命知らずな野獣。
味方は300の精鋭。

堅固な城と、好く訓練された守備側の戦いが臨場感たっぷりに描かれている。
一人一人の殺陣を見せつつも、全体を俯瞰した視線でもたっぷりと見せてくれる。
これだけの映像はなかなか観られるものではない。

本作でゴラムがフィーチャーされる。
優しいというか甘い、フロドはこのゴラムを道案内として連れて行く。
このゴラムというキャラは面白い。
完全なCGキャラだが、表情豊かで心理描写も巧みである。

フロドとサムの二人では旅が持たない。
なにせバトルは弱いキャラなので、戦うわけにいかない。
が、この二人に輪をかけて人間以下の弱さのゴラムの登場は秀逸である。
肉体的にも精神的にも弱く、悩む悩む。
しかも実に醜い。
何とも憎めない。

しかし、また本作は次回が在りきで終わる。
一番コケやすい二作目だが、実にハリウッドらしいサービス精神で乗り切った作品である。
逆に、前作と次回作がなければ成立しえない作品だが、その弱点を逆手にとった良作である。

ロード・オブ・ザ・リング - スペシャル・エクステンデッド・エディション

2008年12月11日 | 映画(ラ行)
★2001年

★キャスト
イライジャ・ウッド
イアン・マッケラン
リヴ・タイラー
ヴィゴ・モーテンセン
ショーン・アスティン
ケイト・ブランシェット
ジョン・リス=デイヴィス
ビリー・ボイド
ドミニク・モナハン
オーランド・ブルーム
クリストファー・リー

★スタッフ
監督 ピーター・ジャクソン
原作 J・R・R・トールキン 「指輪物語」
脚本 フランシス・ウォルシュ
   フィリッパ・ボウエン
   ピーター・ジャクソン

★あらすじ
世界を滅ぼす魔力を秘めた1つの指輪をめぐり選ばれし宿命の勇者9人と悪の勢力との壮絶な戦いが今、幕を開ける!!

★寸評
三部作の第一作である。
膨大な含み情報量である。
なにしろ原作は10作もあるらしいので、三作品でもまだまだ足りないはず。

従って本作でも重要なエッセンスはかなり省かれているであろうことは想像出来る。
が、それ以上に問題だったのは戸田奈津子の誤訳だったらしいが、この問題も置いておく。
そもそも英語圏でない我々が、全てのニュアンスを理解しようというのは無理だから。
そもそもあの方の訳は「戸田奈津子語」ということが出来る。
「MotherFucker!」を「この野郎」と訳すことが多い。
猪木じゃねーんだから。


それよりももっと大事な部分は固有名詞だろう。
本作では地名と名前と種族名とか様々な固有名詞が出てくる。
国くらいは大体は把握できたが、都市まで別々になってくるともうどうでもよくなってくる。
加えて、キャストのルックスが多少似ていると、キャラが立つまでは必死で追わなくてはいけない。
これがボロミアの死ぬところで顕著に顕れる。
私は正直、アラゴルンとボロミアの区別が曖昧だった。
アラゴルンは「ストライダー」だとか「レンジャー」とか呼称が変わる上に、ボロミアと同じ人間である。
誰が誰だかハッキリ判るまで時間が掛かった。
その上、アラゴルンはエルフの姫とのロマンスの間に非常に幻想的な遣り取りをするので、本人確認はボロミアが死ぬとき。

この場面が非常に悲しくない。

ま、私が馬鹿なんでしょう。

さて、酷いことばかり書いていて、些かながら後悔している。
酷くはない。
むしろ素晴らしいと言える。
この作品のダイナミズムは、戦闘シーン。
キャラクター群像で観る部分はあるが、戦闘シーンは今まであまり観たことがないくらいに出来がいい。
まず、ワイヤーっぽくない。
当然使ってるところはあるが、いかにもワイヤーですって感じには見えない。

あと設定上、あまり無茶苦茶しない。
さっきまで普通の人間だったのに、空飛んだり(エルフは無敵っぽいがそれはワキなのであまり本編を支配してない)。
ファンタジーだとよくある話で、お約束的な部分。
いや、これファンタジーなんだからいいじゃないですか、みたいな都合のよさが出てこない。

あと、魔法があんまり強くないので、全知全能の無敵感がしない。
設定作った人は賢くて、この魔法って結構厄介で一個設定を崩すと物語全体を揺るがしかねない危険なもんだってことを、よく判ってる。
彼らの目的は指輪を破壊しに、火山に行く旅をすることである。
じゃ魔法で指輪をビューンって飛ばせばいいじゃんっていうことにならない位、魔法があまり言う事を聞いてくれない。

それに主人公のホビットが弱い。
何の特技もない。
彼の持つ特徴は勇気とか、足の裏が厚いとか、よくわかんないです。
この辺が人の心に響くんだろう。
ダメな奴とか弱い奴が頑張ると、俺も頑張ろうってなるから。

次の作品を観ざるを得ない作品である。

レオン/完全版

2008年12月11日 | 映画(ラ行)
★1994年アメリカ・フランス

★キャスト
ジャン・レノ
ナタリー・ポートマン
ゲイリー・オールドマン
ダニー・アイエロ
エレン・グリーン

★スタッフ
監督&脚本 リュック・ベッソン
音楽    エリック・セラ
主題歌   スティング "Shape Of My Heart"
挿入曲   ビョーク "Venus as a boy"

★あらすじ
凄腕の孤独な殺し屋・レオンと、家族を殺され、孤独になった少女・マチルダの純愛を描く。

★寸評
評価のしにくい映画である。
既にこの映画は歴史上の作品とすら言える、評価の確定した映画である。
批判する事は、冒険的作業になる事を覚悟しなければならず、かといって賞賛することは「何をいまさら」と思われるのが確実だからである。


ゲイリーオールドマンの奇妙な存在感。
ナタリーポートマンの艶やかとも言える好演。
そしてジャンレノの時折見せるコミカルさと重厚な渋味。

ゲイリーオールドマンが死ぬラストシーン。
「SHIT」→爆発
実にクールだなと思いました。

ナタリーに「恋をした」と言われ、牛乳を吐くジャンレノ。

レストランで酒を呑み、楽しくなっちゃって馬鹿笑いをするナタリー。


印象的なシーンは枚挙に暇なし。
文句の付け所がありません。

小道具が利いている。
冷酷な「cleaner」であるレオンは、観葉植物と牛乳を愛している。
麻薬捜査官のスタンスフィールドが気合入れるときは、カプセルの薬をカリッとキメる。


リュック・ベッソンはカメラワークやアートに特徴がある監督ですが、この作品では非常にオーソドックスに撮ってます。
王道的と言っていい。
観るものに挑戦をする様な演出や斬新な映像は少なく、むしろ判り易い演出に終始していると言っていい。

肝心の内容です。
ベッソン作品はストーリーをどうこう語るべきではないとすら言われますが、多少気になった点を述べます。

ストーリーも実はオーソドックス。
アンチヒーローのレオンが、今まで誰にも心を開いた事がないのに、薄幸の美少女のマチルダに、心を開いていく。

ラストは衝撃的ではなく、当然の帰結でしょう。
カトリックの世界(仏)にいる、レオンは当然死ぬことになるでしょう。
殺し屋ですから。
拭う事の出来ない罪を犯しまくってます。
衝撃のラスト、みたく語るのは感情移入してるから、衝撃なだけでしょう。
どんでん返しも無く、悲しく美しい結末と言えるんじゃないですかね。
もし、マチルダとレオンが結婚したりしたら衝撃の結末ですがね。


少し書きましたが、私が理解に苦しんだポイントはレオンとマチルダの関係です。
劇中でも露骨にマチルダが「愛してる」って言っちゃってますが、単純な関係ではないはず。

フランス人の脚本なので、恋愛観のギャップとかも関係あるんでしょうか。
レオンは非常に人間関係に辟易しています。
少年のように恋愛に苦手意識を持っています。
マチルダは家族関係にトラウマすら抱えている。

この両者の間に芽生えた愛情に、素直に共感することは出来るもんでしょうか。

下品に言えば、ロリコンとファザコンです。
この関係は決して喜ばしくはないでしょう。
しかし、観る側はこの関係が恋愛に発展することは無いことがわかっています。

親子でもなく、恋人同士でもなく、ビジネスパートナーでもなく。
非常に微妙な関係。

これはなんだろうなぁと思っていました。
そしたら、ブラックジャックとピノコの関係に似てるかもなぁと思いました。

もし、ブラックジャックが死んでピノコが一人で残ったらこんな感じの切ない話になるんでしょう。

この関係は撮り方次第で嫌悪感のみが残る不快な関係になり得ます。
が、そうならないのは、むしろ、感覚的な部分なのかもしれません。

2人の身長の差とか年齢差とか、バックグラウンドの人間関係とか。


レオンはマチルダに本音っぽいことを初めて言ってからは、もう会いません。
あの後に2人を会わせる必要性が出てくれば、関係を見直さなきゃいけない。

だから、ラストはあれでいいのかなと。
論理的に説明するとそういうことになるんでしょう。

Life 天国で君に逢えたら

2008年12月11日 | 映画(ラ行)
★2007年公開

★キャスト
大沢たかお
伊東美咲
真矢みき
袴田吉彦
川島海荷
石丸謙二郎
哀川翔

監督 - 新城毅彦
原作 - 飯島夏樹『天国で君に逢えたら』『ガンに生かされて』(新潮社刊)
脚本 - 斉藤ひろし、吉田智子
主題歌 - 桑田佳祐『風の詩を聴かせて』

★シナリオ
ガンのために38歳の若さで他界したプロウィンドサーファー、飯島夏樹の著書『天国で君に逢えたら』『ガンに生かされて』を原作とした映画作品。実話を基にしたドキュメンタリー的作品として製作された。

★寸評
実話を下敷きにしている作品なので、作品の展開は自ずと決まってくる。
異空間が作れないからである。
しかも数年前の世界なので、余計に神経を使わなくてはいけない。
基本的に日常に生活している圏内で画を作らなくてはいけないので、劇的な画を作りにくいのである。
従って、本作にはCMで繰り返し流れている、ウェディングドレスでウィンドサーフィンに乗ってる画くらいしか、劇的な画は無い。

非常に気になったのがキャストの演技。
特に伊東美咲。
中心キャラに顔が綺麗なだけのマネキンを置いておく神経が許せない。
この女優とも呼べない棒読み丸出しの女性を上手いと感じる人がいるとしたら、日本の映画界の将来は不安。
既にそうなのか?
出てくる度に現実に引き戻される。
想像でしかないが、役作りをする際に、自分なりの役を作らずに、ご本人を忠実になぞろう、とか考えてあんな感じになったんじゃないだろうか。
所詮は素人の域を出ない役作りであるから、どうでもいいが。

あと、子役である。
大抵、子役の芝居はひっかかるが、本筋に迷惑を掛けない程度であれば許す。
が、演出上、これは許す・許さないの範疇を越えている。
(子供だから芝居が下手なのは仕方ないというエクスキューズは一切認めない。ならば巧い子を探せばいいだけの話である。「見つからない」のならば妥協した映画創りをしていることになり、観客を愚弄している。)
家族ドラマなので、本筋の重要な場面にも子供は出てくる。
その割には、長女の子以外は、その他大勢扱いで、非常にぞんざいである。
それぞれのキャラをクッキリ作るには時間的な制約があるのは分かる。
あと実際の子が、キャラ立たない子なのかもしれない。
が、テーマで「家族愛」を描くならば違うと思う。
「夫婦愛」で描くならば伊東美咲が酷いので、どうにもならん。

と、役者と演技について、書きすぎた。
映画をみると三流だが、ノンフィクションは非常に感動的である。
飯島夏樹さんは非常にダイナミックな人柄で、そのエッセイや小説は興味深い。
だから残念である。